アドラー心理学Q&A

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主要概念

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「共同体感覚」とは、「自分は社会(共同体)に所属しており、人々は仲間であり、自分は人々に貢献できる」という感覚のことで、他者と協力して幸福に生きるための最も重要な指標であり、アドラー心理学の究極的な目標であるため重視されます。

「共同体感覚」(独:Gemeinschaftsgefühl、英:Community Feeling/Social Interest)は、アドラー心理学における中心概念であり、個人の精神的な健康の最も重要な指標とされています。これは、「自分は社会(共同体)に所属しており、人々は仲間であり、自分は人々に貢献できる」という感覚を指します。人間は一人では生きていけず、他者と協力しながら社会の中で自分の負うべき役割を果たすことで生きる意味が見かってゆく、というアドラー心理学の考えに基づいています。野田俊作はこれをわかりやすく、「『これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう』と考えること」と表現しました。

後述の「勇気づけ」は、この「共同体感覚」の育成を目的とする働きかけです。共同体感覚が育まれると、困難な状況に直面した際も、共同体感覚に基づいて判断することで、より広い視点から物事を捉え、建設的な解決策を見出しやすくなります。アドラー心理学の究極的な目標は、より多くの人々のこの共同体感覚を育成し、人々がより幸福で調和のとれた人生を送れるように援助することにあります。

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共同体感覚を持つためには、他者を尊敬・信頼することを基本とし、『これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう』という視点で考えて、日々のささやかな貢献を地道に積み重ねていくことです。

共同体感覚の育成とは、他者を尊敬し信頼しながら、どのように判断し行動すれば共同体に貢献できるかを実践のなかで深く学び、身につけていくことを意味します。共同体は家族であろうと、もっと大きなスケールの共同体であろうと、そこに所属する人々の、様々な貢献によって支えられています。すなわち他者への尊敬と信頼それ自体に加えて、勇気や慈愛に満ちた行動や、経験や知恵に基づいた深い洞察、謙虚で誠実な話し合いによる熟慮、広い視野に立った公正な判断など、人々に役立つ様々な行動の積み重ねから共同体は成り立っています。ゆえに、共同体への貢献の仕方を学ぶということは、倫理的・道徳的ともいえるそれらの行動を、日々の実践を通じて自分のものにしていくことに他なりません。

まず、普段からの心がけとして他者を尊敬し信頼すること、そして、ものごとを自分にとって有益かよりも、『これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう』といった観点から考えることが重要です。『みんな』といっても、自分が直接関わっている人々だけを大切にするのではなく、自分自身とそれらの人々が所属しているより大きな共同体にも、さらには世の中全体にも貢献的かどうかを考えます。そして、日々の子育てや親孝行の中で、あるいは職場や学校の仲間との助け合いや、地元などで出会った様々な人々との関係の中などで、ささやかなことからで構わないので、「みんなが幸せになるために私にできること」を実行していきます。そうした地道な積み重ねこそが、共同体感覚の育成へとつながっていくのです。

なお、こうしたことを心がけて暮らすことは、あくまでも自分自身が決心して自分自身が行うことであって、決して他者に強いることではありません。他者にこれを強いれば、それは「共同体感覚」を育成することとは、正反対の生き方になってしまいます。

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アドラー心理学でいう「劣等感」とは、理想と現実のギャップや他者比較から生じる「自分には価値が少ない」という後天的な思い込みであり、人を不毛な「優越性の追求」へと駆り立てる不幸の源泉となる感覚です。

アドラー心理学における最も重要な概念は「共同体感覚」ですが、有名であるという点では「劣等感」が一番かも知れません。アドラーは「劣等感」を、「不完全である成就していないという感覚」と述べました。すなわちアドラー心理学における「劣等感」とは、「自分は他者よりも価値が少ない」という思い込み・感覚だけを指しているのではなく、もう少し広く、その人が理想とする状態とは違う現実に遭遇したときに起きる感覚も指しています。ドイツ語の原語「Minderwertigkeit」は、文字通り「価値がより少ない感じ」を意味します。これは本来、理想通りでない自分には価値が少ない、という意味あいですが、現代のような競合的な社会においては「劣等感」とは、もっぱら「人に比べて自分は○○の点で劣っている(から自分には価値がない)」という意味で使われています。

