守旧派

 学会の役員さんのうちのひとりがお見えになった。いつも二人組でお見えになるのだが、今日に関しては一人は外遊中で、居残り組だけがおいでになった。あれやこれや雑談をして「荷物降ろし」をしていただいた。

 学会のテーマはたえず変っていく。ただ、他の学会みたいに、方向性なく変るわけではない。アドラーが生きていたころから百年間変らなかったテーマもある。いま現在起こっているのは(あるいは、いつでも起こっているのは)古くからのテーマと新しいテーマとの葛藤だ。これは日本の学会だけでなく、ヨーロッパやアメリカの学会でも同じように起こっている。私はたいへん守旧的なので、むかしのままでいいじゃないかと思っている。じっさい、私が学び、また人に教えているアドラー心理学は、アドラーのむかしと本質的には変らない。大学で心理学の勉強をしたりすると、ダラダラと新しい考え方がなだれ込んできて、そのうちどこがアドラー心理学なんだかわからなくなる。それはマズいと私は考えている。私の師匠であったドライカースもシャルマンもその他の先生方も、そのように考えておられた。だから、私は「守旧的」で、新しいアイデアに心を動かされないようにしている。

 世界各国とも学会の中心部には私のようなタイプの人が多いので、「中枢派」の意見は日本の学会とそれほど変らない。こういうやり方は「革新的」ではないので、いまの世界では流行らない。まあそんなものなんだ。