主尊の違い

 1週間ほど前から『八難から守護してくださるターラー菩薩』という経典の註釈書を英語から翻訳している。ターラー菩薩は日本佛教ではあまり知られていないのだが、チベット佛教ではとても熱心に信仰されている。中でもカギュー派で信仰がきわだっているように思う。ドルズィン・リンポチェに来ていただいて日本でもセッションをやったことがある。

 ターラー菩薩は日本佛教でもまったく知られていないわけではない。有名なのは、織田信長から勝念寺に下賜された仏像があるし、もっと古いものだと密教の経典のなかに記述があるそうだ。しかし、観音菩薩や弥勒菩薩みたいに誰でも知っている菩薩ではない。じゃあ、なぜチベット佛教でこんなに信仰が盛んかというと、佛教導入時に「最初の菩薩」のうちのひとりとして持ち込まれたからだろう。アティ-シャ大師が熱心な信者だったことも知られている。

 アティーシャ大師はゲルク派との関係が有名だが、カギュー派にも因縁がある。あれこれいきさつがあったのだと思うが、ディクン・カギュー派では白いターラー菩薩への信仰が盛んだ。それで私も白いターラ-菩薩の信者だ。今翻訳している経典のなかに、

 > どのような聖なる実践をしているのであれ、その実践をすべての目的を実現するこ
 > とができます。なぜならひとつの神格のなかにすべての神格が含まれているからで
 > す。

とあるように、白ターラー菩薩だから特別のご加護があるというわけでもなさそうだ。さしあたって因縁のある菩薩を成就しておればそれでいいので、白ターラー菩薩の成就法で私はじゅうぶん満足している。