アドラー心理学Q&A

c 全部開く C 全部閉じる

基本前提

Category: 基本前提

アドラー心理学の「対人関係論」とは、劣等感や人生の課題を含む人間のあらゆる問題や目標は、根本的に対人関係の中に存在すると捉える考え方です。

アドラー心理学では、人間のあらゆる問題は、対人関係の中に存在すると考えます。この考え方を「対人関係論(interpersonal theory)」と呼びます。個人の行動のきっかけとなる劣等感も他者との関わりから生じるものであり、個人が意識的・無意識的に目指している目標も、つきるところ対人関係上の文脈に位置しています。すなわちいかなる人生の課題であれ、個人にとっては対人関係(仕事、交友、愛)の問題に他なりません。したがって、個人の問題を理解し解決するには、その人が他者といったいどのような関係を築いているのか、その人の対人関係における目標は何か、といった観点から取り組むことが重要となります。

なお現在では「対人関係論」は、アドラー心理学の理論的枠組みをアドラー自身の言葉に立ち返り、より俯瞰的かつ現代的な視点から再構築しようとする動きの一環として、「社会統合論(social embeddedness)」と呼ばれるようになりました。

主要概念

Category: 主要概念

アドラー心理学でいう「劣等感」とは、「自分は他者よりも価値がない」という思い込み・感覚だけを指しているのではなく、その人が理想とする状態とは違う現実に遭遇したときに起きる感覚も指しています。アドラー心理学では前者を後天的に意味づけられた幻想であり、人々を終わりのない「優越性の追求」という不毛な努力へ駆り立てる原動力になるものと捉えます。

アドラー心理学における最も重要な概念は「共同体感覚」ですが、有名であるという点では「劣等感」が一番かも知れません。

アドラーは「劣等感」を、「不完全である成就していないという感覚」と述べました。すなわちアドラー心理学における「劣等感」とは、「自分は他者よりも価値が少ない」という思い込み・感覚だけを指しているのではなく、もう少し広く、その人が理想とする状態とは違う現実に遭遇したときに起きる感覚も指しています。ドイツ語の原語「Minderwertigkeit」は、文字通り「価値がより少ない感じ」を意味します。これは本来、理想通りでない自分には価値が少ない、という意味あいですが、現代のような競合的な社会において「劣等感」とは、もっぱら「人に比べて自分は○○の点で劣っている(から自分には価値がない)」という意味で使われています。

人間の赤ちゃんは、はじめは自分と他者の優劣を比較しない「平等」な世界のなかで、安心して生きているのでしょう。しかし、子どもは成長し言葉を覚え、社会生活を送る中で、まるで当たり前のように「劣等感」を持ち続けるようになります。これについてアドラー派の学者は、次のようなプロセスによるものとの指摘しています。

  1. 「区別」の学習:優れたものと劣ったものの「区別」を学ぶ。
  2.  「勇気くじき」:親や教師から「それじゃダメ」「なんでできないの?」といった言葉をかけられること(勇気くじき)で、「自分は他者より劣っている存在だ」と思い込む。

人は、「私はこういう点で劣っている」という劣等感(相対的マイナス)を抱くと、世界への所属感や安心感といった「平等」の感覚を失ってしまいます。そこで失った感覚を取り戻そうと、「私はこうでなければならない」(例:「人の上に立たなければならない」「人に好かれなければならない」)といった、その人にとっての理想の姿である「優越目標(相対的プラス)」を立てて、その目標を達成するための行動を起こします。アドラー心理学ではこのように、人間の行動を、相対的マイナスから相対的プラスに向かう目標追求として捉えます。

しかし劣等感をずっと持ち続けると、上記のような目標も、どれだけ追いかけても決して到達できない地平線のように逃げていきます。そのため、常に不安を抱え、緊張し、努力し続けなければならない状態に陥ります。つまりいわゆる、対人関係や社会における劣等感というものは、後天的に意味づけられた「自分には価値がない」という幻想であり、人々を終わりのない「優越性の追求」という不毛な努力へ駆り立てる原動力になるものと捉えることができます。

Category: 主要概念

「劣等コンプレックス」とは劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げる状態を指し、「優越コンプレックス」とはその劣等感を隠すために自分が優れているかのように振る舞う、劣等感の裏返しである状態を指します。

