オープンカウンセリングを体験して

 京都府与謝野町の「かや山の家」にて開催された、12/6カウンセリング講座と12/7オープンカウンセリングに参加しました。そして12/7には自分の事例を初めてオープンカウンセリングでお話しさせてもらいました。

 私は、ここ最近、葛藤から降りられなくてずっと気になっている事例がありました。オープンカウンセリングで話してみようと思いつつも決心がつききれずいました。というのも、「相手もOK、自分もOK」の状態を受け入れて変わる気は自分にあるのか自信がなかったからです。

 とても競合的なことですが、葛藤から降りられないと悩みつつも、自分の気持ち(意見)を大事にしたいという気持ちが大きくて「相手もOK」の位置にいる自分が想像できませんでした。でもそんな自分に「私は能力がある」「人々は仲間だ」とは思えない孤独な気持ち(私は協力的に生きる能力がない)(自ら協力的な所属を放棄した)(やっぱり競合的なところから抜けきれない)にもなっていました。

 そして迎えたオープンカウンセリング。
 私は午後の部にお話しさせていただく予定だったのですが、午前のオープンカウンセリングが終わった後の質疑応答の時間に先生方が「相手もOK自分もOKをめざす、だけど今はヨコになれないタテの関係でいきますって思うこともある。それはそれでOK」ということをお話しくださいました。(未熟な理解だったらすみません)

 それを聞いて私は胸がいっぱいになりました。
 相手のよい意図を考えても、ちっとも納得がいかず「いや私だって…」という気持ちが出てきて権力争いから降りられない。
 私って結局競合的な関係性を結んでしまうのか?
 usefulな自分の使い方を探していたのに~。
 何度もパセージプラスの葛藤解決の章を読み直しましたがどうにも変われず。協力的と競合的の間には線が引かれていて、私はなかなか協力的な側には行けないという気分にすっかりなっていました。

 だけどそのお話を聞いて、もう不意打ちに肩の力が抜けました。
 線を引いているのは自分だよな~。
 劣等の位置に落ちるのも自分だよな~。
 競合的に生きるか協力的に生きるか、決めるのは自分だよな~。
 そして葛藤からおりようと何度もチャレンジしては失敗している自分も「それはそれでOK」って言っていただいた気がしました。

 そうすると胸がずっと重かったのがちょっと軽くなって、いろいろ思うことあるけどだからってやっぱり競合的に生きたいわけじゃないよ~。
 やっぱり自分は協力的な方向で生きたいよ~。
 と、じわじわ胸のうちに広がってきました。
 「不完全に生きる勇気」を思い出しました。全部ひっくるめて勇気づけられる言葉でした。

 カウンセリング中は、先生を信頼してとにかく気持ちを話してしまうことに集中しました。
 すると、最後の方で私が相手役になってエピソードのセリフを読んだとき。
 セリフを読むと、相手がそれを言ったときの気持ちが急に浮かびました。急展開でした。
 ずっと行き止まりの袋小路のようなところにいたのがものすごく開けたところに出られた感じでした。

 私と相手は考え方が違う。
 だけど、どうしてその言葉を相手が言ったのかよくわかった気がしました。
 それは相手の生きてきた軌跡であり、いったいだれが批判することができるだろう。
 それと同じように私もまた相手とは違う人生を生きてきていて、自分の気持ちはだれにも批判することはできないんだと感じました。
 まちらかが正しくてどちらかが間違っているとかでもないんだということもよくわかった気がします。

 パセージプラスの19-L「どうすれば変容できるか」を何度も読んだのに~。頭でわかるのと、心と体で体験するのとでは全然違う。このカウンセリングで体験させていただきました。

 またカウンセリング中は自分の気持ちと向き合うことを何度も励ましていただきました。向かいたい方向に光を当てていただきながら、それに励ましてもらいながら少しずつ進んでいった感じでした。

 「違いを認める」の項は文字で読むと3行ですが、とてもとても底が見えないくらい深く、今それに少し触れた気がしているけど、また何かあるたびに何回も何回も思い出して振り返ると思います。

 本当に貴重なとてもよい経験をさせていただくことができました。先生はじめ皆さま長い時間丁寧に、また温かい気持ちで聞いてくださり本当にありがとうございました。


海の京都アドラー Y.N