本来、人間の赤ちゃんは、他者との優劣を比較しない「平等」な世界に生きています。しかし、子どもが成長し言葉を覚え、社会生活を送る中で、以下のようなプロセスを経て劣等感を抱くようになると考えるアドラー派の学者もいます。

  1. 「区別」の学習:優れたものと劣ったものの「区別」を学ぶ。
  2. 「勇気くじき」:親や教師から「それじゃダメ」「なんでできないの?」といった言葉をかけられること(勇気くじき)で、「自分は劣っている存在だ」と思い込む。

この結果、かつて感じていた世界への所属感や安心感を失ってしまいます。人は「私はこういう点で劣っている」という劣等感(相対的マイナス)を抱くと、失った「平等」の感覚を取り戻そうと、「私はこうでなければならない」(例:「人の上に立たなければならない」「人に好かれなければならない」)といった、その人にとっての理想の姿である「相対的プラス」という目標を立てて、劣等感を補うための「対処行動」を起こします。つまり、「劣等感(相対的マイナス) → 対処行動 → 目標(相対的プラス)」というプロセスが生まれます。

しかし、根底にある劣等感は消えないため、その目標は追いかけても決して到達できない地平線のように逃げていきます。そのため、常に不安を抱え、緊張し、努力し続けなければならない状態に陥ります。要するに、劣等感とは、後天的に意味づけられた「自分には価値がない」という幻想であり、人々を終わりのない「優越性の追求」という不毛な努力へと駆り立てる、不幸の源泉であると捉えられています。

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「劣等コンプレックス」とは劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げる状態を指し、「優越コンプレックス」とはその劣等感を隠すために自分が優れているかのように振る舞う、劣等感の裏返しである状態を指します。

アドラー心理学における「劣等コンプレックス」とは、人が持つ「劣等感」を、人生の課題から逃れるための口実として利用している状態を指します。これは、困難に対して建設的に取り組むことを避け、自分を正当化するための自己欺瞞に他なりません。その目的は、現状維持が失敗を招いたとしても、その責任を自分以外のものに転嫁することにあります。また「劣等コンプレックス」は、過度に心の傷や被害者意識などを訴えることで周囲の同情を引いたり、相手を感情的に支配したりする手段としても使われます。

では、人はどのようにして「劣等コンプレックス」を使うに至るのでしょうか。人間は誰しも、生まれながらにして「自分は劣っている」と感じているわけではありません。しかし、成長の過程で、社会や家庭、学校における様々な要因の影響で劣等感を持つようになると考えます。

子どもは言葉を覚えるにつれて、物事の「違い」を「優劣」として区別し始めます。その際に、親や教師が「どうしてできないの?」「もっと頑張らないとダメ」といった否定的な言葉(アドラー心理学で言う「勇気くじき」)を投げかけることで、子どもは「自分は劣っている」という思い込み(劣等感)を抱くようになります。

この「自分は劣っている」という感覚は、客観的な事実ではなく、作られた思い込み(フィクション)です。しかし、この劣等感から逃れるために、人は「優越」という架空の目標を立て、それに向かって努力を始めます。この「劣等から優越へ」という動きそのものが、ライフスタイルの基本構造となりますが、初めからピントがずれた努力に陥りがちです。

身体的な特徴(器官劣等性)、性別、生まれ育ち、経済状況、さらには家族や上司といった人間関係まで、本人と相手が納得しさえすれば、ありとあらゆるものが劣等コンプレックスの材料となり得ます。現代社会では、特に「老い」がネガティブなものと捉えられ、高齢者が大きな劣等感を抱えやすい状況にあります。

人が劣等コンプレックスを人生の主要な方針として用いるようになると、それは「神経症」と呼ばれます。神経症的な人とは、劣等コンプレックスを実践し、自分が作り出した口実に完全に騙されている状態です。アドラーはこの状態を「犬が自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回っている」と表現しました。この自己欺瞞のサイクルに囚われている限り、人生の問題の真の解決には至りません。

