主要概念
アドラー心理学の「勇気づけ」とは、単なる「褒め言葉」のような小手先のテクニックではなく、尊敬に基づいた対等な「横の関係」から、相手が共同体感覚を持って協力的に生きられるよう働きかける、包括的な哲学であり生き方そのものです。
「勇気づけ」とは、相手がより共同体感覚に基づく生き方、暮らし方ができるように働きかけること、と、アドラー心理学では考えます。ある働きかけが実際に相手において、人々とお互いに協力しあって幸福に暮らしていく勇気に結びついてこそ、その働きかけを「勇気づけ」と呼ぶことができるのです。
「勇気づけ」は、まず働きかける側が自分から、人々との競合的な構えを抜けて協力的に暮らす決心をすること、あるいは「縦の関係」を抜けて「横の関係」で生きる決心をすることから始まります。なぜならば、一方的な働きかけでもなければ他人事でもない、ともに貢献し合う仲間同士としての働きかけであってこそ、相手を勇気づけることができるからです。
「勇気づけ」の技法としては、「子ども(相手)の話を聴く」ことや「お願い口調」という話の仕方、「課題の分離」、あるいは貢献や協力に注目する、過程を重視する、すでに達成できている成果を指摘する、失敗をも受け入れる、個人の成長を重視する、相手に判断をゆだねる、肯定的な表現を使う、「私メッセージ」を使う、「意見言葉」を使う、感謝し共感する、といったように様々なものがありますが、このどれもが現実の対人関係の中での、心からの相手への働きかけであることをけっして忘れてはなりません。これらは、単に言葉をなぞっただけの形だけのものになってしまえば、なんの役にも立たないばかりか、逆効果になることも少なくないのです。
すなわち「勇気づけ」とは、いわゆる「声がけ」や褒め言葉といったような小手先のテクニックなどではなく、人間への深い尊敬に基づいた包括的な哲学であり、生き方そのものといっても過言ではありません。「勇気づけ」の実践は、言葉への感性を磨き、対話のプロセスを大切にし、自らの感情をコントロールし、相手の貢献を信じてその機会を作り出す、たゆまぬ日々の心がけと努力の中にあります。それは、相手と私たち自身の人生を豊かにする、生涯をかけた学びの道程なのです。
カウンセリングと応用
「横の関係」とは、人間関係において能力や役割の違いや責任の大小を認めつつ、人間としての価値には優劣をつけず互いに尊敬し、対等な個人として関わっていく心のあり方であり、成熟した協力関係の基盤となるものです。
「横の関係」とは、アドラー心理学における人間関係の理想的なあり方を示す重要な概念です。これはアドラー自身ではなく、彼の弟子であるリディア・ジッシャーによって提唱されました。この概念を深く理解するには、その対極に位置づけられる「縦の関係」との比較、そして、よく似た日常語である「平等」や「同等」との正確な区別が不可欠です。
まず「縦の関係」とは、例えていえば、心の中に価値観という「はしご」を立てて、そこへ他者と自分とを位置づけて、人としての優劣を決めようとする心のあり方です。そこでの比較の基準は、善悪、良否、美醜など様々です。この関係性では、同じ地位の者の席は一つしかなく、人は常に他者との競争状態にあります。そこでは自分が上に立つために他者を蹴落としたり、自分が下にいると感じれば相手を罰しようとしたりします。
一方「横の関係」とは、「縦の関係」とは対照的に、他者と自分とを捉える際に心の中に価値観の「はしご」を立てず、人間としての価値には優劣をつけない関係です。人々がそれぞれ協力したり、あるいは協力しなかったりしながらも(目標が違う場合など)、それぞれは対等な立場で自分自身の人生を生きていると捉えます。英語ではそれぞれ、Vertical Plane(縦の関係)、Horizonal Plane(横の関係)と呼びます。
ここで注意が必要なのは、「横の関係」はしばしば日常語の他の言葉のイメージと混同されて、誤解されがちな点です。たとえば「横の関係」は、社会や組織の構造がフラットであるべきだ、ということではありません。会社における上司と部下のように、能力や適性に応じて権限と責任が異なる縦の「構造」は、組織が円滑に機能するため必要な役割分担であって、それ自体は問題ではありません。問題なのは、そうした構造上の役割の違いを、人間の価値の優劣と結びつけてしまう、心の中の「縦の関係」です。「上司は人間として偉い、部下である私は人間として劣っている」あるいは「上司である私は人間として偉い、部下たちは人間として劣っている」と考えるのが「縦の関係」であり、「横の関係」では、役割は違えど人間としては対等だと捉えます。
