アドラー心理学Q&A

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カウンセリングと応用

アドラー心理学のカウンセリングは、クライアントが不幸の原因である「競合」的な生き方から「協力」的な生き方へと移行するための「学び(再教育)」のプロセスであり、クライアントの仮想的目標が協力的か競合的かを吟味し、新たな行動計画を立てる点に特徴があります。

アドラー心理学のカウンセリングは、単なる悩みの相談や気休めではなく、クライアントがより良い人生を送るための「学び」のプロセスです。洞察を重視し、必要であれば助言も行います。
その原理、具体的なプロセスは明確に示されており、カウンセラーや心理療法士には、医療関係者と同等かつ、アドラー心理学のプロバイダー(供給者)としての倫理的責任が求められます。

アドラー心理学のカウンセリングや心理療法の最終目的は、クライアントが「協力」というあり方を学ぶことです。アドラー心理学では、人間関係における問題や不幸の唯一の原因は、物事を「競合」的に捉えることにあると考えます。競合とは、相手と自分とを比較し、善悪・良否・美醜といった基準で優劣を決めようとする心の持ち方です。「相手が間違っている、自分が正しい」と裁くこの態度は、人間関係を勝ち負けの闘争にしてしまいます。それに対して協力とは、優劣の比較をやめ、相手と対等な立場で、力を合わせて問題を解決しようとする心の持ち方です。アドラー心理学のカウンセリングや心理療法は、この「競合」的な生き方から「協力」的な生き方へと移行するための再教育の場ですが、カウンセリングでは主に「エピソード分析」を用いてライフタスクに関する問題を解決することを目標にし、心理療法では、「ライフスタイル分析」によってライフスタイルに関する問題を解決することを目標にします。セッションの始まりには「前回はどんなことを学ばれましたか?」最後には「今日はどんなことを学ばれましたか?」と問われ、この学びをクライエント自身が言語化する事によって再認識することを促します。

一般的にアドラー心理学のカウンセリングでは、ある日あるところで一度だけ起きた、陰性感情を伴う出来事の話(エピソード)を素材にします。エピソードの中でのクライエントの「思考」「感情」、「目標」を探し、分析します。そして、エピソードの中でクライエントがとった行動について、次に似たような場面があったら、エピソードでとった行動の代わりにそんなことができそうか、行動の代替案を考えます。この時出た代替案などが「宿題」となることがあります。

カウンセリングや心理療法で扱う人間の行動は、すべて「相対的マイナスから相対的プラスへの目標追求」という原理に基づいていると理解されます。人は、何か問題を感じる状況(相対的マイナス)に陥ると、それを解決し、より理想的な状態(相対的プラス)を目指して行動します。この「相対的プラス」の状態は、多くの場合、本人が無意識に抱いている非現実的で空想的な「仮想的目標」です。

この原理に基づき、カウンセリングは以下のステップで進められます。カウンセリングでは、この仮想的目標が「競合的」なのか「協力的」なのかを分析することがポイントになります。カウンセラーは、エピソードを聞き終えた時点で、このプロセス全体のシナリオを見通すこととができるよう、トレーニングが必要になります。

以下に示すのは、元来欧米の言語体系で構築されたアドラー心理学のカウンセリング手順を、日本語話者に理解しやすくやりやすく工夫した、『エピソード分析』の手順です。

  1. エピソードの聴取
    「ある日、ある所で、一回だけ起こった、陰性感情を伴う出来事」を、客観的な事実として正確に聞き取ります。これが分析の出発点となります。
  2. 対処行動の特定
    物語を最も大きく動かした、クライアント自身の具体的な行動や言葉を「対処行動」として特定します。
  3. ライフタスクの特定
    その対処行動のきっかけとなった、相手の言動を「ライフタスク」として特定します。
  4. 仮想的目標の言語化
    ライフタスクが理想的な形で解決された状態がどのようなものかを推量し、「仮想的目標」を言語化します。
  5. 協力的目標/競合的目標の判断
    明らかになった仮想的目標が、協力的目標(一緒に問題を解決する方向性の目標。相手も納得してくれそうな目標)または競合的目標(相手を裁いたり、上下関係を決めようとしたりする。実現すると自分にとってはうれしいが、相手は同じようにうれしいとは思ってくれなそうな目標)のどちらにあたるかを、クライアントと共に吟味します。
  6. 新しい行動計画の立案
    目標が協力的な場合は、その目標を達成するためにより有効と思えるような、対処行動の代替案(例:目標をそのまま相手に伝える)を考えます。
    目標が競合的な場合は、その目標を無理に達成しようとすると相手との関係が悪くなります。この場合は相手も納得してくれそうな協力的な目標を探し、その目標を達成するための、対処行動の代替案を一緒に探します。

なお、すべてのセッションの全過程を通じて基本となるのが、R.ドライカースの提唱した「治療的人間関係」、つまり、「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」という良い人間関係を終始築き、カウンセラー(心理療法士)とクライエントの共同作業を続けることです。アドラー心理学のカウンセリングは、教育的ではありますが、教示的ではありません。

