AIJシンポジウムから学んだこと

AIJシンポジウムから学んだこと


 2026年1月12日に、オンライン講座『第6回AIJシンポジウム』が開催されました。そこで今の私が学んだ事をまとめておきたいと思います。

 最も印象に残ったところは、「共同体感覚は劣等感と反比例する。」というお話でした。大きな共同体感覚があれば、優越目標に向かう矢印は小さく、反対に、共同体感覚が小さければ、優越目標に向かう矢印は、奥底から跳ね上がるように大きくなるというところでした。

 私は、独身の頃、小学校教諭として1年生3年生4年生の担任を経験し、バリバリ働いていました。結婚を機に辞める事を自分で決め、家事育児に専念していくのですが、辞めたことが日を追うごとに辛く、自分の全てを失ったかのような虚しさを感じていました。まさにこの時の私は劣等感の塊でした。私は、この劣等感を埋めるために、いろんな資格取得や、このアドラー心理学の勉強も必死になってやっていたように思います。この時の私は、タテの関係の中で生きており、劣等感から這い出そうとしても、待っているのは、終わりのない勝ち負けとか損得勘定のような、イライラした、ソワソワした落ち着きのない感情でした。

 今回、シンポジウムでの先生方の言葉を借りると、

『私はうっかり共同体感覚を知ってしまいました。』

『そして、それは「エピソード分析」という手法をつかって、体感できることも知ってしまいました。』

『「エピソード分析」は、目標を一旦棚上げして、ミクロの平等の位置を探している』

『ミクロの共同体感覚を探っている。』

ということがわかりました。


 私は、これまで、パセージ・プラスを受講する中で、「エピソード分析」のやり方を覚えようとして、それだけで手いっぱいで良さを体感出来ていませんでした。

 シンポジウムのお話を聞いて、グンと一段高いところへ連れていってもらったように、「エピソード分析」全体を見渡し、「エピソード分析」をするということはどういうことなのか?その目的は何なのか?大きな広い視野で見れたように思います。

 手法を覚えるという次元とは違って、野田先生の「エピソード分析」に込められた思いや、やろうとされていたことに触れる事で、今、私たちがやっていることは、『平等の位置を探ろうとしているのだ』と学び、とても感動的な気持ちになりました。

 そして、この気持ちで終わるのでなくて、野田先生がいつも自分を成長させて、世の中のためにできることはないかとゼロベースでやってこられたというお話も聞くことが出来ました。

 私もとても微力ではあるけれども、仲間に対して、社会に対して何ができるのか、考えて実践していきたいと思いました。


 先日の自助会で、「エピソード分析」をやってみました。それは、今までとは全く違う世界でした。グループで話し合う心地よさ、肩の力がゆっくりと抜けていく感じ、モヤモヤしていたことがくっきりと見えてくる爽快さがとても楽しかったです。


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「基本前提の歌」より
勝ち負けのない協力平等の真の所属を目指して実践し子どもに伝え人類全体が幸福になるその日が来ますよう・・・                    
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 昨年の4月から、小学校の支援員として働いています。教諭として働いていた頃は、『子どもになめられたくない!』『お隣の先生より良い授業をしたい!』など、競合的な構えだったと思います。その為か、明日も学校か、、と、鬱々とした日々が多かったように思います。

 今は、『子どもを勇気づけるために、私にできることはなんだろう?』『支援員として、私がここにいる意味はなんだろう』『周りから何を求められているのだろう?』と、考えることが多くなり、わからないことは相談したり、意見を述べることが以前より自然にできるようになったと思います。何より嬉しいのは、『よし、今日も頑張るぞ!』と、気持ちよく学校に向かうことができるようになっていることです。

 以前の私は、アドラー心理学を学んでいくと、「その先に何があるのだろう?!」と、その先の何かを得ようとしていたのですが、それだと優越目標にまっしぐらです。そうではなくて、共同体感覚について仲間と一緒に探っていく過程が大事だと思いますし、その中で『ヨコの関係』や『真の所属』というものを体験していきたいと思います。

 これからも仲間と一緒に、一歩一歩、希望をもって、学んでいきたいと思います。


海の京都 Y.T