アドラー心理学における「劣等コンプレックス」とは、人が持つ「劣等感」を、人生の課題から逃れるための口実として利用している状態を指します。これは、困難に対して建設的に取り組むことを避け、自分を正当化するための自己欺瞞に他なりません。その目的は、現状維持が失敗を招いたとしても、その責任を自分以外のものに転嫁することにあります。また「劣等コンプレックス」は、過度に心の傷や被害者意識などを訴えることで周囲の同情を引いたり、相手を感情的に支配する手段として使われることもあります。

では、人はどのようにして「劣等コンプレックス」を使うに至るのでしょうか。人間は誰しも、生まれながらにして「自分は劣っている」と感じているわけではありません。しかし、成長の過程で、社会や家庭、学校における様々な要因の影響により劣等感を持つようになると考えられます。

子どもは言葉を覚えるにつれて、物事の「違い」を「優劣」として区別し始めます。その際に、親や教師が「どうしてできないの?」「もっと頑張らないとダメ」といった否定的な言葉(アドラー心理学で言う「勇気くじき」)を投げかけると、子どもは「自分は(人として)劣っている」という思い込み、つまり劣等感を抱くようになります。

この「自分は劣っている」という感覚は、客観的な事実ではなく、作られた思い込み(フィクション)です。しかし、この劣等感から逃れるために、人は「優越」という架空の目標を立て、それに向かって努力を始めます。この「劣等から優越へ」という動きそのものが、ライフスタイルの基本構造となりますが、多くお場合、初めからピントがずれた努力に陥りがちです。

身体的な特徴(器官劣等性)、性別、生まれ育ち、経済状況、さらには家族や上司といった人間関係まで、本人と相手が納得しさえすれば、ありとあらゆるものが劣等コンプレックスの材料となり得ます。現代社会では、特に「老い」がネガティブなものと捉えられ、高齢者が大きな劣等感を抱えやすい状況にあります。

人が劣等コンプレックスを人生の主要な方針として用いるようになると、それは「神経症」と呼ばれます。神経症的な人は劣等コンプレックスを実践しており、自分が作り出した口実に完全に騙されている状態にあります。アドラーはこの状態を「犬が自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回っている」と表現しました。この自己欺瞞のサイクルに囚われている限り、人生の問題の真の解決には至りません。

劣等コンプレックスから抜け出すためには、まず、その自己欺瞞の輪から一歩外へ出ることが必要です。

  • 共同体への貢献
    他者や社会に貢献すること(それらにプラスになることを始めること)は、内向きの関心を外に向け、サイクルを断ち切る鍵となります。
  • 「劣等」という幻想
    私たちが抱く「劣等感」は、実は社会全体が共有する壮大な誤解に過ぎず、客観的な事実ではないと理解しましょう。
  • 「勇気づけ」
    子どもへの「勇気づけ」は、子どもが劣等コンプレックスを使って生きる選択をしないようにするために重要です。たとえば、子どもが貢献してくれたことに感謝を感じたなら、「お手伝いありがとう」「あなたがいると助かる」といった言葉を伝えることができます。こうしたことよって子どもは、自分は他者の役に立つ存在であると感じることができ、そこから自分の力を他者のために使う勇気が生まれることでしょう。

つまり、人と人との優劣という幻想の物差しから降り、他者と対等な立場で協力関係を築いていくことが、劣等コンプレックスを克服する唯一の道と言えます。

一方、「優越コンプレックス」は、劣等感の裏返しとして、あたかも自分が優れているかのように振る舞うことで、劣等感を隠そうとする状態です。自慢話を繰り返したり、他者を見下したり、権威を誇示したりする行動がこれにあたります。こちらも劣等コンプレックスと同様に他者との調和を欠き、対人関係の摩擦を生じやすいあり方といえます。また「優越コンプレックス」は、対人関係において片方が相手への劣等感を過補償し、それに対して相手がさらに大きな劣等感を持ち、それを過補償し、といったように繰り返されていくことで、両者の争いが際限なく拡大する原因でもあります。

