アドラー心理学Q&A

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課題の分離について

親の責任とは、課題を肩代わりするのではなく、「課題の分離」を協力への準備段階と位置づけ、子どもが自ら課題に取り組む「勇気」を持てるよう援助することです。

「課題の分離」は放置や責任放棄ではありません。課題の分離とは、親子あるいは仲間同士が支え合い、協力し合って暮らすための、その準備段階にあたる技法です。文化的な傾向として、課題が誰のものなのか混乱しがちな日本でも、安全にアドラー心理学が使えるようにと、かつてのドライカースのアイデアを元に、野田俊作が考案しました。

ときどき世の中で、「課題の分離」をアドラーの思想の核心のように説明していることがあるようですが、それは全くの誤りです。課題の分離はアドラー自身の主張には含まれていませんし、またこれは「技法」であって、目指すべき理想や哲学ではありません。親子それぞれが自分の責任を果たしながら、協力しあって暮らしていくことが、アドラー心理学に基づく家族の暮らし方です。そうした分担と協力の準備のためにこそ、いったん課題を「分離」するのです。したがって、課題を機械的に切り離すことが課題の分離なのではありません。横の関係に立って親子で心から話し合い、どの課題が誰の負うべき課題なのかを明らかにすることが「課題の分離」なのです。

親としての責任は、子どもの責任を肩代わりすることではなく、子どもが自分の課題に取り組む「勇気」を持てるよう援助することです。具体的には、子どもの話をよく聞いたうえで、子どもの力を信じ、見守り、励まし、努力を見届ける、必要ならば子どもと話し合って勉強の環境を整える、子どもの様子に応じて困っているか声をかける、問われれば質問に答える(答えを教えず考え方を導く)などの援助が考えられます。

「課題の分離」は無関心や放置を推奨するものではなく、相手の課題に土足で踏み込まない範囲で協力的な姿勢を示し、必要とされる場合に仲間として支援するものです。

「課題の分離」は他者への無関心を推奨するものではありません。対等な立場の仲間にたいして、困ったときは支援が可能と申し出ておくなど協力的な姿勢を示すことは、むしろ推奨されます。なお、本人が状況的、立場的、精神的、身体的に、助けを求めることができない場合があることにも注意が必要です。

しかし、だからといって相手の課題に土足で踏み込んだり、無断で相手の責任を肩代わりしたりすることは、相手を対等な立場で尊重しているとはいえません。チームの一員として信頼してお互いに仕事を分担しながら、相手の努力によく注意を払い、必要とされる場合は仲間として可能な支援を行う、こうしたあり方こそが、むしろ良好なチームワークとはいえないでしょうか

社会問題はそれ(問題)を生み出した側、結末に直面している側、解決に向けて対処できる側が少なからず一致しない特徴を持つため、「個人の課題」だと片付けて、結末が波及している側だけに責任を押し付けるのは、課題の分離とは相容れない姿勢と考えられます。

世の中で一般に言われている「それは個人の課題だ」とは、その課題を解決すべきなのは、その課題に直面している本人に限られる、といったような考え方を指すと思います。他方アドラー心理学では、課題への責任とは応答責任(Responcibility)であって、本来その課題に対処すべきなのは誰なのか、といったことを意味します。課題に直面した本人だけでその課題を解決しなくてはならない、とは考えません。

また、ことに社会問題においては、それを生み出した側と、その結末に直面している側、解決に向けて充分な対処ができる側が、少なからず、あるいは概ね一致しないという特徴があります。そのように事態が個人で完結せず、社会的な広がりがある問題だからこそ、社会問題と呼ばれるのではないでしょうか。にも関わらず、そこで「それは個人の課題だ」と片付けてしまうのは、往々にして本来その課題に対処すべき側以外に責任を押し付けてしまう点で、「課題の分離」とは相容れない姿勢と考えられます。

その通りで、課題の分離は協力的な関係のための準備作業ですから、一方的に主張するのではなく、まず対話を通じてその課題が誰のものかを互いに確認することが求められます。

その通りです。もちろん、こちらの側での課題の分離への理解が不充分である場合にも同様の結果となります。そもそも課題の分離とは、様々な課題を本来負うべき人が負うことで適切に分担し、また必要ならば皆の『共同の課題』として力を合わせて対処していくための、その準備作業にあたります。一方的に、ある日いきなり課題を分離しようと言い出して話し合いもせず、またその後を見守りもしないようでは、アドラー心理学が目指す協力的な関係とはいえません。まずはじめに対話を通じて、その課題がそもそも誰にとってのどのような課題であるのかを、お互いにしっかりと確認することが求められます。