劣等コンプレックスから抜け出すためには、まず、その自己欺瞞の輪から一歩外へ出ることが必要です。

  • 共同体への貢献
    内向きの関心を外に向け、他者や社会に貢献すること(プラスになることを始める)が、サイクルを断ち切る鍵となります。
  • 「劣等」という幻想への気づき
    私たちが抱く「劣等感」は、社会全体が共有する壮大な誤解に過ぎないと理解すること。
  • 「勇気づけ」
    また「勇気づけ」は、子どもが劣等コンプレックスを使って生きる選択をすることがないようにするために重要です。たとえば、子どもが貢献してくれたことに対して感謝を感じたなら「お手伝いありがとう」「あなたがいると助かる」といった言葉を伝えることもできます。こうしたことよって子どもは、自分は他者の役に立つ存在であると感じられ、自分の力を他者のために使う勇気が生まれることでしょう。

つまり、能力の優劣という幻想の物差しから降り、他者と対等な立場で協力関係を築いていくことが、劣等コンプレックスを克服する唯一の道と言えます。

一方、「優越コンプレックス」は、劣等感の裏返しとして、あたかも自分が優れているかのように振る舞うことで、劣等感を隠そうとする状態です。自慢話を繰り返したり、他者を見下したり、権威を誇示したりする行動がこれにあたります。どちらも他者との調和を欠き、対人関係の摩擦を生じやすいあり方です。また「優越コンプレックス」は、対人関係において片方が相手への劣等感を過補償し、それに対して相手がさらに大きな劣等感を持ち、それを過補償し、といったように繰り返されることで、両者の争いが際限なく拡大していく原因でもあります。

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アドラー心理学における「補償」とは、人間が持つ劣等感を克服し、より完全な状態を目指そうとする努力や行動のことです。

アドラー心理学における「補償」とは、人間が持つ劣等感を克服し、より完全な状態を目指そうとする努力や行動のことです。例えば、身体的に虚弱だった人が熱心に運動して健康な身体を手に入れたり、ある分野でうまくいかなかった人が別の分野で成功を収めようと努力したりすることが補償にあたります。アドラー自身も幼少期にくる病を患い、弟の死を経験したことなどから劣等感を抱きましたが、それを契機に医学を志し、偉大な心理学者となりました。補償は人間の成長と発展に不可欠なプロセスであり、建設的な形で行われる限りにおいて、人生を豊かにする力となります。ただし、補償の方向性や手段が適切でなければ、個人にとって、あるいは共同体にとって破壊的な結末に至ることもあります。

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アドラー心理学の「ライフスタイル」とは「性格」や「人格」にあたるもので、遺伝や環境に一方的に決定されるのではなく、子ども自身が家庭環境やきょうだい関係に影響を受けながら、試行錯誤や模倣などを通じて主体的に「選択」して形成するものです。

「ライフスタイル」とは、一般的に使われる「性格」や「人格」に相当する、アドラー心理学の中心的な概念です。アドラーが「性格」や「人格」という言葉を使わなかったのは、「性格」という言葉が持つ遺伝決定論的なニュアンスと、「人格」が持つ、逆に遺伝的要因を軽視しすぎるニュアンスの両方を避けるためでした。また、アドラー心理学では、ライフスタイルは遺伝や環境に影響はされるものの、それらによって一方的に決定されるわけではないと考えます。この独自の立場を明確にするために、「ライフスタイル」という言葉が選ばれました。

次に、ライフスタイルの形成過程についてですが、ライフスタイル形成における最も重要な原則は、子ども自身が主体的な「選択」によってライフスタイルを選び取るという点です。子どもは以下の3つの方法を通じて世界を学び、自らの生き方(ライフスタイル)を能動的に構築していきます。

  • 試行錯誤:様々な行動を試し、その結果(親や兄弟に受け入れられたか、願いが叶ったかなど)から、うまくいく方法を法則として自ら発見します。
  • モデル(模倣):親や兄弟、物語の登場人物など、他者の行動を真似ることで学びます。
  • 言葉:親や教師から話を聞いたり、本を読んだりして、言語を通じて学びます。

いずれの方法においても、子どもは教えられたことをそのまま受け入れるのではなく、自分が学びたいことを選び取って、自身のライフスタイルを形作っていきます。子どもがライフスタイルを「選択」する上で、特に大きな影響を与えるのが「家庭環境」と「きょうだい関係」です。

「家庭環境」は人間が人間らしく育つための最も基礎的な共同体であり、家庭を破壊することは健全なライフスタイル形成を著しく阻害します。

「きょうだい関係」ですが、アドラーは、親よりもきょうだいの影響を重視しました。なぜなら、いってみれば親は獲得すべき「賞品」であるのに対し、きょうだいは同じ賞品を奪い合う「競争相手」に位置し、生き方の作戦(ライフスタイル)を立てる上でより決定的な影響を与えるからです。アドラーによると、誕生順位によって以下のような典型的な傾向が見られるとされます。

