1948 |
S23 |
3月10日大阪市住吉区で出生 |
1972 |
S47 |
大阪大学医学部医学科卒業・医師免許取得 |
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消化器内科・放射線科・麻酔科を5年、その後精神科を5年 |
1982 |
S57 |
シカゴ・アルフレッド・アドラー研究所へ留学 |
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第15回国際アドラー心理学会(オーストリア・ウィーン)に参加 |
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『登校拒否・非行は直せる』(日本経済通信社)発刊 |
1983 |
S58 |
神戸家庭裁判所勤務。アドラー心理学勉強会開始 |
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『家庭内暴力をなおす ― 薬物療法と精神療法』(コンパニオン出版)発刊 |
1984 |
S59 |
日本アドラー心理学会を創設・第1回総会(大阪大学) |
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アドラーギルドを創設(大阪市都島区) |
1985 |
S60 |
第16回国際アドラー心理学会(カナダ・モントリオール)に参加 |
1986 |
S61 |
アドラーギルド 大阪市西中島区双葉ビルに移転(学会も同ビル内) |
1987 |
S62 |
『オルタナティブ・ウェイ』(現『アドラー心理学を語る』創元社)発刊 |
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第17回国際アドラー心理学会(西ドイツ・ミュンスター)に参加 |
1988 |
S63 |
アドラーネットを開設 |
1989 |
H1 |
オスカー・クリステンセン博士招聘 |
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『クラスはよみがえる』(創元社)発刊 |
1990 |
H2 |
バーバラ・フェアフィールド女史招聘 |
1991 |
H3 |
ドロシー・ぺヴン女史招聘 |
1992 |
H4 |
ハロルド・マッカビー博士招聘 |
1995 |
H7 |
阪神淡路大震災 |
1997 |
H9 |
ヒューマンギルドとの提携関係終了 |
1998 |
H10 |
ジェーン・ネルセン女史招聘 |
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『パセージ』α版作成 |
1999 |
H11 |
有限会社東京アドラーギルド開設 |
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第21回国際アドラー心理学会(アメリカ・シカゴ)に参加 |
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『パセージ』β版作成 |
2000 |
H12 |
バーナード・シャルマン博士招聘 『野田俊作論文集』発刊 |
2001 |
H13 |
『パセージ』1.0版完成 |
2002 |
H14 |
第50回北米アドラー心理学会総会(シカゴ)に参加 |
2003 |
H15 |
第51回北米アドラー心理学会総会(ヴァンクーヴアー)に参加 |
2004 |
H16 |
有限会社野田俊作事務所開設・日本アドラー心理学会が中間法人へ移行 |
2006 |
H18 |
第52回北米アドラー心理学会総会(シカゴ)に参加 |
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東京アドラーギルド閉鎖 |
2007 |
H19 |
アドラーギルドおよび日本アドラー心理学会 西中島区内で移転 |
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ICASSI(オランダ)に参加 |
2008 |
H20 |
ICASSI(ハンガリー)に参加 |
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第21回国際アドラー心理学会(リトアニア・ヴィルニウス)に参加 |
2009 |
H21 |
ヨランタ・ツィハノヴィチャ女史招聘 |
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日本アドラー心理学会が一般社団法人へ移行 |
2010 |
H22 |
ICASSI(ルーマニア)に参加 |
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イヴォンヌ・シューラー女史招聘 |
2011 |
H23 |
東日本大震災 |
2012 |
H24 |
ICASSI(リトアニア)に参加 |
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アドラーギルド 新大阪事務所大阪市中央区へ移転 |
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日本アドラー心理学会 西中島区内で移転 |
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『パセージ・プラス』開発開始~1.0版完成 |
2013 |
H25 |
野田俊作事務所閉鎖 |
2014 |
H26 |
『パセージ・プラス』2.0版完成 |
2015 |
H27 |
アドラーギルド 大津市へ移転 |
2017 |
H29 |
フランク・ウォルトン博士招聘 |
2018 |
H30 |
2月20日から6月1日まで脳悪性リンパ腫のため入院・加療 |
2020 |
R2 |
12月3日早朝、自宅にて永眠 |