短歌について(6)

保田與重郎が言う「こころ」と「ことがら」の違いをもう少し考えてみる。

開戦の朝の電車に知る知らぬ引き締まりつつ静かなる顔  阿部鳩雨
宣戦のビラに痺(しび)れしごとき街今朝の静けさかつて見ざりき  平井乙麿

どちらも日米開戦を詠った歌だ。短歌や詩を離れて、散文として読むなら、前者にはほとんど「客観」だけが語られていて、後者には「主観」がかなり混じっている。たとえば、前者の「(顔)引き締まりつつ」は作者だけの主観ではなくて、そこにいた人がみんな感じたであろう客観的なできごとであり、後者の「痺れしごとき」とか「かつて見ざりき」は、かならずしも客観的できごとではなくて、作者固有の主観的判断だと思う。

では、ほとんど客観だけでできた前者が「ことがら」の説明なのかというと、そんなことはないように思うし、主観をまじえた後者が「こころ」を述べることをもっぱらにしているかというと、けっこう「ことがら」の説明をしているように思う。そういうことも踏まえて両者を比較してみた結果、私は、歌としては前者の方が格が上なんじゃないかと思う。これはわかりにくい話かもしれない。極端な例をあげてみる。

何なれや心おごれる老大の耄碌(もうろく)国を撃ちてしやまむ  斎藤茂吉

これは散文でいうところの「主観」だけでほとんどできた歌だ。しかも、アドラー心理学風に言うなら、「意見」であって「事実」ではない。意見は「こころ」ではなくて、保田の言い方だと、「ことがらの説明」であるにすぎない。そう考えると、この歌は、主観を述べているのに「こころ」はほとんど述べられていない。

「宣戦のビラに痺れし」の歌で、もっとも弱いのが「かつて見ざりき」という部分だ。これは「心おごれる老大の耄碌国」と同じレベルでの「意見」であり、「こころ」そのものではない。「開戦の朝の電車に」の歌には、こういう弛みがない。しかも、ただ事実をありのままに述べているのではなくて、その風景を見た作者の精神の動きを美しく言葉に結晶させている。つまり「もののあはれ」を詠いおおせているということだ。

別の言い方をすると、「個人の気持ち」を詠っているか「共通のこころ」を詠っているかの違いだと思う。「何なれや心おごれる」の歌は作者個人の気持ちを詠んでいて、「開戦の朝の電車に」の歌は「日本人のこころ」全体につながっていて、「宣戦のビラに痺れし」の歌はその中間だということだ。「開戦の朝の電車に」の歌は、日本人の歴史の中にある「歌のこころ」が作者の口を借りて詠いだした歌であり、個性を超えて民族の魂の声だと思うし、「何なれや心おごれる」の歌は作者の個性の声であって、かならずしも民族の魂につながっているものではないかもしれないと思う。別の言い方をすると、大伴家持や紀貫之が評価するのはどの歌かと考えると、それは間違いなく「開戦の朝の電車に」だと思う。彼等は電車は知らないだろうけれど、戦争が始まったときの人間についてはよく知っているだろうから。

本居宣長は、このあたりのことを、

歌の道は、善悪についての道徳的な議論を捨てて、「もののあはれ」ということを知るべきだ。(中略)この外に特別の理屈があるわけではない。
歌ノ道ハ、善悪ノギロンヲステテ、モノノアハレト云事ヲシルベシ(中略)外ニ子細ナシ。(『あしわけ小舟』)

と、きわめて簡潔に述べている。その「もののあはれ」なるものがなんであるかについての保田の説明が「ことがら」と区別した「こころ」であり、私の説明が、家持や貫之と共通の、いかにも日本人らしい共通の心情のことなのだが、これは散文でダラダラ説明すべきことではなくて、そう思ってたくさんの作品を読むことで次第にわかってくるたぐいのことだろう。