  • 第一子(長子):親の愛情を独占した後に王座を奪われる経験から、賢さや能力を誇示する、あるいは乱暴になるといった作戦をとる傾向があります。
  • 中間子:注目を独占した経験がなく、家の中より外に活路を見出したり、人間関係の中で自分の位置を確保するために工夫を凝らしたりします。
  • 末子:常に年長者に囲まれ、可愛がられる術を身につけますが、主体性に欠ける可能性があります。
  • 一人っ子:末子に似ていますが、競争相手がいないため、許される範囲の「限界」を知らない傾向があります。

なお、誕生順位によるこうしたライフスタイルの傾向は、単に一つの例であって可能性にすぎないものです。個人のライフスタイルはその人独特のものであるが故に、誕生順位以外の様々な情報を知ることによってはじめて個人のライフスタイルを理解することができるのだとアドラー自身が述べています。

たとえば、性別やきょうだい間の年齢差、個々の子どものリソースによってもまったく違ってきます。親の影響としては、親の持つ価値観すなわち「家族の価値」や、家族の価値を伝える方法としての「家族の雰囲気」があります。また、家庭以外でライフスタイルに影響を及ぼす要因としては、学校や、その他ライフスタイル形成期に子どもが所属する集団や、子どもが接する様々な情報(メデイア、出版物、インターネットなど)も、ライフスタイル形成に影響を与える要因となります。

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「私的感覚」とは、出来事に対して「良い(プラス)」「悪い(マイナス)」を瞬時に判断する個人独自の無意識的な価値判断であり、これが個々のエピソードにおける表層的な反応(私的論理)を生み出すのに対し、「ライフスタイル」は、複数のエピソードに共通するその人固有の「私的感覚(=私的意味づけ)」の背後にある、パーソナリティ全体を貫く根源的な思考・行動パターン(深層構造)を指します。

「私的感覚(Private Sense)」とは、個人が持つ独自の「こうあるべきだ」「こうなったら素晴らしい」という感覚に基づく、多くの場合無意識に行われる「価値判断」のことです。これは、ある出来事や状況に直面した際に、「何が良いこと(プラス)で、何が悪いこと(マイナス)か」を瞬時に判断する、個人の行動の背後にある「黒幕」のようなものです。

この感覚は、具体的な出来事の中で次のように機能します。

  1. ある出来事が起こると、人は無意識に自分の「私的感覚」に照らし合わせます。
  2. その出来事が理想から外れている(マイナス面)と判断されると、「劣等感」が生じます。これは「他人より劣っている」という意味ではなく、「自分の理想と現実とのギャップ」を指す感覚です。
  3. この劣等感は具体的には、不安、怒り、後悔などといった「陰性感情」として感じられます。
  4. そして、その理想と違う状況を解決し、理想の状態(プラス面)に近づけようとする「対処行動」が引き起こされます。

そのため、ある人の「私的感覚」を理解するためには、まず具体的な「エピソード(一回限りの出来事)」の分析から始めます。そのエピソードにおいて陰性感情が最も強いところや、あるいはエピソードの中で初めて陰性感情が出たところ、続いていた陰性感情が急に強まったところなど、「そのエピソードが一番ドラマティックに展開をみせたところ」を起点に、以下の3つの要素を分析します。

  • ライフタスク (Lifetask / LT):
    その「対処行動」を取らなければならなかった問題状況のこと。私的感覚のマイナス面に触れた出来事。この状況にある時、人は「劣等感」(理想と現実のギャップ)を感じます。具体的には陰性感情(不安、怒り、後悔など)として感じられます。
  • 対処行動 (Coping Behavior / CB):
    問題を解決するために、その人が具体的に取った行動のこと。
  • 仮想的目標 (Fictional Goal / FG):
    その「対処行動」の先に期待している理想的な解決イメージのこと。私的感覚のプラス面が現れたもの。その人が「こうなれば素晴らしい」と考える、キラキラした理想のイメージ。

