名畑智子

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  • 返信先: 第二回AIJ年次大会@伊勢 #18142
    名畑智子
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    年次大会参加から自助会へのひろがりが私を創る
     私の印象に残ったのは、横山先生の発表についてでした。
     心療内科医としての治療と、カウンセラーとしてのカウンセリングは全く「べつもの」であること。患者さんにとっても、治療を受けることとカウンセリングを受けることは異なること。福岡の横山先生の発表内容に好奇心と納得感を感じました。
     自分が最近たどり着いた自分なりの答え(1)や、つい先週の娘の通院で先生から言われたこと(2)が、一本につながったように思えました。この感覚を例えるとすると、昔からおりにふれ格闘していた知恵の輪がひょっこり解けたような感じに似ています。
     (1)自分の感情や思考は自分から生まれ出るもので、自分で変更できるんだということ。むしろ、自分にしか変えることができないものであること、と、最近の私は思っていたので「カウンセラーは症状を改善する援助を担う」というところに、まさにそうだよなぁと共感しました。
     (2)娘はいろいろあって、ここ2年ほど思春期外来に2ヶ月に一度通っています。診察の形式は、娘が先に先生と10分ほど話をし、その後私が先生と10分話をするというものです。が、娘は先生に自分の本心を語ろうとはしません。先週先生は私との面談で「娘さんはここではなかなか話しづらいようですね。何かこう、カウンセリングのような、話ができる機会があると良いのだけれど、、、」とのことでした。まさに横山先生の講演の中に出てきた『治療共同体』の必要性を、自分の身の上に重ねて感じました。
     そして年次大会の数日後、流山オンラインの会に参加した際、年次大会の報告と、上記のことをお話ししました。メンバー内のカウンセリング資格をお持ちの方が、過去にパセージ参加者の娘さんのカウンセリング経験を話してくださいました。私が娘にできることのアイデアを提案していただいたと感じました。
     私にとって年次大会に参加することや自助会に参加することは、人々の心が渦巻く社会というものを、ライブで感じ取れる機会だと感じています。私は、社会とは「フラクタル構造」(カリフラワーのロマネスコのように全体の形を細分化しても同じ形から形成されている)なんだろうと思っています。つまり世界の現状を知ることに等しいと言っても言い過ぎではないのかもしれないと思います。
     ここには書ききれないほどたくさんの方々の発表から得た気づきを、私の今後の生活に活かして行くこと。その私の存在が愛あるフラクタル構造の一端になるのではないか、と感じています。とはいうものの、私の心は、日々の雑多な感情にまぶしつけられ、楽で怠けられる癖と惰性にまみれることへと向かいがちで、そんな自分と向き合うことが、最大の私の課題なんだなぁ。さてどうしよう。いや、もしかして私はこの状態を続けていたいのか?私はどうしたいんだろう???
     昨年の年次大会では「どうすれば意見の異なるもの同士が理解し合えるのかーーそれは誰にもわからない。だから私たちが学んで行くんだ。」の言葉に、やっぱりそうだったのか、と深く腑に落ちて涙しました。
     今年も自分が変わること(学ぶこと)を突きつけられたように感じた年次大会でした。
     これから、私は、どうしたいのか?

    会場を創り出して下さったすべての方々ありがとうございました。

    松井山手アドラーグループ*nacama
    名畑智子

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