Category: 主要概念

アドラー心理学における「補償」とは、人間が持つ劣等感を克服し、より完全な状態を目指そうとする努力や行動のことです。

アドラー心理学における「補償」とは、人間が持つ劣等感を克服し、より完全な状態を目指そうとする努力や行動のことです。例えば、身体的に虚弱だった人が熱心に運動して健康な身体を手に入れたり、ある分野でうまくいかなかった人が別の分野で成功を収めようと努力したりすることが補償にあたります。アドラー自身も幼少期にくる病を患い、弟の死を経験したことなどから劣等感を抱きましたが、それを契機に医学を志し、偉大な心理学者となりました。補償は人間の成長と発展に不可欠なプロセスであり、建設的な形で行われる限りにおいて、人生を豊かにする力となります。ただし、補償の方向性や手段が適切でなければ、個人にとって、あるいは共同体にとって破壊的な結末に至ることもあります。

Tag: 劣等感
Category: 主要概念

「私的感覚」とは、出来事に対して「良い(プラス)」「悪い(マイナス)」を瞬時に判断する個人独自の無意識的な価値判断であり、これが個々のエピソードにおける表層的な反応(私的論理)を生み出すのに対し、「ライフスタイル」は、複数のエピソードに共通するその人固有の「私的感覚(=私的意味づけ)」の背後にある、パーソナリティ全体を貫く根源的な思考・行動パターン(深層構造)を指します。

「私的感覚(Private Sense)」とは、個人が持つ独自の「こうあるべきだ」「こうなったら素晴らしい」という感覚に基づく、多くの場合無意識に行われる「価値判断」のことです。これは、ある出来事や状況に直面した際に、「何が良いこと(プラス)で、何が悪いこと(マイナス)か」を瞬時に判断する、個人の行動の背後にある「黒幕」のようなものです。

この感覚は、具体的な出来事の中で次のように機能します。

  1. ある出来事が起こると、人は無意識に自分の「私的感覚」に照らし合わせます。
  2. その出来事が理想から外れている(マイナス面)と判断されると、「劣等感」が生じます。これは「他人より劣っている」という意味ではなく、「自分の理想と現実とのギャップ」を指す感覚です。
  3. この劣等感は具体的には、不安、怒り、後悔などといった「陰性感情」として感じられます。
  4. そして、その理想と違う状況を解決し、理想の状態(プラス面)に近づけようとする「対処行動」が引き起こされます。

そのため、ある人の「私的感覚」を理解するためには、まず具体的な「エピソード(一回限りの出来事)」の分析から始めます。そのエピソードにおいて陰性感情が最も強いところや、あるいはエピソードの中で初めて陰性感情が出たところ、続いていた陰性感情が急に強まったところなど、「そのエピソードが一番ドラマティックに展開をみせたところ」を起点に、以下の3つの要素を分析します。

  • ライフタスク (Lifetask / LT):
    その「対処行動」を取らなければならなかった問題状況のこと。私的感覚のマイナス面に触れた出来事。この状況にある時、人は「劣等感」(理想と現実のギャップ)を感じます。具体的には陰性感情(不安、怒り、後悔など)として感じられます。
  • 対処行動 (Coping Behavior / CB):
    問題を解決するために、その人が具体的に取った行動のこと。
  • 仮想的目標 (Fictional Goal / FG):
    その「対処行動」の先に期待している理想的な解決イメージのこと。私的感覚のプラス面が現れたもの。その人が「こうなれば素晴らしい」と考える、キラキラした理想のイメージ。

これら3つの要素は、「私的感覚」という一つの価値判断から生まれ、「私的感覚」によってお互いに結びついています。つまり「私的感覚」とは、その個人固有の「およそ人たるもの(=自分も相手も)~であるべきだ」といった感覚に基づく、「【仮想的目標】はプラスであり、【ライフタスク】はマイナスであり、【対処行動】がマイナスからプラスに進むための手段である」という、プラスとマイナスの両側面を持つ価値判断の体系ということができます。

そして、私的感覚から生まれる「仮想的目標」は、以下の2種類に分けられます。

  • 競合的な目標
    相手と自分を比べ、優劣や善悪などを決めようとする目標。これは相手を「劣っている」「間違っている」と裁くことになるため、対立を生みやすくなります。
  • 協力的な目標
    相手と共通の目的に向かって協力しようとする目標。