また「横の関係」は、すべての人が「同等(同じ)」であることを意味するものではありません。これは最も重要な区別です。個性や能力の違い、男と女、若者と高齢者、親と子といった立場の違いを無視して、人が全く「同等」に扱われると、ひとりひとりにとってはむしろ不公平で過酷となり、社会秩序はかえって乱れます。それぞれの役割と責任の違いを認め、尊重し合った上で、皆に発言権があり、意見が汲み上げられる状態が真の「平等」であるとアドラー心理学では考えます。
「横の関係」とは、社会的な、あるいは組織上の役割の違いや責任の大小を認めつつ、互いを尊敬し、人間としての価値に優劣をつけず、対等な個人として関わっていく心のあり方です。それは、無責任に全員が「同じ」であると主張する「同等」の関係ではなく、それぞれの違いと役割を尊重した上で成り立つ、成熟した協力関係の基盤となるものです。
アドラー心理学では、高齢の親とは「縦の関係」や過去のイメージの呪縛を乗り越えて「横の関係」を築くことが重要であり、具体的には、日常の出来事を共有したり親の経験を頼ったりして「仲間」としての所属感を満たし、不満には反論せず傾聴することで、尊敬と感謝に基づいた関係を再構築することを教えます。
高齢者、特に自身の親と良好な関係を築くためには、テクニック以前に私たちの心構えを見直すことが重要です。その基本原理は、アドラー心理学における子育ての考え方と多くが共通しています。しかし、子供に対する関係とは異なる特有の難しさも存在します。
アドラー心理学の対人関係論は、相手が子供であれ、年老いた親であれ、その基本原理は変わりません。それは相互尊敬と相互信頼に基づいた、対等な横の関係を築くことです。しかし、親との関係には以下の2つの難しさがあります。
- 辛抱強さの違い
私たちは子供の未熟さや失敗には辛抱強くあれますが、自分の親に対しては感情的になりやすく、寛容さを失いがちです。特に、配偶者の親(姑・舅)に対しては、その傾向がさらに強まることがあります。 - 過去のイメージの呪縛
親はいつまでも我が子を「子供」として見てしまいがちです(例:60歳を過ぎた息子に18歳当時と同じ量の食事を用意する)。同時に、私たち自身も親に対して「子供の頃の親」のイメージを引きずってしまい、対等な大人同士として向き合うことを難しくしています。
具体的なコミュニケーションの実践法
感情的な対立を避け、建設的な関係を築くためには、問題が起きる前の「予防」と、起きてしまった後の「対処」の両方が重要です。
【第一の鍵】 問題を未然に防ぐ:「仲間」であり続けるための工夫
親が不平不満や悪口を言う背景には、会話についていけず、「自分は仲間外れにされている」という孤立感がある場合が少なくありません。そのマイナスの感情を埋めるために、たとえ否定的な反応でも、相手が確実に反応する話題(例:亡くなった配偶者の悪口、体の不調、他人の悪口)を選んでしまうのです。
この状況を避けるために、こちらから積極的に「仲間」であると感じてもらう働きかけが極めて重要です。
- 共通の話題を継続的に提供する
日々の出来事をメールで報告したり、電話で話したりして、こちらの状況を共有する。「今晩のおかず、何がいいかな?」「この時期の魚は何が美味しい?」など、日常的な相談を持ちかける。 - 親の知識や経験を尊重し、頼る
おせち料理の作り方、冠婚葬祭のしきたりなど、親が得意とする分野について教えを請う。多少の苦労をかけてでも「自分がいないとこの子たちは駄目ね」と思ってもらうことが、親の所属感を満たす。
【第二の鍵】 問題が起きた時の対処法:目的を「仲間になること」に再設定する
もし親が不満を口にし始めても、感情的に反論してはいけません。それは関係を悪化させる「権力争い」に陥るだけです。この時の目的は、相手を言い負かすことではなく、「もう一度、仲間になること」です。