アドラー心理学のカウンセラー(心理療法士)であるためには、まず自分自身の私的感覚や競合性を知り、日常生活でアドラー心理学の理論と思想にもとづいて物事を考え行動できるようになること、自分の私的感覚や私的論理を脇に置いて相手の話を聞いたり物事を考えられるようになることが必要です。

アドラー心理学のカウンセラーは、単なる技術者である「ユーザー」とは一線を画す、「プロバイダー(供給者)」として、以下の三つの重い倫理的責任を負っています。

  • 理論への忠実性:アドラー心理学の「基本前提」を正しく理解し、それを崩さずに伝える責任。もし同意できないなら「アドラー心理学」を名乗るべきではありません。
  • 思想の実践:「共同体感覚」という思想を、自らの実生活の中で実践し続ける責任。日常生活で競合的に暮らしている人に、協力的なカウンセリングはできません。
  • ムーブメントへの貢献:アドラー心理学を、より良い世界を実現するための社会運動(ムーブメント)と捉え、それに貢献する責任。これは、過去から未来にわたる世界中のアドレリアンに対する連帯責任を意味します。

この責任を果たすためには、海外の技法を文化的な風土を無視して輸入するのではなく、日本の文化に根差した実践(例:日本における「課題の分離」の重視など)が求められます。また、アドラーや他の先達の著作を「聖典」のように深く読み込み、その思想だけが人類を救済するというほどの確信と、自らの人生を懸けるほどの「覚悟」がプロバイダーには不可欠であるといえます。

「治療的人間関係」とは、アドラー心理学カウンセリングの基本となるルドルフ・ドライカースが提唱した「良い相談関係」を指し、カウンセラーが能動的に関わる「相互尊敬」「相互信頼」「協力」「目標の一致」という四つの条件を満たすものです。

「治療的人間関係」とは、カウンセリングにおける「良い相談関係」を指し、その構築のためにルドルフ・ドライカースが提唱した「四つの条件」がその核心となります。これは、カール・ロジャーズが提唱した「受容」や「共感」といった姿勢とは異なり、セラピスト側がより能動的に関わっていく点を特徴としています。カウンセリングが上手くいかない場合、その99%はこの四つの条件のいずれかが満たされていないからであり、したがってこれらは、セッション後に常に自己点検すべき極めて重要な実践項目となります。この「治療的人間関係」を構成する四つの条件は以下の通りです。

  1. 相互尊敬
    これは単に敬うことではなく、相手を「一回性(Einmaligkeit)」を持つ、かけがえのない「歴史的存在」として捉える、深く能動的な姿勢を指します。相互尊敬とは、語源である「re-spect(再び見る)」が示すように、相手を一人の人間として改めて見つめ直し、その人生の歴史全体を丸ごと掴もうとすることです。この姿勢を通じて、相手の現在の言動が、その人が生きてきた歴史の中で形成されたライフスタイルに根差していることを理解し、深いレベルで相手を尊敬します。
  2. 相互信頼
    これは、クライアントがどのような状態にあっても、その人の最も根本にある「健常で健康な適応努力をする力」を絶対的に信じることです。現在見られる不適切な行動(神経症的策動)は、その人の健康な努力が過去の関係性(例:親子関係)の中で破綻した結果であり、本質的にその力自体が失われたわけではないと理解します。これは精神科医療のような困難な現場で特に不可欠な姿勢ともいえます。
  3. 協力
    これは、セラピストとクライアントが「共に働く(ドイツ語: Mit-arbeit)」という対等な共同作業を行う関係性を意味します。セラピストがクライアントを一方的に「癒す(ヒーリングする)」という縦の関係ではなく、「人生の一時期を共に歩む」という横の関係を築くことです。共に作業し、共に時間を過ごすことを通じて、クライアントのその後の人生に良い影響が残ることを願う、温かい関わり方を指します。
  4. 目標の一致
    これは、関係者間で「目標についての同盟」を結ぶという、意識的かつ契約的な関係を指します。日本文化に見られがちな「仲間だから」といった曖昧な関係ではなく、達成すべき目標、互いの役割、協力する範囲としない範囲を明確に言葉にして合意します。人間は一人では不完全で協力が必要ですが、その協力関係は明確な合意に基づかなければ、誤解やトラブルの原因になると考えます。カウンセリングの冒頭で「何を目標とするか」を合意することで、その後のプロセスが不当な介入や単なるお説教になることを防ぎ、生産的な協力関係を築きます。
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「横の関係」とは、人間関係において能力や役割の違いや責任の大小を認めつつ、人間としての価値には優劣をつけず互いに尊敬し、対等な個人として関わっていく心のあり方であり、成熟した協力関係の基盤となるものです。

「横の関係」とは、アドラー心理学における人間関係の理想的なあり方を示す重要な概念です。これはアドラー自身ではなく、彼の弟子であるリディア・ジッシャーによって提唱されました。この概念を深く理解するには、その対極に位置づけられる「縦の関係」との比較、そして、よく似た日常語である「平等」や「同等」との正確な区別が不可欠です。

