アドラー小伝

アドラー心理学(Individual Psychology, Adlerian Psychology)とは、オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始した心理学の思想と理論と治療技法の体系をいいます。

アルフレッド・アドラーは、1870年、オーストリアの首都ウィーン市の郊外に生まれたユダヤ人です。ウィーン大学の医学部を卒業したのち、しばらく内科・小児科をしていましたが、1902年から精神分析の創始者であるジグムント・フロイト(Sigmund Freud)のサークルに参加するようになりました。アドラーはフロイトの信任を受け、一時は精神分析協会の会長や機関紙の編集長などをつとめました。その後1911年に、学説の対立からフロイトと袂を分かつことになりました。

フロイトと別れてのち、アドラーは、独自の「個人心理学」と呼ぶ理論体系を発展させました。これが今日アドラー心理学と呼ばれるものになります。

第一次世界大戦が起こってオーストリアは敗戦国になりました。ちょうど日本の戦後と同じように、急速な民主化のなかで様々な社会問題が起こりました。このころの社会の荒廃したさまや当時の知識人たちの感じた絶望は、アドラーと同時代人であったステファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)の『昨日の世界』に詳しく記されています。戦後の混乱の中で、アドラーは特に子どもたちの問題に関心を持ち、ウィーンに児童相談所網を作って問題児の治療や後進の教育に奔走しました。このような実践のなかで、アドラー心理学は次第に洗練されていきました。

1926年以降アドラーはしばしばアメリカへ旅行しましたが、やがてナチの脅威が予測されるようになったため、1935年にアメリカに居を移しました。アメリカとヨーロッパ間を忙しく行き来していましたが、1937年5月、スコットランドへの講演旅行中に、アバディーンと言う小さな町の路上で心臓発作で急死しました。享年67歳でした。