私たちの物語

 フランスの哲学者テイヤール・ド・シャルダンがこんな話をしています。

 たとえ話として、山へ登るときのことを考えましょう。ある人たちは、出発した途端に後悔しはじめます。前途の長い道のりや、そこにひそむかもしれない危険は、何もしないうちからその人たちを疲れさせてしまいます。その結果、その人たちは、遅かれ早かれもと来た道を引き返してしまいます。この人たちのことを、彼は『疲れた人たち』と呼びます。

 第二群の人たちは、陽気に歩いて行きますが、苦労する気はありません。すこしでも苦労しなければならないことになったら、ただちに仕事を放りだして、そこらあたりで遊んで暮らそうと考えています。この人たちは、すくなくとも山の麓まで、ひょっとしたら山の中腹まで、たどり着くかもしれません。けれども、苦労なしに頂上をきわめることなどありえないので、いつかきっと脱落して、途中の景色を楽しむだけで終わってしまいます。この人たちのことを、彼は『陽気な人たち』と呼びます。

 第三群の人たちだけが山頂にまで達します。この人たちだけが未来に向かって飛躍する人たち、ほんとうの意味での幸福に到達する人たちだと、彼は言います。この人たちを彼は『熱心な人たち』と呼びます。

 日本のアドラー心理学運動の現状はどうでしょう。熱心な人たちがいったいどれだけいるのでしょうか。陽気な人たちはたくさんいます。ある程度、毒にならない程度に、生活が根本的に変わらない程度にアドラー心理学を学んで、そこで止まってしまって、先へ進もうとしない人たち。そういう人たちが邪魔になるわけではありません。その人たちはアドラー心理学の消費者です。消費者の存在はたいせつです。消費者なしにアドラー心理学運動は成り立ちません。

 しかし、アドラー心理学の未来を切り開くのは、その人たちではないのです。生産者がいなくては、アドラー心理学は滅びます。たえず新しいものを生み出す、創造的な活動に挑戦してゆく、少数でいいから熱心な人たちの存在がないと、アドラー心理学の明日は危ういのです。(1991年7月)

アルフレッド・アドラーと野田俊作という2人の巨人の物語を、私たちは継承していこうと思います。アドラーの提唱した厳しい思想を突き詰め、選び続けていこうと思います。そのような「熱心な人たち」でありたいと思います。

しかし、「熱心な人たち」であることを誰かに強要するつもりなど全くありません。この思想を徹底させ、実践し続けようという人はごくわずかでしょう。この道を選ぶということは、一時は共に学び合い、語り合い、同じ目標に向かって協力し合った仲間たちと、やがては異なる道を選ぶ日が来る可能性があるということです。異なる思想を抱く者同士がどうやって良い人間関係を築いていくのか、私たちの実践が試されているところだと思います。

治療共同体の仲間として、多くの方々と共に学んでいきたいと願います。治療共同体の輪の中に組み込まれ、自分の周りにいる子どもたちが、家族たちが、友人たちが、あるいはすれ違うだけの誰かが、少しでもしあわせになるように、アドラー心理学を実践する人がひとりでも増えてくれればと願います。

自分の周りの人たちの世界が少しだけしあわせになれば、そういった良い関係を築いていく人たちで満たされる世界になれば、アドラー心理学という名前も、アドラーの思想をことさらに強調する必要もなくなるでしょう。それはきっとアドラーの願った世界に違いありません。

誰ももう、わたしの名前など覚えていないときがくるかもしれません。個⼈心理学という学派の存在さえ、忘れられるときがくるかもしれません。けれども、そんなことは問題ではないのです。なぜなら、この分野で働く⼈の誰もが、まるでわたしたちと一緒に学んだように行動するときがくるのですから。

アルフレッド・アドラー『アドラーの思い出』

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