承認が行動の最大の目標であれば、それが得られなければ自己肯定感が低下したり無気力になったりする可能性は高いと考えられますが、アドラー心理学は自己肯定感そのものを最上の価値だとみなしません。
他者から承認されたり賞賛されたりすることを何よりも大切に思っていて、それが対人関係上の最大の目標になっていると、何かの理由でそれらが得られなくなったとき、無力感や悲しみ、悔しさなどで打ちのめされる可能性は、確かに大きいはずです。それらの陰性感情は、自分の期待が満たされない事態に遭遇した時にこそ感じる感情だからです。しかしそもそもアドラー心理学では、他者から承認されたり賞賛されたりすることだけを目的に暮らすことを、健全な生き方だと考えていません。それでは、それらが得られなければ何も行動しないことになるからです。
ここで、時々誤解がみられるため申し上げますが、アドラー心理学は自己肯定感や自尊心を何よりの価値とするものではないのです。それらの維持や向上だけを目指す生き方は、アドラーのいう自己執着のひとつとして、共同体感覚とは明確に矛盾します。共同体感覚を平たくいえば「これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう」と考えること、となりますが、他方、自己肯定感や自尊心を第一に守ろうとすることは、「これは私にとってどういうことだろう。私がしあわせになるために私はなにをすればいいだろう」と考えること、それそのものだからです。
もちろんアドラー心理学は、人が他者からの承認を求めることそのものを否定したり、それに反対したりするわけではありません。人は社会的な生き物ですから、人々に認められたいと思うことそれ自体は、ごく自然な感情といえます。また、社会(共同体)の一員として役立ちたいという気持ちから行動し、その結果として感謝や承認が得られることに、何か問題があるわけでもありません。しかし承認を得ようとすることが、人々に様々な形で役立つことよりも大切になってしまえば、それは本末転倒だと言わねばなりません。