まず「縦の関係」とは、例えていえば、心の中に価値観という「はしご」を立てて、そこへ他者と自分とを位置づけて、人としての優劣を決めようとする心のあり方です。そこでの比較の基準は、善悪、良否、美醜など様々です。この関係性では、同じ地位の者の席は一つしかなく、人は常に他者との競争状態にあります。そこでは自分が上に立つために他者を蹴落としたり、自分が下にいると感じれば相手を罰しようとしたりします。

一方「横の関係」とは、「縦の関係」とは対照的に、他者と自分とを捉える際に心の中に価値観の「はしご」を立てず、人間としての価値には優劣をつけない関係です。人々がそれぞれ協力したり、あるいは協力しなかったりしながらも(目標が違う場合など)、それぞれは対等な立場で自分自身の人生を生きていると捉えます。英語ではそれぞれ、Vertical Plane(縦の関係)、Horizonal Plane(横の関係)と呼びます。

ここで注意が必要なのは、「横の関係」はしばしば日常語の他の言葉のイメージと混同されて、誤解されがちな点です。たとえば「横の関係」は、社会や組織の構造がフラットであるべきだ、ということではありません。会社における上司と部下のように、能力や適性に応じて権限と責任が異なる縦の「構造」は、組織が円滑に機能するため必要な役割分担であって、それ自体は問題ではありません。問題なのは、そうした構造上の役割の違いを、人間の価値の優劣と結びつけてしまう、心の中の「縦の関係」です。「上司は人間として偉い、部下である私は人間として劣っている」あるいは「上司である私は人間として偉い、部下たちは人間として劣っている」と考えるのが「縦の関係」であり、「横の関係」では、役割は違えど人間としては対等だと捉えます。

また「横の関係」は、すべての人が「同等(同じ)」であることを意味するものではありません。これは最も重要な区別です。個性や能力の違い、男と女、若者と高齢者、親と子といった立場の違いを無視して、人が全く「同等」に扱われると、ひとりひとりにとってはむしろ不公平で過酷となり、社会秩序はかえって乱れます。それぞれの役割と責任の違いを認め、尊重し合った上で、皆に発言権があり、意見が汲み上げられる状態が真の「平等」であるとアドラー心理学では考えます。

「横の関係」とは、社会的な、あるいは組織上の役割の違いや責任の大小を認めつつ、互いを尊敬し、人間としての価値に優劣をつけず、対等な個人として関わっていく心のあり方です。それは、無責任に全員が「同じ」であると主張する「同等」の関係ではなく、それぞれの違いと役割を尊重した上で成り立つ、成熟した協力関係の基盤となるものです。

家庭内でアドラー心理学を実践するコツは、子どもが「自然の結末」や話し合いで決めたルールから「社会的結末」を学ぶのを援助し、暴力など許されない行為には冷静に選択肢を示して、これらを実行できる対等で協力的な親子関係を築くことです。

アドラー心理学の育児は、単に「褒めない、叱らない」という放任育児ではありません。親が圧力をかける代わりに、子どもが自らの行動の結果を体験し、そこから学ぶことを援助するアプローチを取ります。そのための具体的なコツは以下の通りです。

1, 【自然の結末】を体験させる

これは、親が直接介入するのではなく、子どもの行動が自然にもたらす結果をそのまま体験させる方法です。

  • 親は手出し・口出ししない
    例: 夜更かしをして朝起きられない、冷たいものを飲みすぎてお腹を壊すなど。親が無理に起こしたり、先回りして注意しすぎたりすると、子どもは学ぶ機会を失います。
  • 事前の「仕掛け」が重要
    例: 小学校に入学したら「自分で起きる権利」を与え、目覚まし時計をプレゼントする。その代わり親は起こさない、というルールを事前に子どもと話し合っておきます。これにより、子どもは自分の責任として朝起きることを学びます。
  • 親は動揺せず、子どもを信じる
    子どもが失敗しても、怒ったり心配しすぎたりせず、「この経験を通じて成長する」と信じる姿勢が大切です。
  • 問いかけで学びを促す
    失敗した後に「だから言ったでしょ」と責めるのではなく、「どうしてこうなったんだろうね?」「次からどうしようか?」と問いかけ、子ども自身に原因と対策を考えさせます。「賢いことを学んだね」と締めくくることで、子どもの学びを肯定します。