人間関係のトラブルは、多くの場合「競合的な目標」を持つ私的感覚から生じます。その場合、解決のためには、目標をより「協力的なもの」へと作り直す必要があります。

次に「私的感覚」と「ライフスタイル」の関係ですが、「ライフスタイル」とは、個人のパーソナリティ全体を貫く、より根源的な思考・行動パターンのことです。アドラー心理学ではある個人が出来事に際して持つ、「ライフタスク→対処行動→仮想的目標」といったような考え方の流れを「私的論理」と呼んでいますが、これが個別のエピソードにおける表層的な反応パターンだとすれば、「ライフスタイル」はその背後にある深層構造といえます。また、ある個人の複数のエピソード(現在の複数の出来事や後述の早期回想)で共通して見出される、その個人に一貫するといえる「私的感覚」を「私的意味づけ」と呼びますが、そこに端を発して動いている根源的な思考パターンこそが「ライフスタイル」なのです。

レベル価値判断の体系考え方の流れ
(LT → CB → FG)
表層(個別のエピソード)私的感覚 (Private Sense)私的論理 (Private Logic)
深層(パーソナリティ全体)私的意味づけ (Private  meaning)ライフスタイル (Lifestyle)

「私的感覚」と「ライフスタイル」は以上のような関係にあります。

なお、ライフスタイルを分析する上で非常に有効なのが、「早期回想(小学校卒業くらいまでの、感情を伴う鮮明な子ども時代の記憶)」です。早期回想を分析する理由は以下の2つです。

  • 現在のエピソードと、時間的に遠く離れた子ども時代の思い出に共通のパターン(私的感覚、私的論理)が見つかれば、それは一時的なものではなく、その人の生き方全体を貫く「ライフスタイル」である可能性が高まります。
  • 人がわざわざ記憶し続けている数少ない子ども時代の思い出には、「この世とはこういうものだ」「自分はこういう人間だ」といった、自分自身、他者、世界に対するその人の根本的な意味づけ(「私的意味づけ」)がよりシンプルに表されていると考えられます。

早期回想の分析方法は、現在のエピソードの分析と全く同じ(LT→CB→FG)です。こうして複数のエピソードから「私的感覚」を分析し、その共通項を探ることで、個人の「ライフスタイル」が明らかになります。

このライフスタイルは固定的なものではなく、書き換えることが可能です。それには以下の3つのステップを繰り返すことが有効です。

  • 理解 (Understand):
    エピソード分析を通じて、自分の「私的感覚」や「私的論理」のパターン(例:「私はいつもこうやって失敗しているな」)を言葉にして理解する。
  • 行動 (Act):
    理解に基づいて、より協力的な目標や、より適切な対処行動を意識的に試してみる。
  • 成功 (Succeed):
    新しい行動によって、実際に関係がうまくいくという成功体験を積む。

この「理解→行動→成功」のサイクルが学習となって働き、個々の「私的感覚」がより協力的なものに修正され、最終的には根源的な「ライフスタイル」そのものが、より良い方向へと書き換えられていくのです。ただし上記の過程から明らかですが、これは自分ひとりで行えることではなく、周囲の協力と本人の努力があわさり、初めて可能となるものです。つまり、これは個人の成長過程であるとともに、個人が共同体に参加し、相互に貢献していく過程でもあるのです。

Category: 主要概念

「私的論理」が個人の独自の価値観(私的感覚)に基づく主観的な思考の 流れ であるのに対し、「共通感覚」は社会や共同体で共有される、いわゆる常識という 価値観(私的感覚と対応するもの)を指します。

「私的論理」とは、個人が独自の価値観、思い込みに基づいて、自分自身や世界、他者について考える際の、その考え方(論理)のことです。人は私的論理の大前提となっている、その個人特有の価値観つまり私的感覚から、「わるい」状況と判断されるライフタスクを劣等感をともないながら認識するとともに、それに対する「よい」状態といえる仮想的目標を導き出して、この目標へ進むための対処行動を結論づけます。以上の過程での思考の流れを、「私的論理」と呼びます。多くの場合、私的論理による結論は個人的には「正しい」判断だと思われていますが、必ずしも客観的・普遍的な妥当性を持つわけではありません。

