アドラー心理学Q&A

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主要概念

Category: 主要概念

「私的論理」が個人の独自の価値観(私的感覚)に基づく主観的な思考の 流れ であるのに対し、「共通感覚」は社会や共同体で共有される、いわゆる常識という 価値観(私的感覚と対応するもの)を指します。

「私的論理」とは、個人が独自の価値観、思い込みに基づいて、自分自身や世界、他者について考える際の、その考え方(論理)のことです。人は私的論理の大前提となっている、その個人特有の価値観つまり私的感覚から、「わるい」状況と判断されるライフタスクを劣等感をともないながら認識するとともに、それに対する「よい」状態といえる仮想的目標を導き出して、この目標へ進むための対処行動を結論づけます。以上の過程での思考の流れを、「私的論理」と呼びます。多くの場合、私的論理による結論は個人的には「正しい」判断だと思われていますが、必ずしも客観的・普遍的な妥当性を持つわけではありません。

一方、「共通感覚(コモン・センス)」とは、ある社会や共同体の中で広く共有されている考え方や価値観、つまり、いわゆる常識を指し、個人特有の価値観を指す「私的感覚」と対応関係にあります。私的感覚が共通感覚から大きく逸脱している場合、対人関係の困難や不適応が生じやすいと考えられますが、ただし共通感覚もまた、共同体内で多数説であるからといって、必ずしも正しいとは限りません。歴史にみられるように、共同体全体が誤った考えにとらわれていることもあるのです。そこでアドラー心理学では、人々の暮らしの中でたえず再検討されながら、より大きな共同体にも有益かどうかを問う「共同体感覚」を強調します。

こじれたコミュニケーションの5つの段階

「不適切な行動に注目せず、適切な行動に注目する」とは、不適切な行動には怒りや不安といった感情で対応せずに冷静に話し合い、適切な行動には単に褒めるのではなく背景にある人としての望ましい成長の芽生えに注目し、それを心からともに喜ぶ「共同作業」としての関わり方を指します。

「不適切な行動に注目しない」

はじめに強調しておきますが、多くの人が誤解しがちなこの言葉の意味は、「子どもの不適切な行動に対して、怒りや不安といったネガティブな感情で対応しない」という点にあります。決して、子どもを無視したり、見て見ぬふりをすることではありません。

アドラー心理学では、感情は「思考」をもとに生じると考えます。たとえばある出来事に対して「これは大変だ」「許せない」と考えると、そこで、不安や怒りといった感情が湧き上がってくるのです。そして親(あるいは教師)がそのような陰性感情(ネガティブな感情)を持っていると、子どもを勇気づけることはできず、建設的な話し合いもできません。怒りに任せて叱っても、あるいは冷たく子どもを無視しても、問題はこじれるばかりです。なぜなら、そうした感情的な関わり方こそが、子どもの不適切な行動への「注目」に他ならないからです。

ここで、理性的に関わることが重要となるのです。まず普段から、親自身が子どものよいところやよい思いをさがすなどをして、子どもの行動を別の見方で捉えられるようになる必要があります。子どもについてそのように見、そのように考えることが出来てこそ、子どもの不適切な行動に際して感情的にならず、冷静に「その行動は適切ではないと思うよ」「どうしてそうしたのか話してくれる?」と問いかけ、対話することができるのです。もちろんそうした関わり方は、不適切な行動に注目することにはあたりません。

しかし、物事の捉え方(その物事への意見、意味づけ、考え方)を変えることは簡単ではありません。なぜなら、人が物事を捉える際には、その人独特の、凝り固まった価値観を基準としているからです。物事の捉え方を変えるためには、まず自分独特のものの見方を知ること、そして、そうした自分の物の見方以外にも、他の見方もできるかもしれない、と考えてみることが大切になります。そのようにできて初めて、実際の子どもとのコミュニケーションのなかで落ち着いて子どものよい意図を探し、よいところを見つけ、そこで子どもに何を学んでもらいたいかを考えて、冷静に対応できるようになるのです。

とはいえ、その場でどうしても感情的になってしまうこともあるでしょう。そのようなときには、陰性感情をぶつけて関わるより、文字通り「注目せず」に、距離を置く方が賢明です。つまり、その場を離れて冷静になる工夫をするのです。ただしこれは、あくまで一時的な経過措置にすぎません。離れたままになるのではなく、大切なのは、冷静になったあとで子どもの話に耳を傾け、必要であれば話し合うことにあります。

「適切な行動に注目する」

こちらも同様に、単に「良い行い」を見つけて褒めることとは異なります。そのような対応は、いくつもの危険性をはらんでいます。例えば、普段勉強しない子がたまたま勉強した時に「偉いね」と褒め続ければ、子どもにとって「褒められること(ご褒美)」が目的になってしまうかもしれません。それでは親が褒めなくなればその行動をやめてしまい、子どもは、勉強をする本来の意味を理解する機会を失ってしまいます。

では、何に注目するべきなのでしょうか。注目すべきは、子どもの個々の行動の良し悪しではなく、子どもの成長、すなわち「人として望ましいあり方」の芽生えなのです。

アドラー心理学が考える育児の最終目標は、《共通感覚》と《共同体感覚》を持った人間に育てることにあります。

《共通感覚》
現在暮らしているその社会(例えば日本)で、良しとされる常識や価値観のこと。例えば「正直」「勤勉」「親切」といった徳目や、伝統的に受け継がれている様々な作法や美意識などは共通感覚にあたります。
《共同体感覚》
社会(共同体)にとってよいことを善とする考え方。自分とは様々な点で違っている他者と、どちらが上/下、優れている/劣っているなどを争うのではなく、お互いに協力しあって「自分も相手も幸福になるにはどうすればよいか」を考える視点です。

この二つの目標をしっかりと持ち、子どもの日々の行動の中に、これらに結びつく成長を見つけた時に心から喜び、その喜びを子どもと分かち合うこと。それが「子どもの適切な行動に注目する」ことなのです。例えば「勉強した」という行動そのものに注目するのではなく、その背景にある「何かを知ろうとする姿勢」や、「将来、社会の役に立ちたいという子どもの思い」に気づき、それを喜ぶのです。そうした意味で、日常の中で「いまどんな本を読んでいるの?」「どんなことに関心があるの?」「どんな勉強してるの?」といったように、子どもが関心を持っていることに親が自ら関心を持つことも、適切な行動への注目へと結びついていくのです。

アドラー心理学の育児は、「子どもをコントロールする技術」ではありません。親自身がまず、子どもにどのように育ってほしいか、といった明確で建設的な目標を持たなくてはなりません。その上で、子どもとともに成長を喜び、子どもが何かしら困難を抱えたときには、どうしたらよいかをともに考え、将来子どもが社会に出たときに、周りの人びとと力を合わせて問題を解決していけるように少しずつ工夫を重ねていきます。このように、親子が共に成長していく「共同作業」こそが、「不適切な行動に注目せず、適切な行動に注目する」という言葉に込められた、アドラー心理学の深いメッセージなのです。