これら3つの要素は、「私的感覚」という一つの価値判断から生まれ、「私的感覚」によってお互いに結びついています。つまり「私的感覚」とは、その個人固有の「およそ人たるもの(=自分も相手も)~であるべきだ」といった感覚に基づく、「【仮想的目標】はプラスであり、【ライフタスク】はマイナスであり、【対処行動】がマイナスからプラスに進むための手段である」という、プラスとマイナスの両側面を持つ価値判断の体系ということができます。

そして、私的感覚から生まれる「仮想的目標」は、以下の2種類に分けられます。

  • 競合的な目標
    相手と自分を比べ、優劣や善悪などを決めようとする目標。これは相手を「劣っている」「間違っている」と裁くことになるため、対立を生みやすくなります。
  • 協力的な目標
    相手と共通の目的に向かって協力しようとする目標。

人間関係のトラブルは、多くの場合「競合的な目標」を持つ私的感覚から生じます。その場合、解決のためには、目標をより「協力的なもの」へと作り直す必要があります。

次に「私的感覚」と「ライフスタイル」の関係ですが、「ライフスタイル」とは、個人のパーソナリティ全体を貫く、より根源的な思考・行動パターンのことです。アドラー心理学ではある個人が出来事に際して持つ、「ライフタスク→対処行動→仮想的目標」といったような考え方の流れを「私的論理」と呼んでいますが、これが個別のエピソードにおける表層的な反応パターンだとすれば、「ライフスタイル」はその背後にある深層構造といえます。また、ある個人の複数のエピソード(現在の複数の出来事や後述の早期回想)で共通して見出される、その個人に一貫するといえる「私的感覚」を「私的意味づけ」と呼びますが、そこに端を発して動いている根源的な思考パターンこそが「ライフスタイル」なのです。

レベル価値判断の体系考え方の流れ
(LT → CB → FG)
表層(個別のエピソード)私的感覚 (Private Sense)私的論理 (Private Logic)
深層(パーソナリティ全体)私的意味づけ (Private  meaning)ライフスタイル (Lifestyle)

「私的感覚」と「ライフスタイル」は以上のような関係にあります。

なお、ライフスタイルを分析する上で非常に有効なのが、「早期回想(小学校卒業くらいまでの、感情を伴う鮮明な子ども時代の記憶)」です。早期回想を分析する理由は以下の2つです。

  • 現在のエピソードと、時間的に遠く離れた子ども時代の思い出に共通のパターン(私的感覚、私的論理)が見つかれば、それは一時的なものではなく、その人の生き方全体を貫く「ライフスタイル」である可能性が高まります。
  • 人がわざわざ記憶し続けている数少ない子ども時代の思い出には、「この世とはこういうものだ」「自分はこういう人間だ」といった、自分自身、他者、世界に対するその人の根本的な意味づけ(「私的意味づけ」)がよりシンプルに表されていると考えられます。

早期回想の分析方法は、現在のエピソードの分析と全く同じ(LT→CB→FG)です。こうして複数のエピソードから「私的感覚」を分析し、その共通項を探ることで、個人の「ライフスタイル」が明らかになります。

このライフスタイルは固定的なものではなく、書き換えることが可能です。それには以下の3つのステップを繰り返すことが有効です。

  • 理解 (Understand):
    エピソード分析を通じて、自分の「私的感覚」や「私的論理」のパターン(例:「私はいつもこうやって失敗しているな」)を言葉にして理解する。
  • 行動 (Act):
    理解に基づいて、より協力的な目標や、より適切な対処行動を意識的に試してみる。
  • 成功 (Succeed):
    新しい行動によって、実際に関係がうまくいくという成功体験を積む。

この「理解→行動→成功」のサイクルが学習となって働き、個々の「私的感覚」がより協力的なものに修正され、最終的には根源的な「ライフスタイル」そのものが、より良い方向へと書き換えられていくのです。ただし上記の過程から明らかですが、これは自分ひとりで行えることではなく、周囲の協力と本人の努力があわさり、初めて可能となるものです。つまり、これは個人の成長過程であるとともに、個人が共同体に参加し、相互に貢献していく過程でもあるのです。

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「私的論理」が個人の独自の価値観(私的感覚)に基づく主観的な思考の 流れ であるのに対し、「共通感覚」は社会や共同体で共有される、いわゆる常識という 価値観(私的感覚と対応するもの)を指します。

