アドラー心理学を実践しようとして、周囲から「冷たい人」「理屈っぽい人」と誤解される可能性はありませんか?

Category: 実践の難しさ・現実との乖離について

アドラー心理学にも他の学問同様に誤用や悪用の危険が伴うため、その実践が他者にとって迷惑であれば、嫌われて距離を取られることとなります。また、他者を追い詰め苦しめるなど有害な結末が生じれば相応の責任は免れません。

その可能性はあります。まず原則的な話として、学問の誤用や悪用には常に大きな危険が伴います。アドラー心理学もその例外ではありません。その実践が他者にとって迷惑であったり有害であったりすれば、もちろん相応の責任は免れません。だからこそ他の学問同様に、実践は専門家の指導のもとで行われることが望ましいといえます。

アドラー心理学に即していえば、たとえば入門書等からの表面的な知識で他人の行動の意図を決めつける、臨床技法の『課題の分離』を誤用して自分への口出しを許さず、他人には一切協力しようとしない、人間行動を理解するための臨床理論を振りかざして自分の行動を正当化したり、他人の行動を批判したりする、『論理的結末』という技法を誤用して他人を操作しようとする、などといった行為があれば、当然ながら相手からは「冷たい人」、「理屈っぽい人」、あるいは「わがまなな人」などといったように嫌われ、距離を取られることでしょう。また、それらの働きかけの結果、他者を追い詰めて苦しめるなど有害な結末が生じた場合は、嫌われるなどでは済まず、ハラスメントやネグレクトとしてその責任を厳しく問われることとなります。

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