アドラー心理学Q&A

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自己決定性・ライフスタイルについて

いいえ、影響は大きいと認められますが、それらが人生を決定づけるのではなく、個人がそれらの条件(材料)にどのような「意味づけ」を行い、どう「用いるか」によってライフスタイルは形成されると考えます。

それらの影響は確かに認められます。特に、家族構成(アドラー心理学では「家族布置」と呼びます)と、持って生まれた障害(「器官劣等性」と呼びます)が個人の性格に与える影響は大きいと考えられます。しかし、それらが直接的に人生すべてを「決定づける」わけではありません。個人が概ね無意識に、それらにどのような「意味づけ」を行い、それらをどのように「用いるか」によって、アドラー心理学でいうところのライフスタイルは形成されるのです。その意味で、ライフスタイルは環境によって直接作られたものではなく、生得的な条件や家庭環境を材料として、個人が自ら創造したものともいえます。

いいえ、疾患や障害そのものは生物学的要因などによるもので、本人が選んだなどと解釈することはありません。そうした方の困難に対してはまず医療的対応を優先した上で、アドラー心理学は、その人が困難な状況でも可能なことを生かしてどう生きていくかという点に関わります。

人が自ら、精神疾患や発達障害そのものを「選んだ」などとは解釈しません。それらは基本的に、遺伝をも含む生物学的要因によるものであり、前者については環境要因も複雑に関与します。それらを持つ人々の困難は、あくまで疾患や障害が直接招いたものであって、そこへさらに、世の中からの理解の度合いや、ケアの手厚さなどの社会的要因が影響を与えます。治療や療育の成果には本人の寄与が何よりも大ですが、だからといって、現在の困難が本人に起因すると考えるのは本末転倒な話です。

精神疾患や発達障害の疑いがあるときは、アドラー心理学などのカウンセリング対応よりも前に、医療機関での精神科医による診断・治療と、必要に応じた心理専門職による対応が優先されます。精神疾患や発達障害を持つ人の困難についてアドラー心理学が関わるのは、困難な状況の中でも、その人が自分に可能なことを生かして人々とともにどのように生きていくのか、という点にあります。

実はアドラー自身が生まれつき難病である「くる病(骨軟化症)」を患い、4歳まで歩けないなどの困難を抱えて育ちました。にもかかわらず、アドラーはその困難を乗り越えて自ら医師となり、さらにアドラー心理学を提唱して人類に貢献しました。彼と同じ努力をすれば彼のようになれるとは考えませんが(むしろ、ひとりひとりの状態や背景に合わせた個別化された取り組みが必要です)、しかし、彼のアプローチのもつ豊かな可能性を、他ならぬ彼自身が示してみせている、とはいえるように思います。

いいえ、そもそもアドラー心理学は、勇気だけで何もかも解決するとは考えておりません。また構造的不平等の解決は個人の気持ちの持ちようの問題ではなく、社会における多くの人々の様々な実際の貢献によってこそ可能となるものです。

社会構造上の問題に限らず、アドラー心理学では、個人の勇気だけで物事すべてが解決するとは考えていません。「勇気づけ」という言葉が有名となったためか、アドラー心理学では「勇気」さえあれば何もかも解決できると信じている、といったような誤解が生じているようですが、それは誤りです。

そもそもアドラー心理学では「勇気」という言葉を、きわめて独特の意味合いで使っています。世の中で少なからず「勇気がある」といわれている行為であっても、その行為が実際には社会(共同体)にとって破壊的ならば、私たちはそれを「勇気」と呼びません。アドラー心理学では、人が共同体に所属して、そこでお互いに貢献をしながら共同体を支えていこうとすること、そうした姿勢全般について「勇気」という言葉を用いており、そのような姿勢を促すことを「勇気づけ」と呼んでいます。

ちなみに、ここでいう貢献とは、共同体に有益な行為全般を指し、したがってそこには、いわゆる「勇気ある行為」に限らず、誠実さ、謙虚さ、公正さ、聡明さ、慎重さ、正義、熟慮、慈愛といったような、他の様々な美徳を伴う行為が含まれます。共同体の維持存続には、倫理的・道徳的ともいえるそれら有益な行為の数々が不可欠であり、よって社会での構造的な不平等に関しても、多くの人々が実際に力を尽くし、それらの貢献を重ねてこそ解決が可能となります。それぞれの個人が(いわゆる)勇気を持つことは解決に向けてのそのスタート地点のひとつではありますが、解決方法のすべてではありません。

いいえ、ライフスタイルの全体的な変容は容易ではなく、大きな勇気と努力が必要です。「いつでも変われる」とはそのプロセスの容易さではなく、いつからでも開始できるという可能性を示すものです。

アドラー心理学は、むしろ、ライフスタイルの全般的な変容が容易ではないことを説明します。それは、個人が長年そこに安定していた習慣や信念体系から、別の習慣や信念体系へと移行することであり、そのためには大きな勇気と努力が必要であって、またカウンセリングなど適切な援助が必要となることも少なくありません。「いつでも変われる」とは、いつからでも変わることができるという可能性を示すものであり、そのプロセスが容易であるという意味ではありません。

ただし、人生で直面する問題の多くは、本格的なカウンセリングを伴うライフスタイル全般の変容を経なくとも、その課題に対する目標や対処方法を見直すことで解決できる場合が少なくありません。また、そのようなささやかな変化の積み重ねで、長年染み付いた性格や習慣が変わっていく可能性もあります。性格や習慣を変えたいなら、まず、普段のほんの小さなところから始めてみてはいかがでしょうか。

フロイト的な「無意識」は主張しませんが、自覚されていない行動の目的やパターンなど、個人に意識されにくい側面があることを認めます。衝動は器質的要因でないかぎり、ライフスタイルと関連づけて理解しようとします。

アドラー心理学は、フロイト的な人間行動の諸原因としての「無意識」を主張しませんが、行動の背景にある「自覚されていない目的」や「私的論理(private logic)」の存在は認めます。これらは、意識と無意識とを截然と分けるのではなく、意識されにくい個人の行動パターンとして捉えられます。衝動も、器質的な事情(内因性の精神疾患や、重度の強迫行為、解離症状など本人の意思・目的とは言い難い症状、発達障害の特性によって生じる困難、投薬の影響など)によるものでないかぎりは、その人のライフスタイルと関連づけて理解しようとします。