「私的論理」とは、個人が独自の価値観、思い込みに基づいて、自分自身や世界、他者について考える際の、その考え方(論理)のことです。人は私的論理の大前提となっている、その個人特有の価値観つまり私的感覚から、「わるい」状況と判断されるライフタスクを劣等感をともないながら認識するとともに、それに対する「よい」状態といえる仮想的目標を導き出して、この目標へ進むための対処行動を結論づけます。以上の過程での思考の流れを、「私的論理」と呼びます。多くの場合、私的論理による結論は個人的には「正しい」判断だと思われていますが、必ずしも客観的・普遍的な妥当性を持つわけではありません。

一方、「共通感覚(コモン・センス)」とは、ある社会や共同体の中で広く共有されている考え方や価値観、つまり、いわゆる常識を指し、個人特有の価値観を指す「私的感覚」と対応関係にあります。私的感覚が共通感覚から大きく逸脱している場合、対人関係の困難や不適応が生じやすいと考えられますが、ただし共通感覚もまた、共同体内で多数説であるからといって、必ずしも正しいとは限りません。歴史にみられるように、共同体全体が誤った考えにとらわれていることもあるのです。そこでアドラー心理学では、人々の暮らしの中でたえず再検討されながら、より大きな共同体にも有益かどうかを問う「共同体感覚」を強調します。

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アドラー心理学における「人生の課題(ライフタスク)」とは、人間が社会的な存在として生きていく上で直面せざるを得ず、個人の精神的健康や生き方(ライフスタイル)と深く結びついている「仕事」「交友」「愛」という3つの対人関係の課題を指します。

アドラー心理学における「ライフタスク」とは、人間が社会的な存在として生きていく上で、直面せざるを得ない「課題」を指します。タスクといっても、その人の抱えるいわゆる「やるべきことリスト」のことではなく、個人の精神的な健康や幸福、そしてその人の生き方そのもの(ライフスタイル)と深く結びついた、包括的な概念です。

アルフレッド・アドラー自身が明確に提唱したのは、以下の三つのライフタスクです。このどれもが対人関係であることは、とても重要な点といえます。この分類は、主として関係の継続性に基づいています。

  • 仕事のタスク:生計を立てるための職業活動、学業、家事など、生産性に関わるあらゆる活動を指します。社会の一員として貢献し、自分の居場所を確保するための基本的な課題です。
  • 交友のタスク:友人関係や地域社会との関わりなど、恋愛や家族関係以外のより広い対人関係を指します。他者と協力し、社会的なつながりを築く能力が問われます。
  • 愛のタスク:パートナーシップや親子関係といった、最も親密な対人関係を指します。ライフタスクの中で最も困難なものとされ、深いレベルでの信頼と貢献が求められます。

これらのタスクは多くの場合、実生活において、現実と、本人が理想とする状態(仮想的目標)とのギャップとして現れます。そのため「課題」として認識される際には、「劣等感」、具体的には不安、怒り、後悔などといった陰性感情を伴うことが一般的です。

これらの課題にどのように取り組み、そこで他者とどのように協力していけるかは、その人の人生のあり方と不可分といえます。アドラー心理学のカウンセリングでは、個人がこれらの課題にどう向き合い、困難を乗り越えていくか、について話し合います。また、必要に応じてその人の「ライフスタイル」を分析し、より根源的な解決策を見出すことを目指します。

なお、これらに加えて、アドラー派の論者によっては「自己との課題」「スピリチュアルな課題」などを加えることもあります(ハロルド・モザックによる提唱)。

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アドラー心理学の「課題の分離」とは、ある課題の結末が最終的に誰にふりかかるかという観点から「本来誰の課題か」を判断する考え方であり、他者が本人の課題を勝手に肩代わりして成長機会を奪うことを防ぎ、その上で「共同の課題」として協力し合うための準備段階として重要です。

アドラー心理学では、共同体のメンバーが人生の課題に遭遇したときに、その課題に責任をもつ本人が対処するのに加えて、必要に応じてその課題を共同体における「共同の課題」としてとらえ、他のメンバーも協力してそれに対処しようと考えます。しかし、そうした分担を的確に行うためには、共同体のメンバーの間で、その課題が誰のどのような課題であるかについて、あらかじめ明らかでなくてはなりません。

実は、それを明らかにする作業こそが、いわゆる「課題の分離」なのです。「課題の分離」とは、共同の課題を作るための準備段階として、その課題に関する結末が最終的にふりかかるのは誰か、という観点から、その課題が本来誰の課題であるかを判断するものです。