一方、「共通感覚(コモン・センス)」とは、ある社会や共同体の中で広く共有されている考え方や価値観、つまり、いわゆる常識を指し、個人特有の価値観を指す「私的感覚」と対応関係にあります。私的感覚が共通感覚から大きく逸脱している場合、対人関係の困難や不適応が生じやすいと考えられますが、ただし共通感覚もまた、共同体内で多数説であるからといって、必ずしも正しいとは限りません。歴史にみられるように、共同体全体が誤った考えにとらわれていることもあるのです。そこでアドラー心理学では、人々の暮らしの中でたえず再検討されながら、より大きな共同体にも有益かどうかを問う「共同体感覚」を強調します。

Category: 主要概念

アドラー心理学における「人生の課題(ライフタスク)」とは、人間が社会的な存在として生きていく上で直面せざるを得ず、個人の精神的健康や生き方(ライフスタイル)と深く結びついている「仕事」「交友」「愛」という3つの対人関係の課題を指します。

アドラー心理学における「ライフタスク」とは、人間が社会的な存在として生きていく上で、直面せざるを得ない「課題」を指します。タスクといっても、その人の抱えるいわゆる「やるべきことリスト」のことではなく、個人の精神的な健康や幸福、そしてその人の生き方そのもの(ライフスタイル)と深く結びついた、包括的な概念です。

アルフレッド・アドラー自身が明確に提唱したのは、以下の三つのライフタスクです。このどれもが対人関係であることは、とても重要な点といえます。この分類は、主として関係の継続性に基づいています。

  • 仕事のタスク:生計を立てるための職業活動、学業、家事など、生産性に関わるあらゆる活動を指します。社会の一員として貢献し、自分の居場所を確保するための基本的な課題です。
  • 交友のタスク:友人関係や地域社会との関わりなど、恋愛や家族関係以外のより広い対人関係を指します。他者と協力し、社会的なつながりを築く能力が問われます。
  • 愛のタスク:パートナーシップや親子関係といった、最も親密な対人関係を指します。ライフタスクの中で最も困難なものとされ、深いレベルでの信頼と貢献が求められます。

これらのタスクは多くの場合、実生活において、現実と、本人が理想とする状態(仮想的目標)とのギャップとして現れます。そのため「課題」として認識される際には、「劣等感」、具体的には不安、怒り、後悔などといった陰性感情を伴うことが一般的です。

これらの課題にどのように取り組み、そこで他者とどのように協力していけるかは、その人の人生のあり方と不可分といえます。アドラー心理学のカウンセリングでは、個人がこれらの課題にどう向き合い、困難を乗り越えていくか、について話し合います。また、必要に応じてその人の「ライフスタイル」を分析し、より根源的な解決策を見出すことを目指します。

なお、これらに加えて、アドラー派の論者によっては「自己との課題」「スピリチュアルな課題」などを加えることもあります(ハロルド・モザックによる提唱)。

その他の疑問

Category: その他の疑問

劣等感などの陰性感情は、人間にとって普遍的かつ自然な感情ですが、劣等感をバネにすることが破壊的でなく有益な成長につながるかは、劣等感を契機とする行動とその目標が共同体にとって適切かどうかによります。

劣等感などの陰性感情は、本来、人間にとって普遍的かつ自然な感情といえます。怒りであれ悲しみであれ、それらは人が遭遇した課題つまり主観的に相対的マイナスである状況から、相対的プラスである目標へ向かうために生み出す、前向きな感情に他なりません。その意味では、人間は誰であれ「劣等感をバネに」動いている、ということができます。しかし、そこで向かおうとする目標が必ずしも適切なものとは限りませんし、それらの陰性感情をそのまま他者に向けることも概ね適切とは言えません。したがって「劣等感をバネに」進むことは、必ずしも人生に有益とはいえず、時として破壊的な結末を招くこともあります。行動の原因ではなく、そこで目標とするものや、状況への対処方法が適切であるかどうかが問われねばならないのです。

アドラー心理学では、目標や対処方法が共同体にとって有益かどうかという観点から、行動の適切さを判断します。劣等感を抱えながらやみくもに進むのではなく、劣等感を契機にしつつも、そこで共同体にとって適切な目標と対処行動を選択することで、はじめて人は共同体の一員として成長できる、と考えるのです。