アドラー心理学Q&A

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基本前提

Category: 基本前提

アドラー心理学でいう「個人の主体性」とは、人は過去の経験や感情などに支配されるのではなく、それらさえも道具として使いながら、自らの行動や人生の意味づけを「自ら主体的に選択している」という考え方です。

アドラー心理学における「個人の主体性」は、個人は自らの行動やありかたを自らが決めているという考え方です。私たちは、心や体に使われているのではなく、私たちが自身の心や体を主体的に動かしていると考えます。

感情や病気、過去のトラウマ、子ども時代の出来事、性格、習慣などが人間を動かすと考える心理学もありますが、アドラー心理学ではこの考え方を使いません。そうではなく、私たちが感情やトラウマ、過去の経験、性格、習慣などを「使い」ながら、いつでも自由に物事を決めているのだと考えます。この考え方を採用すると、個人はいつでも自分が決めれば自分の性格、ものの見方や行動を変える事ができることになるのですが、自由に決められない「ふり」をしていると考えます。

アドラーは「我々は人生の主人公である」と述べました。アドラー心理学では、個人が自分自身の人生の脚本家であり、監督であり、主役であるのだと考えます。人生で遭遇するできごとが良いことか、悪いことなのかは、個人がその人自身の価値観を参照して意味づけているのです。そうしたできごとにどう向かい合いどのように対処するかも、個人の主体的な選択に基づくものであり、その選択の結末は、いづれかの形でその個人が引き受けることになります。つまり個人は、自らの責任で自分自身の人生を生きているのです。ライフスタイルが個人に人生を歩ませるのではなく、個人がライフスタイルを道具として用いて人生を歩むのであり、いわゆるペルソナも、個人がその人自身の目標に向かって主体的に選ぶのだと考えます。ですから、もし個人が変化し成長しようと願い決心するのなら、ライフスタイルそれ自体さえも変えていくことができるのです。

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アドラーの「目的論」とは、現在の行動は未来の「目的」を達成するために起こすものだと考えるのに対し、フロイトの「原因論」は、現在の行動は「過去の原因」(トラウマなど)によって決定されるものだと考える点に違いがあります。

アドラー心理学の「目的論」とは、人間の行動や感情は基本的に、過去の原因や環境によって起きるのではなく、何らかの目的を達成しようとするために個人が起こすのだ、と考える立場です。例えば子どもが不適切な行動をする場合、目的論の立場では、過去の出来事や環境が子どもに不適切な行動を行わせると考えるのではなく、その行動には子どもにとって何らかの重要な目的があると考えます。

フロイトの精神分析に代表される「原因論」では、現在の問題など人間行動全般を、過去の経験、特に幼少期の経験をめぐる内面的な無意識の葛藤などを原因とするといったように、機械論的にとらえます。それに対してアドラー心理学では、「目的論」に基づいて、人間行動全般は有機体としての個人が、意識的あるいは無意識的に定めた仮想的目標を達成するための動きである、すなわち、相対的マイナスの位置から相対的プラスの位置に向かうための運動だと強調します。

なお、アドラー心理学では過去や環境の影響を完全に否定するわけではありません。たとえば成長過程における身近な人間との葛藤がライフスタイル形成に大きく影響するなど、過去の出来事の間接的な影響を認めています。また、強いストレスによる生理的反応としてPTSD等の急性または慢性的な症状が現れることや、発達障害による行動特性が子どもの行動に様々な傾向性を与えることなどを否定することもありません。これら先天的、後天的な事項や環境の影響にも充分注意が必要であるという立場です。

トラウマ・原因論の否定について

アドラー心理学は、トラウマが現在を決定するという決定論の立場をとらず、むしろその経験に本人がどのような「私的意味づけ」を与え、それを現在の「目的」のためにどう用いているかを重視し、その意味づけは見直し可能であると考えます。

トラウマに関しては、フロイトの精神分析が主張するように、現在の行動や感情のすべてが過去の心的外傷(トラウマ)によって直接的に決定されるという考え方と、現代の精神医療分野の知見が示す、トラウマの生理的影響からPTSD等の症状を招いたり発達過程に広範な影響を与えうる点が広く知られています。アドラー心理学は後者の重要性を踏まえつつ、前者については以下のように異なる立場をとります。

アドラー心理学では、個人が経験する出来事は、基本的には個人によって主観的に意味付けられたものとして体験され、そのもとで個人の行動が主体的に決断されて、そうした積み重ねで個人のライフスタイルが形成されていくと考えます。そのためアドラー心理学の臨床では、個人のライフスタイルを理解しようとする際に、経験に対して本人がどのような「私的意味づけ」をし、それらが現在の人生の目的にどのように用いられているかという点を重視します。なぜならば、ライフスタイルは経験への「私的意味づけ」から大きく影響されると考えられ、しかも「私的意味づけ」は理論的にはカウンセリング等により改めることが可能なので、そこからライフスタイルの見直しを通じた困難の軽減や、より建設的な生き方を見出す可能性が開かれます。そのため、アドラー心理学はトラウマに関してフロイト的な決定論の立場には立ちません。