もうすこし続ける。日米開戦に関する歌で、

人間の常識を超え学識を超えて起これり日本世界と戦ふ  南原 繁

というのがある。これは開戦に反対しているのだと思う。これにたいして、昨日紹介した、

何なれや心おごれる老大の耄碌国を撃ちてしやまむ  斎藤茂吉

は日米開戦に賛成する歌だ。意見の方向は180度違うのだけれど、いずれも作者個人の意見であって、日本人共通の「こころ」ではないという点では共通している。

こんなことを言うと、「しかし、開戦当時の日本人の多くは、これらの歌と同じように考えていたのではないか?」と問い返されるかもしれない。それはその通りだと思う。多くの人たちは斎藤茂吉のように考えていたし、一部の人たちは南原繁のように考えていただろう。どちら向けの意見が多かったにせよ、それはその時代の多数決であって、それ以上のものではない。

科学の真理は数では決められぬ 心のまことも数では決められぬ
地球の未来も数では決められぬ 愚者の多数が世界を破壊する

と『共同体感覚の歌』に書いたけれど、時代の多数決を私はそれほど信じていない。それはたかだか「善悪ノギロン」の結果であり、「ことがら」であり、頭が考えたものであって「こころ」の声ではない。では、いったいどうすれば「こころ」の声を聴くことができるのだろうか。そのために、たとえば短歌があるのだと、私は思っている。芸術は「善悪ノギロン」のためにあるのではなく「こころ」を見つけ出すためにある。理性ではなく直感でもって、日本人の「こころ」に迫るのが、短歌の役割だ。

このように考えたのが、たとえば本居宣長だが、宣長は『源氏物語』を文学の典型だと考えている。光源氏の女性関係を主題にした物語には、儒教的な意味での善悪の観念はない。それは『平家物語』だって『太平記』だってそうなので、勧善懲悪的な要素はまったくない。源義経は誠実に兄頼朝のために戦ったのに殺されてしまうし、忠義の人楠木正成は逆賊足利尊氏に負けてしまう。そこに作者あるいは読者は、「もののあはれ」を感じ取ったわけだ。文芸の中に勧善懲悪的要素が混じり込んでくるのは江戸時代に儒学が盛んになってからで、宣長はそのことに反発して、「歌ノ道ハ、善悪ノギロンヲステテ、モノノアハレト云事ヲシルベシ」と書いているわけだ。

保田與重郎がいた時代には、プロレタリア文学というものがあって、政治的な意見を文学的な言葉で言いあらわそうとしていた。あるいは逆に、国粋主義的な意見を文学的な言葉で言いあらわそうとする人たちもいた。保田は、それら双方に対する反発として日本浪曼派を立ち上げたわけで、だから幾分ムキになって、「善悪ノギロンヲステテ、モノノアハレト云事」にこだわっているところもある。保田の文学論については反論もありうる。ありうるが、西洋文芸およびその影響を受けた明治以後の文芸をひとまずカッコに入れて、日本文芸の歴史だけを考えるならば、保田の方が正統派だと思う。短歌であれ小説であれ戯曲であれ、道徳的あるいは政治的な意見を書くものではなく、ひたすら「もののあはれ」を描くものだと宣長は言うし、その延長線上に保田は居たいと思っていたようだし、私自身もその延長線上に居ることに意味があると思っている。

南原繁の歌も斎藤茂吉の歌も「善悪ノギロン」をしているだけで、「モノノアハレ」とかかわりがない。だから、民族の「こころ」については、何も教えてくれない。ただの政治的なプロパガンダであるにすぎない。では、保田與重郎は戦争中はどうしていたのだろうか。

人多くけふも死にたり雪どけの時のうつりのあわたゞしくも
生き死にの定め一つときゝゐしがゆゝしき時にあひにけるかも

つまり、政治的ないし道徳的な意見はなにも述べず、ただ人が殺されていく時代の「もののあはれ」を詠っている。これが日本 民族の「こころ」であって、あの時代の人々みんながそこに戻って考えていたなら、戦争はまったく違った展開になっていただろう。