2, 話し合いでルールを決めて親子で守り、【社会的結末】を学ぶ

暴力や他人に迷惑をかける行為など、自然な結果に任せておけない問題については、家族でルールを決めます。

  • 子どもの話を聞く
    子どもの考えを理解するために、陰性感情や善し悪しの判断を抜きにして、まず子どもの話を聞きましょう。ただそれまでの親子関係の結果、子どもの勇気がくじかれていれば、子どもは「親に自分の考えを言ってもいつも否定されるし、結局親の思うとおりにされるので、ここで話をしても仕方がない」と思って、自分の考えを言わないかも知れません。
  • 家族会議で民主的にルールを決める
    子どもの話(考え)を聞いた上で、もし必要なら親からも、一般的にどう考えるかとか、親自身はどう考えているかなどを伝え、それに子ども自身も納得してくれれば、子どもと話し合ってルールを作っていきます。この段階で子どもからアイデアが出なければ、親からも守れそうなルールを提案することになります。
    ただこの場合も、親がいつも正論をかかげて子どもの考えを聴かないとか、陰性感情を使って「話しあい(と称する説教)」などしていれば、子どもは話し合うことをめんどくさがって、ただ親の言うとおりにしてしまう可能性があります。結局、大切なのは、普段から親(大人)が終始ヨコの関係で子どもと接することなのです。
  • ルールは全員が守る
    このようにして決めたルールを、子どもだけでなく親も守ります。「親は例外」というルールでは、子どもは納得しません。ルールを守ったことで得られる結末も、守れなかったことで生じる結末も、親子がともに引き受けます。そうすることで子どもは、ルールを守るということがどういうことなのか、学ぶことができるのです。また、ひょっとしたら親にもそうした学びがあるかもしれません。
  • 実行可能なルールにする
    ルールを作ったら「お試し期間」を設けるなどして、守れるルールかどうかを確認し、必要に応じて見直します。守れないルールだと分かれば、その理由を親子で考えて代替案を工夫し、あらためて新しいルールを守る約束をします。
  • 家族会議を儀式として楽しむ
    「家族会議」と銘打って少し形式張って行うことで、ルールに権威が生まれます。深刻にならず、楽しんで行うことが長続きのコツです。

3, 【選択できない可能性】には親が介入し、【社会的結末】を体験させる

暴力や家族の生活に差し支える行為など、社会のルールや社会通念に反する行為(=選択できない可能性)に対しては、親が介入します。

  • その行為を制止する
    感情的にならず、きっぱりと実行します。
  • その行為の結末と、社会的に望ましい行為の結末を、選択肢として提示する
    たとえば兄弟喧嘩の場合、喧嘩を続けて手を出すなどがあれば、兄弟で仲良く遊べなくなります。あるいは、ゲームをしながら食事をすることは、(社会通念的に)家庭内でも許されないことでしょう。よって前者では「仲良く遊ぶか、一人で遊ぶか、どちらかを選んでください」、後者では「ゲームをやめて食事をするか、この食事は抜きにしてゲームをするか、どちらかを選んでください」と、子どもの行為の【社会的結末】と、望ましい行為の結末を選択肢として提示し、子どもに選んでもらいます。
  • 親子がともにルールを守る
    上の例で、子どもが「仲良く遊ぶ」、あるいは「ゲームをやめて食事をする」を選んだにもかかわらず、再び暴力を振るったり、食事が終わっていないのにゲームを始めた場合は、「一人で遊ぶことを選んだ」あるいは「食事は抜きにしてゲームをすることを選んだ」とみなし、前者ならその場から引き離し、後者なら食事は下げてしまいます。
    子どもが泣いても言い訳をしても、毅然とした態度を貫くことが重要です。約束したルールは親子がともに守らなくてはなりません。またそうすることで、子どもは【社会的結末】を体験し、学ぶことができるからです。

4, 冷静に話し合える親子関係が不可欠

上記のコツを実践する大前提として、親子が対等な立場で、冷静に協力して話し合える関係を築くことが不可欠です。

  • 関係が未熟なうちは「課題の分離」に徹する
    冷静な話し合いが難しい間は、無理に共同の課題にしようとせず、「それはあなたの課題だから、あなたに任せます」と伝え、手を出さずに(課題の分離)、優しく注意深くこどもの行動を見守ります。
  • 関係が成熟すれば「共同の課題」に取り組める
    親子が信頼しあえる対等な仲間になれば、たとえ不登校などの難しい問題であっても、「ちゃんとした大人になる、という目的のために、一緒に何ができるか考えよう」と、協力して解決策を探ることができます。

世間一般の相談に乗る際のアドラー心理学からアドバイスは、まずどのような相談なのか、この相談で何を目指すのかをお互いに明確にし、相手の能力を信じ「相互信頼」と「相互尊敬」に基づく対等な関係のなかで相談に応じ、具体的な「エピソード」から「原因」ではなく「目的(競合的か協力的か)」を分析し、答えを与えるのではなく複数の「選択肢」を提示して相手自身に解決策を選んでもらうことです。

以下は専門的なカウンセリングの話ではありません。いわゆる世間一般でいう、「ちょっと相談に乗る」といった話です。これらは単なる聞き方のテクニックではなく、アドラー心理学に基づいた、相談相手が自らの力で問題を解決できるようになるための心構えと具体的な手法です。