ただし、深刻なトラウマ体験による影響から回復するには、専門的な治療や長期的な心理療法的支援が不可欠となる場合があります。また、ある出来事がトラウマ事態として緊急的ないし慢性的な心理的危機を引き起こしている場合は、アドラー心理学からの治療の適応範囲にはありません。その場合『危機介入』の専門職など心理専門職の方の介入が優先されます(アドラー心理学の適応範囲についてはAIJアドラー心理学カウンセラーにお問い合わせください)。

アドラー心理学は、強い生理的ストレスが脳の生物学的変化やトラウマ記憶に影響を与え、後遺症を残す可能性を認めています。また現在のライフスタイルは過去に形成されたものであり、したがってその時点の経験が間接的に影響している点も認めます。なお、緊急的・慢性的な心理的危機を引き起こしているトラウマ事態そのものは、アドラー心理学ではなく心理専門職の介入が優先されるべき領域と考えます。

アドラー心理学は過去の影響を完全に無視するわけではありません。強い生理的ストレスは、脳の生物学的変化やトラウマ記憶の特殊な処理への影響を招き、後遺症を残す場合があります。またアドラー心理学の臨床理論から考えても、現在用いているライフスタイルは、過去のいずれかの時点で概ね無意識的に作られたものですから、その時点での他者との葛藤などの経験は、間接的には現在にも影響を与え続けている、ということができます。すなわちアドラー心理学が否定するのはトラウマに関する決定論的なフロイトの見解であって、また歴史的に言っても、そもそもPTSDに関する論文を先駆的に1943年の時点で示したのは、他ならぬアドラーの娘のアレクサンドラ・アドラーなのです。

なお、ある一回性の出来事がトラウマ事態として緊急的ないし慢性的な心理的危機を引き起こしている場合は、一般的にアドラー心理学による治療の適応範囲にはありません。その場合『危機介入』の専門職など心理専門職の方の介入が優先されます。

アドラー心理学は、深刻な虐待や災害による苦しみを「利用しているだけ」といった軽々しいものとは考えず、むしろその苦しみや不安を、直面した脅威から「自分の身を守る」という切迫した目的のため個人全体が用いていると捉え、その体験への「意味づけ」と「現在の生き方」に焦点を当てて、建設的な方向性を探ります。

目的論に関するお尋ねかと思います。アドラー心理学では、感情もまた、何らかの目的を実現するために用いられていると考えます。つまり個人は、自分にとって重大な意味があるからこそ他ならぬその感情を用いるのであって、「利用しているだけ」などといった軽々しいものではないのです。アドラー心理学は、深刻な虐待や恐ろしい災害に合われた方の、苦しみの現実やその深さを否定するものではありません。その後も続く気持ちの動転や強い不安まで含めて、それらは人間に本来的に備わっている、自分の身を守るための重要な仕組みであると考えます。つまり全体としての個人が、直面した脅威に対応するために、様々な苦しみを用いている、と考えるのです。

そのように踏まえた上で、アドラー心理学の治療では、その方がご自分の体験にどのような意味づけをし、それに基づいて、現在どう生きておられるのかについて焦点を当てます。そこから、これからどうすればより建設的な方向へ進めるかを、ご本人に寄り添って考えていくのです。

なお先述の通り、あるひとつの出来事がトラウマ事態として緊急的ないし慢性的な心理的危機を引き起こしている場合は、一般的にアドラー心理学によるカウンセリングの適応範囲にはありません。その場合『危機介入』の専門職など心理専門職の方の介入が優先されます。

アドラー心理学では、後悔自体は自然な感情と認めますが、もし「あの時こうしていれば」といつまでもその気持ちに浸り続けている場合、それは「現在の困難から目をそらして何もしないこと」を正当化したり、周囲の「同情や援助」を求め続けたりするという、未来に向けた何らかの「目的」のためにその感情を用いている可能性があると考えます。

後悔という感情自体は自然なものとして認められます。しかし、後悔している出来事からすでに歳月が過ぎているにもかかわらず、いつまでも「あの時こうしていれば」とその気持ちに浸り続けているのなら、そこには何か別の「目的」が隠れている可能性をアドラー心理学は指摘します。つまり、「あの時違う選択をしていれば、今の苦労はなかったのに」と思い詰め、現在の困難をすべて過去のせいにして、今後も何もしないことを正当化していたり、周囲に「あの時の選択のせいで、こんなに私は不幸だ」と強調することで同情や援助を求め続けていたりする可能性があるのです。もしそうであれば、アドラー心理学のカウンセリングでは、その感情を未来への建設的な学びに変え、「これからどうするか」に目を向けるよう促すでしょう。