- まず、相手の話を最後まで聞く(傾聴)
相手の方をしっかり見て、相槌を打ちながら、話を遮らずに最後まで聞きます。それだけで相手の気持ちは落ち着き、会話が一方的な不満で終わるのを防げます。 - 「開かれた質問」で話を深める
「はい/いいえ」で終わらない質問(例:「へえ、例えばどんなことがあったの?」)をすることで、相手はさらに自分の気持ちや状況を話すことができます。 - 相手の言葉の背景を理解する
話を聞いているうちに、不満の裏にある本当の気持ちや、良い思い出などが語られることもあります。例えば「夫の金遣いが荒い」という不満も、見方を変えれば「気前が良かった」という長所であったりします。じっくり話を聞くことで、より深い理解に至ることができます。
尊敬と信頼の出発点
親に対して尊敬の念を持つことが、良好な関係の土台となります。
- 「恩返し」の気持ちを持つ
私たちが子育てで苦労するように、親の世代はもっと不便で大変な時代に、私たちを育ててくれました。その苦労に思いを馳せ、「よくぞ育ててくれた」という感謝と尊敬の念を持つことが大切です。 - 「できること」に注目する
年齢と共に「できなくなったこと」を数えるのではなく、長年の経験で培われた知恵や能力など、「できること」に注目し、頼りにすることで、親の自尊心を支え、良い関係を築けます。
認知症への応用
これらの原理は、親が認知症になった場合でも応用できます。病気自体は治せなくても、私たちの接し方次第で、日常生活の様子や症状は変わります。相手の不可解な言動は、実は私たちの対応が引き金になっている可能性もあります。諦めずに、尊敬と信頼に基づいたコミュニケーションを続けることが重要です。
社会と家族のあり方
私たちは、物質的な豊かさや介護保険・バリアフリーといった社会制度を充実させれば幸せになれると考えがちです。しかし、それに頼りすぎることで、かえって人間の本来持っている力や家族の絆が失われている側面もあります。
- 制度への過度な依存からの脱却
本当に大切なのは、制度に任せきりにするのではなく、「自分たちの家族は自分たちで守る」という決意を持つことです。 - 家族で看取ることの価値
病院のベッドの上ではなく、住み慣れた家で、家族に囲まれて最期を迎える。その荘厳な時間を家族で共有することは、何にも代えがたい経験となります。
結論
高齢者との付き合いは、単なるコミュニケーション技術の問題ではありません。それは、「お年寄りと一緒に暮らす」という家族全体のあり方をどう再構築するかという、より大きなテーマです。アドラー心理学の知恵を借りながら、尊敬と協力を基盤とした人間らしい関係を、私たち自身の決意によって築いていくことが求められています。
現代社会とアドラー心理学
アドラー心理学では人間関係について、機能重視の「ゲゼルシャフト(社会組織)」と仲間同士としての「ゲマインシャフト(共同体)」とを区別して捉えており、前者の問題であるマネジメントや業務上の困難などには対応できませんが、人間同士の揉め事といった後者の側面であれば具体的なエピソードを伺って対応可能です。
ご質問が広いため具体的なアドバイスは難しいですが、アドラー心理学の観点からのヒントをお伝えします。アドラー心理学からは、人間関係は次の2つに分類できます。
ゲマインシャフト(共同体):家族や親しい友人関係のように、自然発生的な相互理解に基づいた人間関係で、人々が対等な横の関係で協力し合うことにより成立しています。伝統的な地域社会もこちらに含まれます。仕事上での人間関係でも、自然発生的なユーザーコミュニティなどは、こちらに該当する可能性があります。
ゲゼルシャフト(社会組織):会社などのように、特定の目的のため人為的に作られた組織で、そのため機能性が何よりも重視されます。事業目的や経営上の重点項目を実現するための一定の価値観を持ち、そのもとでの序列を基本構造として成立しています。
この定義からは、職場というものは基本的に「ゲゼルシャフト(社会組織)」に該当しますが、しかし少なからぬ職場には、「ゲマインシャフト(共同体)」的な仲間意識もみられるのではないでしょうか。
したがって、職場の人間関係のお悩みといっても、大まかにいって、
- 組織の中での上手な身の処し方や、あるいは部下を統率する上での悩み
