正統と異端

 アドラー心理学がどのようにしてできてきたかとか、どのような成分は残りどのような成分は消え去ったとか、これからどうなってゆくのかとか、そういうことは、実はあまり勉強していない。むしろ、そういうことにあまり関心を持たないように教育された気がする。シャルマン先生はじめ私を教えてくれた先生方は、自分がアドラー心理学をどのように受け取ったかを教えてくださった。つまり、アドラー自身がどう考えていたかは、それほど重要な話題ではなかった。アドラーはいろんなことを考えたし、それにいちいちつき合っていたのでは、彼の思想の全体像をかえって見失ってしまう。シャルマン先生などはそうお考えであったように思う。だからアドラー解釈にある「狭さ」があって、それを私などは魅力的に感じていた。他の受講生はどうだったかというと、そういうことには興味を持たないで、教わることをただ正面から受け入れていただけのように思う。

 そうして何年も暮らすと、私には私特有の「かたより」ができる。それでは困るので、アメリカ・アドラー心理学会に行ったり国際学会に行ったりして、できるだけ多くの人たちと話をして、自分の位置をアメリカやヨーロッパのアドラー心理学と変らない位置に止とどめておく努力をした。その結果が現在の私のアドラー心理学解釈で、ではそれが世界のアドレリアンたちの解釈と同じか違うかというと、実はよくわからない。

 ある時期から世界の先進的(?)なアドレリアンたちが急進的な解釈を提唱するようになって、いま現在は伝統的な主流がメインストリームなんだか、最近はやりの革新派がメインストリームなんだか、よくわからないフシがある。私はいまさら革新派にすりよる気はないので、メインストリームのままで一生を終わるのだろうが。ともあれ、シャルマン先生やモザク先生やその他の「第三世代」のアドレリアンたちと会えたことが、私の幸福であったと思っている。