脱中国(2)

 中国の国力が急速に大きくなって、無視できなくなった。いま現在の時点についてみるなら、このまま放置すると暴発して、日本の存在がおびやかされる危険性だってある。歴史を動かす法則が日本人と中国人は違っているので、彼らの法則通りに動くなら、日本の存在は否定されることになる。日本保守派の私としては、「へえ、そうなんですか」と知らないふりをするのも気が進まないので、なんらかの反応をしなければならない。しかし、なにかをすると、その結果は良かったり悪かったりする。良い方だといいけれど、悪い方だと困るなあ。かといって、なにもしないと、かなり悪い方向で決まってしまいそうだ。

 一例を挙げると、尖閣諸島の帰趨がある。なにもしないで見ていると、数年以内(ひょっとすると今年かも)に尖閣は中国の艦船や航空機によって武力占領されてしまいそうに思う。この件に関しては、国内の情報流通があまりよくないので、十分の情報を持っていない人も多いみたいだ。「このままなにもしないと、尖閣諸島は中国領にされてしまうぞ」と言ったって、「え、尖閣諸島ってどこ?」というような顔しかしてもらえない。そこで、ときどきその話をするのだが、変な顔で見返されることが多いし、そこでどう応えればいいのかよくわかっていない気もする。

 「日本国民ひとりひとりの生活が中国政府や中国人の影響を受けながら決まっている」と昨日書いた。そう思っている人がどれだけいるんだろうね。啓発活動をするなら、「まず中国の動きに着目してください」というところから話を始めないといけないのだが、そこから先が結構遠い。人々が私と似た認識に到達するまでつきあうのは、どうも時間が足りなさすぎる気がする。もうすこしたくさん、尖閣問題について話をする人が増えて、テレビでも雑誌でも新聞でも、そういう話が盛り上がってくれればいいんだが、いまのところはそういう風でない。困った。

 話は変るが、建部神社に初詣でに行って来た。家から歩いて3キロくらいかな。往き道だけでもすこし歩きごたえがあってへばった。帰路はタクシーを拾って贅沢した。毎年そうするのだが、ご祭神である日本武尊のお札をいただく。