脱中国(4)

 「野田俊作の補正項 2010年01月01日」から引用する。『外国のアドレリアンと話をする中でよくわかってきたのだが、政治に参加するとは、政治家になることでもなければ、政治家の批判をすることでもなくて、ひとりの市民として国のため世界のためにできることをすることだ。』

 「政治家」というと、安倍晋三さんだとかトランプさんだとかを連想して、ああいう「政治的存在」にならないといけないように思う人が多いと思うが、けっしてそうではない。各々が各々の生きている場所で「ひとりの市民として国のため世界のためにできること」をして暮らす覚悟をしておれば十分だ。もっとも、24時間365日そのように覚悟して暮らすのは大変なので、必要があって、かつ覚悟が決まっているときだけで十分だ。

 それはそうなのだが、たとえば戦争が起こってしまうとそうも言っておれない。極端な場合には、国家滅亡の危機に陥って、すべての国民の生命が戦争のためについやされることになるかもしれない。むかしの戦争はそんなことまでは心配しなくてもよかったのだが、20世紀以後の戦争では、多かれ少なかれそんな状態だ。

 実際に戦争になるとして、私はなにをすべきだろうか。結局、平時における自分の状態を戦時でも保てるように工夫するしかないように思う。もちろん、若ければ兵隊に行くという方法もあるかもしれないけれど、私の年齢になると戦争行為には手を出さない方が、自分のためでもあるし人々のためでもある.

 先の引用文の続きに、次のように書かれている。

 『私にできることのひとつが、子育ての方法を人々に教えることを通じて、次の時代の日本を、もっと美しい国にしていく手助けをすることだ。子どもたちが国民国家である日本国を維持する決心をするように、国家の歴史に誇りをもつように、先人たちを尊敬するように、日本国民としての責任を果たす決心をするように勇気づけて育てなければならない。』

 戦争に関連してこのことを話すと、平凡な結論に聞こえるかもしれないし、あるいは過激な結論に聞こえるかもしれない。けれども、実際に戦争になってしまったときには、私に選べる数少ない可能性のうちのひとつだと思う。

 「脱中国」というテーマでこういうことを書くと人々は誤解するかもしれないな。別に中国でなくてもいいので、外国であればどこでもかまわない。日本人は、どんな状況下でも日本人でいてほしい。なにしろ2千年間ずっと日本人だったんだから、日本人で居つづける決心をしているかぎり日本人でいることをやめることはないと思うし、それが日本人がいつまでも日本人でいるための唯一の方法だと私は思っている。