主要概念
「劣等コンプレックス」とは劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げる状態を指し、「優越コンプレックス」とはその劣等感を隠すために自分が優れているかのように振る舞う、劣等感の裏返しである状態を指します。
アドラー心理学における「劣等コンプレックス」とは、人が持つ「劣等感」を、人生の課題から逃れるための口実として利用している状態を指します。これは、困難に対して建設的に取り組むことを避け、自分を正当化するための自己欺瞞に他なりません。その目的は、現状維持が失敗を招いたとしても、その責任を自分以外のものに転嫁することにあります。また「劣等コンプレックス」は、過度に心の傷や被害者意識などを訴えることで周囲の同情を引いたり、相手を感情的に支配する手段として使われることもあります。
では、人はどのようにして「劣等コンプレックス」を使うに至るのでしょうか。人間は誰しも、生まれながらにして「自分は劣っている」と感じているわけではありません。しかし、成長の過程で、社会や家庭、学校における様々な要因の影響により劣等感を持つようになると考えられます。
子どもは言葉を覚えるにつれて、物事の「違い」を「優劣」として区別し始めます。その際に、親や教師が「どうしてできないの?」「もっと頑張らないとダメ」といった否定的な言葉(アドラー心理学で言う「勇気くじき」)を投げかけると、子どもは「自分は(人として)劣っている」という思い込み、つまり劣等感を抱くようになります。
この「自分は劣っている」という感覚は、客観的な事実ではなく、作られた思い込み(フィクション)です。しかし、この劣等感から逃れるために、人は「優越」という架空の目標を立て、それに向かって努力を始めます。この「劣等から優越へ」という動きそのものが、ライフスタイルの基本構造となりますが、多くお場合、初めからピントがずれた努力に陥りがちです。
身体的な特徴(器官劣等性)、性別、生まれ育ち、経済状況、さらには家族や上司といった人間関係まで、本人と相手が納得しさえすれば、ありとあらゆるものが劣等コンプレックスの材料となり得ます。現代社会では、特に「老い」がネガティブなものと捉えられ、高齢者が大きな劣等感を抱えやすい状況にあります。
人が劣等コンプレックスを人生の主要な方針として用いるようになると、それは「神経症」と呼ばれます。神経症的な人は劣等コンプレックスを実践しており、自分が作り出した口実に完全に騙されている状態にあります。アドラーはこの状態を「犬が自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回っている」と表現しました。この自己欺瞞のサイクルに囚われている限り、人生の問題の真の解決には至りません。
劣等コンプレックスから抜け出すためには、まず、その自己欺瞞の輪から一歩外へ出ることが必要です。
- 共同体への貢献
他者や社会に貢献すること(それらにプラスになることを始めること)は、内向きの関心を外に向け、サイクルを断ち切る鍵となります。 - 「劣等」という幻想
私たちが抱く「劣等感」は、実は社会全体が共有する壮大な誤解に過ぎず、客観的な事実ではないと理解しましょう。 - 「勇気づけ」
子どもへの「勇気づけ」は、子どもが劣等コンプレックスを使って生きる選択をしないようにするために重要です。たとえば、子どもが貢献してくれたことに感謝を感じたなら、「お手伝いありがとう」「あなたがいると助かる」といった言葉を伝えることができます。こうしたことよって子どもは、自分は他者の役に立つ存在であると感じることができ、そこから自分の力を他者のために使う勇気が生まれることでしょう。
つまり、人と人との優劣という幻想の物差しから降り、他者と対等な立場で協力関係を築いていくことが、劣等コンプレックスを克服する唯一の道と言えます。
一方、「優越コンプレックス」は、劣等感の裏返しとして、あたかも自分が優れているかのように振る舞うことで、劣等感を隠そうとする状態です。自慢話を繰り返したり、他者を見下したり、権威を誇示したりする行動がこれにあたります。こちらも劣等コンプレックスと同様に他者との調和を欠き、対人関係の摩擦を生じやすいあり方といえます。また「優越コンプレックス」は、対人関係において片方が相手への劣等感を過補償し、それに対して相手がさらに大きな劣等感を持ち、それを過補償し、といったように繰り返されていくことで、両者の争いが際限なく拡大する原因でもあります。
カウンセリングと応用
アドラー心理学では、高齢の親とは「縦の関係」や過去のイメージの呪縛を乗り越えて「横の関係」を築くことが重要であり、具体的には、日常の出来事を共有したり親の経験を頼ったりして「仲間」としての所属感を満たし、不満には反論せず傾聴することで、尊敬と感謝に基づいた関係を再構築することを教えます。
高齢者、特に自身の親と良好な関係を築くためには、テクニック以前に私たちの心構えを見直すことが重要です。その基本原理は、アドラー心理学における子育ての考え方と多くが共通しています。しかし、子供に対する関係とは異なる特有の難しさも存在します。
アドラー心理学の対人関係論は、相手が子供であれ、年老いた親であれ、その基本原理は変わりません。それは相互尊敬と相互信頼に基づいた、対等な横の関係を築くことです。しかし、親との関係には以下の2つの難しさがあります。
- 辛抱強さの違い
私たちは子供の未熟さや失敗には辛抱強くあれますが、自分の親に対しては感情的になりやすく、寛容さを失いがちです。特に、配偶者の親(姑・舅)に対しては、その傾向がさらに強まることがあります。 - 過去のイメージの呪縛
