短歌について(5)

 短歌の話をもうすこししよう。保田與重郎が歌人山川京子氏に送った手紙に、次のような一節がある。

  それからうたでことがらの説明をして、ことがらを人に理解してもらはうと思ふのは間違つてゐます。ことの説明弁解をせずたゞうたをうたひ、主にこころをのべることです。うたとことを両立同時にあらはさうと欲ばるのはいけません。(保田與重郎『木丹木母集』新学社,p.163)

 「ことがら」と「こころ」が二項対立的に扱われているのだが、昨日までにわかったように、「こころ」とは「ことば」であるとすると、「ことがら」というのは「ことば」ではなくて、一種の迷信として、「ことば」とは無関係に存在すると思い込まれている「客観」のことだろう。アドラー心理学風に言うならば、「こころ」の方が事実で、「ことがら」の方が意見だ。なぜなら、仮想論が教えるように、人を動かしているのは「こころ」であって「ことがら」ではないからだ。

 実例として大東亜戦争の時代の戦時詠をとりあげてみる。

  陸揚の私有物品其の中に使ひ残りし銭も入れたり  佐藤寛一
  生きて再び逢ふ日のありや 召され行く君の手をにぎる 離さじとにぎる  下田基洋子

 どちらも戦時詠で、前者は真珠湾攻撃に向かう海軍の兵隊が詠んだ歌で、「陸揚」というのは、出撃前に艦の重量をすこしでも軽くするため不要品を陸に揚げることだそうだ。後者は夫を戦争に送り出す妻が詠んだ歌だ。われわれ自身の鑑賞はひとまずカッコにいれておいて、大伴家持なり紀貫之なりにこれらの歌を見てもらって、評をもらうとする。前者については、前線にいる「防人」の歌であることを言い添えるとすれば、二人とも圧倒的に前者がいい歌だと言うと思う。これらの歌は、菅野匡夫『短歌で読む昭和感情史』(平凡社新書)からの引用だが、そこには後者について次のように解説されていた。

  出征兵士の妻の歌である。(中略)一読して、実によく分かる悲痛な叫びの歌だ。(中略)しかし、何度も音読していると、この歌は、すべてを言いつくしていて、それ以上の暗示や含意がないのが気になってくる。それに詠い方もくどくはないだろうか。「召されゆく君の手をにぎる離さじと握る」だけで、妻の悲痛さが十分に分かる。「生きて再び逢ふ日のありや」とまで言う必要があるのだろうか。(p.28)

 いまの言い方で言うと、前者は「こころ」を詠ったものであり、後者は「ことがら」を詠ったものであるということだ。あるいはアドラー心理学の言い方で言うと、前者は「事実」を描写しているメッセージであり、後者は「意見」を述べているメッセージだ。つまり「切実さ」に大きな違いがある。

 そう思って保田與重郎の戦場詠を読んでみる。

  死なずして軍病院の庭に見し夏のカンナのなごりの紅さ
  春浅き軍糧城の庭に咲く木瓜の花見つつ山下りきて

 前者には「右一首、昭和二十年春の終り石門軍病院に入院、其秋退院す。春夏の頃病篤く死に瀕する事再三也」、後者には「右一首、氷点下の大行山峡を下りて天津に入りしは昭和二十一年三月也」と、詞書がある。これらもまた、家持も貫之も認めてくれるいい歌だろう。このあたりのことが見えるようになると、心理療法ができるようになる。それくらいの「ことば」の、あるいは「こころ」の力が要る技術なのだ。

 保田與重郎が言う「こころ」と「ことがら」の違いをもう少し考えてみる。

  開戦の朝の電車に知る知らぬ引き締まりつつ静かなる顔  阿部鳩雨
  宣戦のビラに痺(しび)れしごとき街今朝の静けさかつて見ざりき  平井乙麿

 どちらも日米開戦を詠った歌だ。短歌や詩を離れて、散文として読むなら、前者にはほとんど「客観」だけが語られていて、後者には「主観」がかなり混じっている。たとえば、前者の「(顔)引き締まりつつ」は作者だけの主観ではなくて、そこにいた人がみんな感じたであろう客観的なできごとであり、後者の「痺れしごとき」とか「かつて見ざりき」は、かならずしも客観的できごとではなくて、作者固有の主観的判断だと思う。

 では、ほとんど客観だけでできた前者が「ことがら」の説明なのかというと、そんなことはないように思うし、主観をまじえた後者が「こころ」を述べることをもっぱらにしているかというと、けっこう「ことがら」の説明をしているように思う。そういうわけで、私は、歌としては前者の方が格が上なんじゃないかと思う。これはわかりにくい話かもしれない。極端な例をあげてみる。

  何なれや心おごれる老大の耄碌(もうろく)国を撃ちてしやまむ  斎藤茂吉

 これは散文でいうところの「主観」だけでほとんどできた歌だ。しかも、アドラー心理学風に言うなら、「意見」であって「事実」ではない。意見は「こころ」ではなくて、保田の言い方だと、「ことがらの説明」であるにすぎない。そう考えると、この歌は、主観を述べているのに「こころ」はほとんど述べられていない。

 「宣戦のビラに痺れし」の歌で、もっとも弱いのが「かつて見ざりき」という部分だ。これは「心おごれる老大の耄碌国」と同じレベルでの「意見」であり、「こころ」そのものではない。「開戦の朝の電車に」の歌には、こういう弛みがない。しかも、ただ事実をありのままに述べているのではなくて、その風景を見た作者の精神の動きを美しく言葉に結晶させている。つまり「もののあはれ」を詠いおおせているということだ。

 別の言い方をすると、「個人の気持ち」を詠っているか「共通のこころ」を詠っているかの違いだと思う。「何なれや心おごれる」の歌は作者個人の気持ちを詠んでいて、「開戦の朝の電車に」の歌は「日本人のこころ」全体につながっていて、「宣戦のビラに痺れし」の歌はその中間だということだ。「開戦の朝の電車に」の歌は、日本人の歴史の中にある「歌のこころ」が作者の口を借りて詠いだした歌であり、個性を超えて民族の魂の声だと思うし、「何なれや心おごれる」の歌は作者の個性の声であって、かならずしも民族の魂につながっているものではないかもしれないと思う。別の言い方をすると、大伴家持や紀貫之が評価するのはどの歌かと考えると、それは間違いなく「開戦の朝の電車に」だと思う。彼等は電車は知らないだろうけれど、戦争が始まったときの人間についてはよく知っているだろうから。

 本居宣長は、このあたりのことを、

  歌の道は、善悪についての道徳的な議論を捨てて、「もののあはれ」ということを知るべきだ。(中略)この外に特別の理屈がある わけではない。
  歌ノ道ハ、善悪ノギロンヲステテ、モノノアハレト云事ヲシルベシ(中略)外ニ子細ナシ。(『あしわけ小舟』)

と、きわめて簡潔に述べている。その「もののあはれ」なるものがなんであるかについての保田の説明が「ことがら」と区別した「こころ」であり、私の説明が、家持や貫之と共通の、いかにも日本人らしい共通の心情のことなのだが、これは散文でダラダラ説明すべきことではなくて、そう思ってたくさんの作品を読むことで次第にわかってくるたぐいのことだろう。