相談に乗る前の大前提と心構え
まず、具体的な技術に入る前に、相談に乗る上で最も重要となる3つの前提があります。

  1. 相談は「契約」である
    最も基本的なルールは、相手からの明確な要請なしにアドバイスを始めないことです。「相談に乗ってほしい」「意見が欲しい」という双方の合意(契約)があって初めて、相談は成り立ちます。いきなり「こうした方がいい」と助言するのは、相手の領域に踏み込むルール違反です。
    また、これは相談を受ける側にも言えることで、自分の専門外であったり、対応が難しいと感じたりした場合は、無理に引き受けず断る権利があります。
  2. 相手を信じ、解決を「委ねる」姿勢を持つ
    相談に乗る側が陥りがちな間違いは、「自分が相手を助けてあげなければ」「正しい道に導いてあげなければ」という支配的な考え方です。
    重要なのは、「相手は自分の力で問題を解決できる能力がある」と心から信じること、です。相談に乗る者は、あくまで選手本人ではなく「コーチ」です。試合に出るのは相手自身であり、私たちはその人が力を最大限発揮できるよう手伝うだけで、代わりに問題を解決することはできません。この信頼関係がなければ、本当の意味での援助は不可能です。
  3. 相性がすべてであると知る
    医者選びと同じように、相談においても相談する側とされる側の「相性」が非常に重要です。どんなに優れた専門家でも、相性が合わなければ良い結果にはつながりません。もし相手が自分に合わないと感じているようであれば、無理に関係を続ける必要はありません。お互いに「この人とならやっていける」という感覚が大切です。

すべての土台となる「良い人間関係」の築き方
良い相談は、良い人間関係という土台の上にしか成り立ちません。テクニック以前に、以下の4つの条件を満たす関係を築くことが不可欠です。

  1. 相互尊敬
    相手を「間違っている」「劣っている」と裁くのではなく、一人の対等な人間として敬意を払うことです。たとえその行動が問題に見えても、「その人なりに、自分の理想に向かって一生懸命生きている」という善意を認めます。
    重要なのは、「人格」とその人の「行為」を分けて考えることです。ある「行為」が問題であっても、その人の「人格」を否定してはいけません。
  2. 相互信頼
    前述の「相手を信じる姿勢」と同じです。相手の能力を信頼し、課題を乗り越える力を信じ、最終的な決定を本人に委ねます。
  3. 協力
    上下関係で「指導する」のではなく、対等な立場で「役割分担」をしながら、共通の目標を目指すことです。相談に乗る側と乗られる側では役割が違いますが、人間としての価値は全く同じ「平等」な関係です。
  4. 目標の一致
    「この相談がどうなったら成功(終了)なのか」というゴールを最初に共有することです。「夫婦関係を修復したいのか、それとも円満に離婚したいのか」など、目指す方向性を最初に明確にすることで、建設的な話し合いが可能になります。

問題を深く理解するための具体的な分析手法
良い関係を築いた上で、以下の手法を用いて問題を分析していきます。

  1. 「エピソード」に焦点を当てる
    「いつも夫が冷たい」といった漠然とした話(レポート)ではなく、「昨日の夜、こんな出来事があった」という具体的な一度きりの出来事(エピソード)を詳しく聞きます。具体的な状況の中にこそ、問題の本質が隠されています。
  2. すべての行動を「目的」から理解する(目的論)
    人の行動を「何が原因か(原因論)」で見るのではなく、「その行動によって、どんな目的を達成しようとしているのか(目的論)」という視点で見ます。
    すべての行動は、本人が無意識に「今より少しでも良い状態になりたい」という目的(仮想的目標)のために行われています。不登校も、いじめも、夫婦喧嘩も、その行動を取ることで本人が得ている「良いこと」が必ずあります。
  3. 目標の種類を「競合的」か「協力的」か見極める
    相手の「仮想的目標」を分析する際、それがどちらのタイプかを見極めることが重要です。
    競合的な目標
    「どちらが正しいか/間違っているか」「どちらが善か/悪か」を決め、相手を打ち負かし、裁こうとする目標です。これは人間関係を破壊するだけで、何の解決にもなりません。この場合、「そのやり方では、あなたの本当の望みは叶わないのではないか?」と問いかけ、相手を裁くことの不毛さに気づいてもらう必要があります。
    協力的な目標
    相手を裁く意図はなく、純粋に関係を良くしたいと願っているが、うまくいっていない場合です。この場合、目標自体は素晴らしいものとして肯定します。問題なのは、その目標を達成するための「手段(対処行動)」が間違っていることです。(例:夫に早く帰ってきてほしいのに、不機嫌な態度で責めてしまう妻)

解決へ導くための最終ステップ
分析を通じて問題の構造が明らかになったら、最後は相手が自ら一歩を踏み出せるように援助します。

  • 複数の「選択肢」を提示し、相手に選んでもらう
    「Aというやり方とBというやり方がありますが、どちらを試してみたいですか?」というように、具体的な選択肢を提示し、最終的な決定を相手に委ねます。
    (例:「ご主人が帰りたくなるような家作りを工夫してみますか?それとも、今まで通り不満を伝え続けますか?」)
    相談に乗る側が「こうしなさい」と答えを与えるのではなく、相手が自分の意志で道を選ぶ手助けをすることが、その人の自立と成長につながります。たとえその選択が最適に見えなくても、その決定を尊重し、信頼し続けることが大切です。
Tags: 協力, 目的論