- 仕事仲間あるいは職場の上下関係の中での、いわゆる人間同士の揉め事についての悩み
この二通りが考えられます。このうちアドラー心理学が関わるのは後者、つまりゲマインシャフト(共同体)としての側面についてです。具体的なエピソードをお聞かせくだされば対応が可能です。
他方、前者のような社内政治の苦労や人事上の困難、顧客への対応などについては、それらはあくまでマネジメントやマーケティングの領域であって、アドラー心理学が直接に解決策を提示できる範囲にはありません。仕事上のあらゆる問題にアドラー心理学が対応できるわけではないのです。むしろビジネスの領域に無理をしてアドラー心理学を当てはめても、そもそもゲマインシャフトは機能主義的なものではありませんから、効率や合目的性の点において、概ね良い方向には進まないことと思われます。
課題の分離について
親の責任とは、課題を肩代わりするのではなく、「課題の分離」を協力への準備段階と位置づけ、子どもが自ら課題に取り組む「勇気」を持てるよう援助することです。
「課題の分離」は放置や責任放棄ではありません。課題の分離とは、親子あるいは仲間同士が支え合い、協力し合って暮らすための、その準備段階にあたる技法です。文化的な傾向として、課題が誰のものなのか混乱しがちな日本でも、安全にアドラー心理学が使えるようにと、かつてのドライカースのアイデアを元に、野田俊作が考案しました。
ときどき世の中で、「課題の分離」をアドラーの思想の核心のように説明していることがあるようですが、それは全くの誤りです。課題の分離はアドラー自身の主張には含まれていませんし、またこれは「技法」であって、目指すべき理想や哲学ではありません。親子それぞれが自分の責任を果たしながら、協力しあって暮らしていくことが、アドラー心理学に基づく家族の暮らし方です。そうした分担と協力の準備のためにこそ、いったん課題を「分離」するのです。したがって、課題を機械的に切り離すことが課題の分離なのではありません。横の関係に立って親子で心から話し合い、どの課題が誰の負うべき課題なのかを明らかにすることが「課題の分離」なのです。
親としての責任は、子どもの責任を肩代わりすることではなく、子どもが自分の課題に取り組む「勇気」を持てるよう援助することです。具体的には、子どもの話をよく聞いたうえで、子どもの力を信じ、見守り、励まし、努力を見届ける、必要ならば子どもと話し合って勉強の環境を整える、子どもの様子に応じて困っているか声をかける、問われれば質問に答える(答えを教えず考え方を導く)などの援助が考えられます。
実践の難しさ・現実との乖離について
「主張」するのではなく、まず自分から相手への関心と尊敬の念を持ち、自己の課題に責任を持って正しくアドラー心理学を「実践」することが基本であり、その姿勢は一般的な倫理観にも通じるため、健全な環境であれば信頼につながっていく可能性もあります。
主張するというより、まずは、自分自身が正しく「横の関係」や「課題の分離」を実践することが基本です。そうすれば、たとえ力関係がある場合にも、あなたの姿勢や行動を理解くださる方がいらっしゃるかもしれません。なぜならばアドラーの哲学は、伝統的な社会常識や、古くからの道徳哲学が教えるところに通ずる面を持っているからです。たとえば、他者に深い関心と尊敬の念を持つ、自分の課題に責任を持ち、他者を信頼して、その人自身の課題に勝手に踏み込まない、陰性感情をぶつけずに理性的に話し合うなどの姿勢は、アドラー心理学に限らず、広く世の中で共有されている倫理観とも重なります。したがって、職場のあり方やそこでの取引先との関係もまた倫理的であるかぎり、アドラー心理学の実践は、あなた自身の信頼へとつながっていく可能性があります。
ただし、アドラー心理学をきわめて独善的な形に誤解して、「課題の分離」を他者との関わりを拒絶することと捉えたり、「目的論」を常に自分の目標ばかり優先させることだと考えたり、「仮想論(認知論)」を他者と対話をしない理由にしたり、「貢献」や「協力」をひたすら一方的に他者に求めたり、「横の関係」が大事だと言って社会的な役割分担を否定したりすれば、それはたしかに社会での行動として適切とはいえないでしょう。
