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その他の疑問
劣等感は人間にとって普遍的かつ自然な感情ですが、劣等感をバネに進むことが破壊的な結果をもたらさず自分自身の成長につながるかどうかは、実際の行動とそこで目標としているものが、共同体にとって有益かどうかによると考えます。
ひとりひとりの人間は、この世界や社会のひろがりの中では大変に小さい存在であり、しかも人は皆、はじめは子どもとして生まれてくるわけですから、自分が小さくて劣っているという感情、すなわち劣等感は、人間にとって本来、普遍的かつ自然な感情といえるでしょう。また劣等感は、そうした主観的に相対的マイナスである立場から、相対的プラスといえる目標へ向かうために人が生み出す、前向きな感情ともいえます。そうした意味では、人は誰しも「劣等感をばねに」行動している、ということができます。
ただし、劣等感を契機とする行動が、必ずしも人としての成長に繋がるとは限りません。劣等感に伴う悔しさや悲しさ、怒りなどの陰性感情にまかせて、つい、無益な目標に向かってしまうこともあるでしょう。また、それらの陰性感情をあからさまにすれば、向けられた相手との諍いを招きかねません。つまり、やみくもに「劣等感をバネに」進むことは、自分自身や他者にとって有益になるとは限らず、時として破壊的な結末さえ招きます。そうならないように、有益な行動を積み重ねて成長へと繋がっていくためには、具体的な行動の仕方と、そこで目標としているものが適切かどうかが問われるのです。
アドラー心理学では、人の行動の適切さを、社会(共同体)にとって有益かどうかという観点から判断します。劣等感が行動の契機だとしても、共同体にとって有益な目標と行動を選択することで、人は共同体の一員として成長できる、と考えています。