親はいつまでも我が子を「子供」として見てしまいがちです(例:60歳を過ぎた息子に18歳当時と同じ量の食事を用意する)。同時に、私たち自身も親に対して「子供の頃の親」のイメージを引きずってしまい、対等な大人同士として向き合うことを難しくしています。
具体的なコミュニケーションの実践法
感情的な対立を避け、建設的な関係を築くためには、問題が起きる前の「予防」と、起きてしまった後の「対処」の両方が重要です。
【第一の鍵】 問題を未然に防ぐ:「仲間」であり続けるための工夫
親が不平不満や悪口を言う背景には、会話についていけず、「自分は仲間外れにされている」という孤立感がある場合が少なくありません。そのマイナスの感情を埋めるために、たとえ否定的な反応でも、相手が確実に反応する話題(例:亡くなった配偶者の悪口、体の不調、他人の悪口)を選んでしまうのです。
この状況を避けるために、こちらから積極的に「仲間」であると感じてもらう働きかけが極めて重要です。
- 共通の話題を継続的に提供する
日々の出来事をメールで報告したり、電話で話したりして、こちらの状況を共有する。「今晩のおかず、何がいいかな?」「この時期の魚は何が美味しい?」など、日常的な相談を持ちかける。 - 親の知識や経験を尊重し、頼る
おせち料理の作り方、冠婚葬祭のしきたりなど、親が得意とする分野について教えを請う。多少の苦労をかけてでも「自分がいないとこの子たちは駄目ね」と思ってもらうことが、親の所属感を満たす。
【第二の鍵】 問題が起きた時の対処法:目的を「仲間になること」に再設定する
もし親が不満を口にし始めても、感情的に反論してはいけません。それは関係を悪化させる「権力争い」に陥るだけです。この時の目的は、相手を言い負かすことではなく、「もう一度、仲間になること」です。
- まず、相手の話を最後まで聞く(傾聴)
相手の方をしっかり見て、相槌を打ちながら、話を遮らずに最後まで聞きます。それだけで相手の気持ちは落ち着き、会話が一方的な不満で終わるのを防げます。 - 「開かれた質問」で話を深める
「はい/いいえ」で終わらない質問(例:「へえ、例えばどんなことがあったの?」)をすることで、相手はさらに自分の気持ちや状況を話すことができます。 - 相手の言葉の背景を理解する
話を聞いているうちに、不満の裏にある本当の気持ちや、良い思い出などが語られることもあります。例えば「夫の金遣いが荒い」という不満も、見方を変えれば「気前が良かった」という長所であったりします。じっくり話を聞くことで、より深い理解に至ることができます。
尊敬と信頼の出発点
親に対して尊敬の念を持つことが、良好な関係の土台となります。
- 「恩返し」の気持ちを持つ
私たちが子育てで苦労するように、親の世代はもっと不便で大変な時代に、私たちを育ててくれました。その苦労に思いを馳せ、「よくぞ育ててくれた」という感謝と尊敬の念を持つことが大切です。 - 「できること」に注目する
年齢と共に「できなくなったこと」を数えるのではなく、長年の経験で培われた知恵や能力など、「できること」に注目し、頼りにすることで、親の自尊心を支え、良い関係を築けます。
認知症への応用
これらの原理は、親が認知症になった場合でも応用できます。病気自体は治せなくても、私たちの接し方次第で、日常生活の様子や症状は変わります。相手の不可解な言動は、実は私たちの対応が引き金になっている可能性もあります。諦めずに、尊敬と信頼に基づいたコミュニケーションを続けることが重要です。
社会と家族のあり方
私たちは、物質的な豊かさや介護保険・バリアフリーといった社会制度を充実させれば幸せになれると考えがちです。しかし、それに頼りすぎることで、かえって人間の本来持っている力や家族の絆が失われている側面もあります。
- 制度への過度な依存からの脱却
本当に大切なのは、制度に任せきりにするのではなく、「自分たちの家族は自分たちで守る」という決意を持つことです。 - 家族で看取ることの価値
病院のベッドの上ではなく、住み慣れた家で、家族に囲まれて最期を迎える。その荘厳な時間を家族で共有することは、何にも代えがたい経験となります。
結論
高齢者との付き合いは、単なるコミュニケーション技術の問題ではありません。それは、「お年寄りと一緒に暮らす」という家族全体のあり方をどう再構築するかという、より大きなテーマです。アドラー心理学の知恵を借りながら、尊敬と協力を基盤とした人間らしい関係を、私たち自身の決意によって築いていくことが求められています。
その他の疑問
いいえ、アドラー心理学では強さだけでなく「弱さを受け容れる」こと自体も勇気だと考えます。社会(共同体)はそうした様々な美徳(たとえば謙虚さ、誠実さ、慈愛など)によっても支えられており、したがっていわゆる「強い人間」でなくとも、誰もが互いに各様に貢献し助け合うことができます。
アドラー心理学では勇気という概念に関して、「強くなる」ことだけではなく、まず自分自身の弱さや不完全さを受け容れることを説いています。弱さを受け容れることも、共同体の一員としての勇気なのです。
またそもそも、「強さ」だけが共同体を支えているわけではありません。誠実さ、謙虚さ、感謝、正義、節制、熟慮、慈愛、友情などの他の様々な美徳もまた、共同体には欠かすことができないのです。強さばかりが重視されて、他の倫理的・道徳的側面に欠いた「共同体」に、私たちは安心して所属できるでしょうか。
私たちは、老いや病気など様々な障害のために、あるいは若さや幼さゆえに、「強さ」を発揮することが出来ないことがあります。しかしそうした場合にも、身につけている他の美徳を発揮することにより、各人各様の仕方で共同体に貢献することができます。アドラー心理学の実践とは、お互いに内在する多様な貢献の可能性を見出しながら、仲間同士として助け合い協力し合って、ともに共同体を支えていこうとする道なのです。
