アドラー心理学では「幸福とは貢献感である」と定義されているようですが、貢献を実感しにくい状況(例:成果が見えにくい仕事、育児中の孤立感)では、どうすれば幸福を感じられるのですか?

Category: 幸福・共同体感覚・貢献感について

直接の成果や見返りが得られにくくても、貢献を社会(共同体)における役割分担や支え合いの一部と捉えることで、「自分は役に立っている」と感じることができます。

貢献というものは、見返りとして得られる幸福という観点からすれば、概ね割に合わないものです。貢献の相手や貢献をおこなう場が、感謝を伝える余裕のないことも多いでしょう。貢献が重要であるときは、そのように逼迫した状況であることが少なくないからです。また、貢献の成果というものが明らかになりやすいとは限りません。成果が実るのは遠く離れた場所だったり、年月が経ってからようやく成果が形になって現れる、といったこともよくある話です。また貢献の達成感にしても、そもそも物事というのはうまくいかないことも多いですから、努力に見合う達成感がいつでも得られる、といったわけにはいかないでしょう。

しかしながら、貢献というものを、共同体という視点から捉え直すこともできるのではないでしょうか。すなわち、貢献とは共同体における役割分担であり、互いにできることを分担し合う営みともいえるのです。ある場面では自分の貢献が誰かの役に立ち、また別の場面では、誰かの貢献で自分が助けられる。共同体ではそのようにして、自分のできることでお互いを支え合っているのです。自分の困っているとき、他者から思いがけない援助が得られるかもしれません。自分の貢献が、自分で思っていた以上に他者に役立つこともあるでしょう。会ったことのない先人たちの積み重ねのおかげで、現在の生活があるのかもしれません。私たちの日々の努力が、遠い子孫に役立つこともあるでしょう。このような視点に立てば、たとえ自分の貢献に分かりやすい見返りが無かったとしても、それでも「自分は役に立っている」「他者から必要とされている」という貢献感を感じ続けることができるはずです。