アドラー心理学では、高齢の親とは「縦の関係」や過去のイメージの呪縛を乗り越えて「横の関係」を築くことが重要であり、具体的には、日常の出来事を共有したり親の経験を頼ったりして「仲間」としての所属感を満たし、不満には反論せず傾聴することで、尊敬と感謝に基づいた関係を再構築することを教えます。

高齢者、特に自身の親と良好な関係を築くためには、テクニック以前に私たちの心構えを見直すことが重要です。その基本原理は、アドラー心理学における子育ての考え方と多くが共通しています。しかし、子供に対する関係とは異なる特有の難しさも存在します。
アドラー心理学の対人関係論は、相手が子供であれ、年老いた親であれ、その基本原理は変わりません。それは相互尊敬相互信頼に基づいた、対等な横の関係を築くことです。しかし、親との関係には以下の2つの難しさがあります。

  1. 辛抱強さの違い
    私たちは子供の未熟さや失敗には辛抱強くあれますが、自分の親に対しては感情的になりやすく、寛容さを失いがちです。特に、配偶者の親(姑・舅)に対しては、その傾向がさらに強まることがあります。
  2. 過去のイメージの呪縛
    親はいつまでも我が子を「子供」として見てしまいがちです(例:60歳を過ぎた息子に18歳当時と同じ量の食事を用意する)。同時に、私たち自身も親に対して「子供の頃の親」のイメージを引きずってしまい、対等な大人同士として向き合うことを難しくしています。

具体的なコミュニケーションの実践法
感情的な対立を避け、建設的な関係を築くためには、問題が起きる前の「予防」と、起きてしまった後の「対処」の両方が重要です。

【第一の鍵】 問題を未然に防ぐ:「仲間」であり続けるための工夫
親が不平不満や悪口を言う背景には、会話についていけず、「自分は仲間外れにされている」という孤立感がある場合が少なくありません。そのマイナスの感情を埋めるために、たとえ否定的な反応でも、相手が確実に反応する話題(例:亡くなった配偶者の悪口、体の不調、他人の悪口)を選んでしまうのです。
この状況を避けるために、こちらから積極的に「仲間」であると感じてもらう働きかけが極めて重要です。

  • 共通の話題を継続的に提供する
    日々の出来事をメールで報告したり、電話で話したりして、こちらの状況を共有する。「今晩のおかず、何がいいかな?」「この時期の魚は何が美味しい?」など、日常的な相談を持ちかける。
  • 親の知識や経験を尊重し、頼る
    おせち料理の作り方、冠婚葬祭のしきたりなど、親が得意とする分野について教えを請う。多少の苦労をかけてでも「自分がいないとこの子たちは駄目ね」と思ってもらうことが、親の所属感を満たす。

【第二の鍵】 問題が起きた時の対処法:目的を「仲間になること」に再設定する
もし親が不満を口にし始めても、感情的に反論してはいけません。それは関係を悪化させる「権力争い」に陥るだけです。この時の目的は、相手を言い負かすことではなく、「もう一度、仲間になること」です。

  • まず、相手の話を最後まで聞く(傾聴)
    相手の方をしっかり見て、相槌を打ちながら、話を遮らずに最後まで聞きます。それだけで相手の気持ちは落ち着き、会話が一方的な不満で終わるのを防げます。
  • 「開かれた質問」で話を深める
    「はい/いいえ」で終わらない質問(例:「へえ、例えばどんなことがあったの?」)をすることで、相手はさらに自分の気持ちや状況を話すことができます。
  • 相手の言葉の背景を理解する
    話を聞いているうちに、不満の裏にある本当の気持ちや、良い思い出などが語られることもあります。例えば「夫の金遣いが荒い」という不満も、見方を変えれば「気前が良かった」という長所であったりします。じっくり話を聞くことで、より深い理解に至ることができます。

尊敬と信頼の出発点
親に対して尊敬の念を持つことが、良好な関係の土台となります。

  • 「恩返し」の気持ちを持つ
    私たちが子育てで苦労するように、親の世代はもっと不便で大変な時代に、私たちを育ててくれました。その苦労に思いを馳せ、「よくぞ育ててくれた」という感謝と尊敬の念を持つことが大切です。
  • 「できること」に注目する
    年齢と共に「できなくなったこと」を数えるのではなく、長年の経験で培われた知恵や能力など、「できること」に注目し、頼りにすることで、親の自尊心を支え、良い関係を築けます。

認知症への応用
これらの原理は、親が認知症になった場合でも応用できます。病気自体は治せなくても、私たちの接し方次第で、日常生活の様子や症状は変わります。相手の不可解な言動は、実は私たちの対応が引き金になっている可能性もあります。諦めずに、尊敬と信頼に基づいたコミュニケーションを続けることが重要です。

