短歌について

 詩人の保田與重郎が『木丹木母集』(もくたんもくぼしゅう)という変わった名前の歌集を出している。彼の歌集はこれひとつしかないので、探せば容易に見つかるだろう。たとえば新学社版がある。

  さゝなみの志賀の山路の春にまよひ一人ながめし花ざかりかな
  夜もすがらふゞきし雨の朝あけて松葉にたまりしづくする音
  雪しぐれたちまちはれて日はつよし遠くの道を人歩みゆく

 一読してすぐにわかるのは「子規万葉ぶりの語法」を使っていないということだ。「子規万葉ぶりの語法」というのは、正岡子規の門流のことば使いのことで、私が勝手にそう名づけている。これについては、むかし、あるところに次のように書いたことがある。

  現代の短歌雑誌などを読んでいても、子規の末裔の作はすぐにそれとわかる。その作家を知らなくても、子規の門流であることが容易に感じとれるのである。それはなぜであろうか。彼らのことば使いである。彼らはことば使いにきわだった特徴を持っているのである。子規が残したものは、さしあたって、ことば使い、語法、であると私は考える。現在の時点からふりかえって見るならば、子規の門流に一貫しているのは、ただことば使いだけではないかとさえ、私には思われるのである。

 ところが、当世大流行の子規万葉ぶりの語法を、保田は採用していない。保田が編纂した『規範国語読本』(新学社)には、伊藤左千夫の歌が掲載されているし、伊藤左千夫は典型的な「子規万葉ぶり」の歌人だ。もちろん、多読家の保田であるから、「子規万葉ぶり」の権化のような斎藤茂吉も知っておれば島木赤彦も知っていただろう。つまり、「子規万葉ぶりの語法」の力については、よくよく知っていたはずだ。しかも自分の語法としては「子規万葉ぶり」を拒否している。

 そうして、その対抗馬として、後鳥羽上皇をはじめとする『新古今和歌集』の歌人たちのような語法を採用している。後鳥羽上皇の御歌は、たとえば次のようなものだ。

  み吉野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春の明けぼの
  夕立のはれゆく峰の雲間より入日すずしき露の玉笹
  山の蝉なきて秋こそふけにけれ木々の梢の色まさりゆく

 これらの御歌と保田の歌が、同じ音色に響き合っていることは、おわかりになると思う。こういう語法を採用したことには、ひとつの強い念いがあるのだと思う。『木丹木母集』の「後記」に、

  歌に対する私の思ひは、古の人の心をしたひ、なつかしみ、古心にたちかへりたいと願ふものである。方今のものごとのことわりを云ひ、時務を語るために歌をつくるのではない。永劫のなげきに貫かれた歌の世界といふものが、わが今生にもあることを知つたからである。現在の流転の論理を表現するために、わたしは歌を醜くしたり、傷つけるやうなことはしない。さういう世俗は私と無縁のものである。私は遠い祖先から代々をつたへてきた歌を大切に思ひ、それをいとしいものに感じる。私にとつては、わが歌はさういふ世界と観念のしらべでありたいのである。(前田英樹『保田與重郎を知る』新学社,p.6)

と書かれている。この「後記」について、前田英樹氏は、

  ここには、専門の短歌作者たちには決して言い得ないことがあるでしょう。当今、歌人と呼ばれるような人たちには、多かれ少なかれ、自己を表すことにおいて独創的であろうとする自負心が抜き去りがたくある。よく言えば、近代人としての《芸術意欲》があるわけです。それによって、「歌を醜くしたり、傷つけるやうなこと」が頻繁になされている。そのような《芸術》よりも、万古を貫く「歌」のしらべに生きることが、どれほどすぐれたことであるかを知らない。そのしらべは、大昔の日本人の暮らしからまっすぐに来ています。日本とも、日本人とも言う必要なく暮らしていた人々の言霊(ことだま)の風雅(みやび)から来ている。大陸から文字が移入されるよりもはるかな昔から、この国の言霊の風雅は、完成された働きをもって人々の心をしっかりと導いていました。(前掲書,p.66)

と書かれているが、保田は、すくなくとも短歌においては、「自己を表すことにおいて独創的であろうとする自負心」をもっていなかったということだ。というか、「子規万葉ぶりの歌人」たちが、ときとして「方今のものごとのことわりを云ひ、時務を語るために歌をつくる」ことに反感を持っていたのだろう。実際、短歌はプロレタリア文学にも利用されたし、国粋運動にも利用された。左翼であれ右翼であれそういう歌人たちは、保田の目からは、「古の人の心をしたひ、なつかしみ、古心にたちかへりたいと願ふ」ために歌を作るのでなく、「世俗」のために歌を利用しているだけに見えたのだと思う。

 「世俗」のために作品を利用するのは、なにも短歌だけではなくて、文芸全体にそうだと思う。たとえば戦争に関する小説を書くとすると、作者の戦争に対する態度は自然にその中にあらわれるわけだし、そのことは読者に影響を与え、もし作品がよく売れるなら、世の中全体に影響を与える。もし作者が戦争について賛成あるいは反対の意見を持っていて書くなら、世の中をその方向に動かそうとしているわけで、これが「方今のものごとのことわりを云ひ、時務を語るために歌をつくる」ということだ。話題は、戦争でなく、たとえば不倫であってもいいので、作者が不倫について賛成あるいは反対の意見を持っていて書くなら、やはり、「方今のものごとのことわりを云ひ、時務を語るために歌をつくる」ことになる。保田は、自分はそういう風に文芸を利用することはしないと言っているわけだ。さすが「日本浪曼派」だ。

 じゃあ、文芸はなんのためにあるのだろう。保田は「古の人の心をしたひ、なつかしみ、古心にたちかへりたいと願ふ」ためにあるのだと言うのだが、「古の人の心」とはなんだろう。それは「自然(かんながら)」の心だと、保田なら言うだろう。エマニュエル・レヴィナスが、「ひとりの人から他の人間への関係のうちでは、善良さは可能です。体制、組織化された体系、社会的制度としての善良さは不可能です」と書いたあとで、ワシーリー・グロスマンの小説を例に挙げる。

  通り過ぎる徒刑囚に道端で一切れのパンを与える老女の善良さであり、傷ついた敵兵に自分の水筒を差し出す兵士の善良さであり、老人を憐れむ若者の善良さであり、納屋にユダヤの老人を匿う農夫の善良さである。(合田正人・松丸和弘訳『他性と超越』法政大学出版局,p.113)

 保田が言う「古の人の心」というのも、こういうことではないかと私は思っていて、短歌であれ長編小説であれ、「たちかへりたいと願う」のは、そういう人間の暮らしだと、私は思っている。