例えば、「子どもが勉強するかどうか」という課題は、本来は子ども自身の課題であるはずです。なぜならば、子どもが勉強するにせよしないにせよ、それによって左右されるのは、他ならぬ子ども自身の将来だからです。だとすると、宿題をしないことで親自身が感じる不安を解消したいなどの理由で、子どもの考えを聞いたり話し合ったりせずに、ひたすら叱責して宿題をやらせようとしたり、勉強の仕方に一方的に口を出したりすることは、「育児」としては筋違いといえないでしょうか。つまりそれで成績は伸びたとしても、果たして子ども自身は成長するのでしょうか。

「課題の分離」をせずに、子どもの課題を勝手に肩代わりすることは、自分のなすべきことを自分でやりとげる、あるいは誰かと協力してやりとげるという貴重な機会を子どもから奪ってしまうことに他なりません。そのため、課題への対処を子ども自身に任せる場合も、あるいはすべて子どもだけに任せず、共同の課題にする場合にも、あらかじめそれらについて、子どもとよく話し合わなければなりません。子どもがその課題についてどのように考えているのか、なにか助力を必要としているか、などについて子どもの話をよく聴き、子どもがしてほしいことで親ができそうなことを具体的に親子で話し合って決めていくのです。

なお、こうして課題について話し合いをした後も、常に子どもを見守って、場合によっては共同の課題を作り直す、という作業が必要となります。一度課題を分離したらもうそれっきりで、「あなたの課題だから」と終わりにしてしまうのなら、それでは単なる、無責任な放任育児になってしまいます。

ちなみに課題の分離について、アドラー心理学でもっとも重要な技法だと紹介されることがあるようですが、それは誤りです。重要ですが、最重要ではありません。それよりも大事なのは、課題を分離した後の共同の課題をつくる過程であり、さらに大事なのは、そうして課題を分担し合い、協力しあってともに幸せに暮らすことです。繰り返しになりますが、課題の分離とはそれらの準備段階としてデザインされ用いられている技法であって、そこで終わってしまってはアドラー心理学とはいえません。

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アドラー心理学の「勇気づけ」とは、単なる「褒め言葉」のような小手先のテクニックではなく、尊敬に基づいた対等な「横の関係」から、相手が共同体感覚を持って協力的に生きられるよう働きかける、包括的な哲学であり生き方そのものです。

「勇気づけ」とは、相手がより共同体感覚に基づく生き方、暮らし方ができるように働きかけること、と、アドラー心理学では考えます。ある働きかけが実際に相手において、人々とお互いに協力しあって幸福に暮らしていく勇気に結びついてこそ、その働きかけを「勇気づけ」と呼ぶことができるのです。

「勇気づけ」は、まず働きかける側が自分から、人々との競合的な構えを抜けて協力的に暮らす決心をすること、あるいは「縦の関係」を抜けて「横の関係」で生きる決心をすることから始まります。なぜならば、一方的な働きかけでもなければ他人事でもない、ともに貢献し合う仲間同士としての働きかけであってこそ、相手を勇気づけることができるからです。

「勇気づけ」の技法としては、「子ども(相手)の話を聴く」ことや「お願い口調」という話の仕方、「課題の分離」、あるいは貢献や協力に注目する、過程を重視する、すでに達成できている成果を指摘する、失敗をも受け入れる、個人の成長を重視する、相手に判断をゆだねる、肯定的な表現を使う、「私メッセージ」を使う、「意見言葉」を使う、感謝し共感する、といったように様々なものがありますが、このどれもが現実の対人関係の中での、心からの相手への働きかけであることをけっして忘れてはなりません。これらは、単に言葉をなぞっただけの形だけのものになってしまえば、なんの役にも立たないばかりか、逆効果になることも少なくないのです。

すなわち「勇気づけ」とは、いわゆる「声がけ」や褒め言葉といったような小手先のテクニックなどではなく、人間への深い尊敬に基づいた包括的な哲学であり、生き方そのものといっても過言ではありません。「勇気づけ」の実践は、言葉への感性を磨き、対話のプロセスを大切にし、自らの感情をコントロールし、相手の貢献を信じてその機会を作り出す、たゆまぬ日々の心がけと努力の中にあります。それは、相手と私たち自身の人生を豊かにする、生涯をかけた学びの道程なのです。