社会と家族のあり方
私たちは、物質的な豊かさや介護保険・バリアフリーといった社会制度を充実させれば幸せになれると考えがちです。しかし、それに頼りすぎることで、かえって人間の本来持っている力や家族の絆が失われている側面もあります。

  • 制度への過度な依存からの脱却
    本当に大切なのは、制度に任せきりにするのではなく、「自分たちの家族は自分たちで守る」という決意を持つことです。
  • 家族で看取ることの価値
    病院のベッドの上ではなく、住み慣れた家で、家族に囲まれて最期を迎える。その荘厳な時間を家族で共有することは、何にも代えがたい経験となります。

結論
高齢者との付き合いは、単なるコミュニケーション技術の問題ではありません。それは、「お年寄りと一緒に暮らす」という家族全体のあり方をどう再構築するかという、より大きなテーマです。アドラー心理学の知恵を借りながら、尊敬と協力を基盤とした人間らしい関係を、私たち自身の決意によって築いていくことが求められています。

アドラー心理学を教育現場で活かすには、教師が「所属感」の育成と「未来の民主的社会を担う人間を育てる」という大きな視座を持ち、原因論から目的論へ転換して賞罰教育を避け、子ども自身の力を信じて「引き出す」関わり方を実践する点に注意が必要です。

アドラー心理学を学校教育の現場で活かすためには、単なるテクニックの導入ではなく、教師自身の根本的な心構えの変革と、子どもたちへの深い理解に基づいたアプローチが求められます。
その注意点は、大きく「持つべき視点」と「具体的なアプローチ」に分けられます。

教師が持つべき基本的な心構えと視点

  1. 究極目標を理解する:「所属感」の育成
    教育の究極目標は、子どもたちが将来、共同体の一員として貢献しながら所属できるようにすることです。そのために、子どもたちが「人々は仲間だ」そして「私は能力がある」という二つの基本的な信念を持てるよう支援することが、あらゆる指導の根幹となります。
  2. 原因論から目的論への転換
    子どもの問題行動を見たとき、「なぜこんなことをするのか?」と過去の原因を探るのではなく、「この子は何を求めているのか?」と未来の目的を考えることが不可欠です。そして、その究極の目的は常にクラスへの「所属」である、という視点を持ちます。
  3. 感情的な即時反応をしない:「ストップ・シンク・アクト」
    問題に直面した際、すぐに叱るなどの感情的な反応をしてはいけません。まず「①ストップ(止まる)、②落ち着く、③考える、④それから行動する」という原則を徹底します。冷静な対応が、建設的な関わりのための絶対的な前提条件です。
  4. 二者関係ではなくクラス全体の力学で捉える
    学校教育は家庭とは異なり、常に「教師-生徒」と「生徒-クラス全体」という二重の力学が働いています。問題行動は、表面的には教師に向けられていても、その真の目的はクラス内での所属感を確保するためであることが多いと理解すべきです。そのため、安易に教師と生徒の一対一の関係(例:職員室での説教)だけで問題を解決しようとすると、かえって問題を強化しかねません。
  5. 教師の限界を認め、子どもたちの力を信じる
    教師一人がすべてを解決できるわけではありません。教師の役割は、クラスを支配する「扇の要」ではなく、子どもたちのネットワークを支援する「コンサルタント」です。子どもたち自身が持つ問題解決能力や、子どもたち同士の助け合いの力(総合援助の力)を信頼し、それを引き出す関わり方が求められます。

具体的なアプローチにおける注意点

  1. 賞罰教育を避ける
    賞や罰を用いる教育は、子どもを「競合」的な関係(勝ち負けや優劣の世界)に引き込み、協力的な学びを阻害するため、原則として用いるべきではありません。
  2. 「教え込み」から「引き出す」へ:循環的話法の実践
    「~しなさい」という一方的な指示・命令(直線的話法)ではなく、「どうすればできると思う?」といった、子ども自身に考えさせる「循環的な問いかけ」を多用します。これは、教師が答えを教え込む(インストラクト)のではなく、子どもが本来持っている答えやアイデアを、対話を通じて引き出す(エデュケート)ためのアプローチです。
  3. 貢献の機会を与え、クラス全体に働きかける
    不適切な行動に注目する代わりに、その子の長所や得意なこと(パーソナル・ストレンクス)を見つけ、クラスのために貢献する機会を与えます(特に小学生に有効)。また、個人の問題として抱え込ませず、「〇〇君がクラスに所属できるよう、みんなで何ができるだろう?」とクラス全体に問いかけ、協力して解決する文化を育みます。
  4. 「解決」に焦点を当て、具体的なステップを示す
    原因追及に時間を使うのではなく、実現可能な解決像を子どもと共に描き、そこに向かうための具体的な方法を考えます。その際、大きな目標を達成可能な小さなステップ(階段)に分け、スモールステップで進めるよう支援することが重要です。

