むかしの道具

 2009年5月9日の『野田俊作の補正項』に私が書いた記事がある。題名を『予備役召集』という。中身は、その当時持っていた古いカメラの話だ。以下、引用。

 電気乾燥機のついた大きなカメラケースをもっていて、その中を整理していた。オリンパス OM-3 という古いカメラが私を呼んだ。マニュアル一眼レフで、ピントも絞りもシャッター速度も、すべて人間が手で合わせないといけない。オートマチックのカメラは「機械」という感じで、あまり深い愛着が湧かないのだが、こういうフル・マニュアルのカメラは「道具」という感じで、とてもかわいい。ちょうどピストルと刀の違いかな。…あまり穏当でないたとえだな。

 ここまでは昔話だ。オリンパス・カメラの履歴は長くて、たぶん高校生のころに M-1 という一眼レフを買った。それからあれやこれやあって、最終的に、たぶん40歳代に OM-3 にたどりついた。このカメラは「地味系」だけれど、すばらしい特徴がある。以下、引用。

 登山をしていた時代の山写真はほとんどこのカメラで撮った。最大の特徴はシャッターが機械式であることだ。このカメラができるよりもずいぶん前に、電動式シャッターが一般的になっていた。電動式には長所がたくさんある反面、短所もいくつかある。最大の短所は、低温になると電池の出力が下がって、シャッターが動かなくなることだ。山ではかなり温度が下がるので、いざという瞬間に動かない、というようなことがありうる。その点、機械式シャッターだと、どんなに温度が下がっても関係なく動く。実際、このカメラの親戚筋は南極探検隊やヒマラヤ登山隊で使われていた。

 いまの話に戻る。オリンパスの技術陣は電子シャッター全盛時代に古風な機械式シャッターを復旧した。これはすごい技術力ですよ。電子であったら簡単にできることが、機械でやるとなるととても複雑なシステムになる。そのおかげで OM-3 は売価(本体のみ)で20万円した。それでも買っちゃったんだよね。ずいぶん「深く」使用したが、主戦場は上述したように山写真だった。あと釣り関係の写真とかね。要するに「アウトドア仕様」だ。むかし使っていた機械を取り出して使うときには、とくべつの感動がある。とくに OM-3 は感動が深かったな。もう「機械式」のシャッターをつけたカメラを製造したり売ったりするメーカーもなくなっていたし、ひたすら「懐古心」で使うわけだ。「むかしの道具」はなつかしいものだ。

 もっとも、このオリンパス OM-3 も、しばらく使うと飽きてしまった。結局、娘の友だちでほしいという人がいたので、レンズを何本かつけてさしあげた。それからあとはニコン D-700 を専従にして使っていたが、やがてその時代も終わって、いまでは写真は携帯電話で撮ったりする。落ちぶれたものだ。これから新しいカメラを手に入れるという線はないだろう。もし本気で写真を撮るとしても、OM-3 の時代のアナログ感覚でデジタルカメラを使うということだ。なんとなくサエない感じがするんだけどね。