これらの実践は、単なるクラスルームマネジメントの技法に留まりません。それは、子どもたちに「共同体感覚」と「常識」を教え、他人の問題を「自分には関係ない」と切り捨てるのではなく、「私にできることは何か」と考える、成熟した市民としての態度を育むプロセスです。最終的に、アドラー心理学を教育現場で活かす上での最も重要な注意点とは、学校教育の役割が、未来の民主的な社会を担う、協力的で責任感のある人間を育てることにある、という大きな視座を持つことだと言えるでしょう。

こみ入った話ですので、ご説明が長くなります。

これらはそれぞれ、育児における主要なアドラー心理学技法です。基本的なアイデアはドライカースによるもので、このうち社会的結末は日本だけで教えられており、論理的結末は主に米国で教えられています。自然の結末はどちらの国でも教えていますが、意味合いには明確な相違があります。心理学技法というものは実践的なものなので、こうした相違は、各国の文化的な特性に対応するため生じたものです。そのため、日本での教え方は米国の人々には向かないでしょうし、米国での教え方は日本人には向きません。この点を間違えると、実際の育児や対人関係に深刻なトラブルを招くおそれがあり、注意が必要です。

ここでいうドライカースのアイデアとは、子どもは、自分の行為によって自然と起こる結末を自ら体験することで、学び、成長できる、だから過干渉な育児は避けるべきだが、子どもの行為の中には、取り返しがつかなかったり他者に危害が及ぶような結末を招くものもある。そうした可能性は、親が介入し回避しなければならないが、しかしそれだけでは、子どもは重大な物事について何も学ばないままになってしまう。そこで自然な結末のかわりとして、子どもの行為が原因となって起こるはずの出来事のなかで、危険がなく、子どもにとって教訓的な結末を親が「演出」し、それを子どもに体験させる、これを「論理的結末」と呼び、技法として提案したものです。つまり「論理的」というのは、子どもの行為と本人が体験する結末との間に、原因とその結果という論理的な関係がある、ということです。ここでなぜ論理的でなければならないかというと、行為と論理的に結びつかない結末を子どもに課すことは、単なる「罰」に過ぎず、子どもはそこから、どのように行為すればどのような結果に至るのかといった物事の道理を学ぶことができないからです。

一方、日本における技法ですが、子どもにはできるだけ行為の結末を経験させるべきであり、「罰」を与える育児はしない、選択的できない可能性は親が介入して回避させる、という基本方針は全く変わりません。しかしながら、選択できない可能性の代わりに論理的結末を親が「演出」し、平然とポーカーフェイスで子どもに経験させる、というアプローチは、はたして日本で可能でしょうか。日本人は親も子どもも、欧米人ほど論理的ではありません。欧米のように、情よりも論理に価値を認める文化ではありませんし、私たちが思考とコミュニケーションに用いる日本語それ自体が、英語ほど明確な論理的構造を持っておりません。また少なからぬお母さんお父さんは、そこまで演技上手とはいえないでしょう。

そのため野田俊作は、アドラー心理学による育児を日本に導入するなかで、親の介入でいきなり論理的結末を体験させるかわりに、子どもが不適切な行為を行った場合には、その行為についてまず子どもの意見をよく聞いて、そこでよく話し合いながら、子どもに実行可能で、しかも世の中のルールに適った適切な行為が何であるかを一緒に考えて、それを親子で約束する。約束を守らなかった場合には、そうしたときに世の中で当然とされている結末をペナルティとして体験してもらい、それにより社会のルールを学んでもらう。このように、日本人にとって分かりやすく、行いやすく、納得しやすい手続きを考案しました。この技法を、「社会的結末」と呼びます。論理よりも、どちらかといえば社会常識の線に沿ったアプローチであり、また、親子がともに話し合って、どういったことが社会的に適切なのかを模索し学んでいく点で、非常に教育的効果の高い技法ともいえます。

ちなみに日本では、子どもが社会のルールを体験した場合には、子どもが自然に体験した場合も、親が介入した場合でも、どちらも「社会的結末」を体験したと捉えます。そして、「社会的結末」以外の結末すべてを「自然の結末」と呼びます。一方、米国では「論理的結末」以外の「結末」すべてを「自然の結末」と呼んでいます。したがって日本と欧米では、「自然の結末」という言葉の意味合いにはズレがあります。しかしどちらにせよ、これらの技法は賞罰とは決定的に異なる、子どもが自ら学び、成長へと結びついていく技法なのです。

なお、冒頭でも触れましたが、これらの技法を誤って互いに混同したり、我流で用いたりすると、自分にはそのつもりがなくとも、ハラスメントやDV、あるいは病的な育児となってしまう場合があります。ことに、論理的なつもりで行為の結末とは関係のない罰を与え続けていたり、社会のルールと称して親の個人的な意見ばかり押し付けていたり、話し合いと言いながら一方的な説教しか行わないなどの、言っていることとやっていることが真逆のような育児になってしまえば、子どもはそうした矛盾の中で板挟みになって、大変に苦しみます。育児がそうした悲劇に陥らないために、AIJでは「論理的結末」はカウンセラー養成など専門的な教育過程だけで扱うこととし、一般の方には、分かりやすくリスクも比較的低い、自然の結末と社会的結末のみを学んでいただきます。