ウィーンの森のものがたり(2)

 19世紀のウィーンの舞踏室で戯れるイメージについて書いた。今日では、オーストリアの貴族や豪商でなくても、ウィーンフィルの演奏会を聴きにいける。行った人たちは、かつての貴族や豪商のようなイメージを持つわけではなく、いかにも現代人的な印象を持つのだろう。たとえば国際的な相場変動についてイメージするかもしれないし、ご贔屓の役者が世の中でどんな風に評価されるかについてかもしれない。あるいはもっと家族内的に、息子をどこの大学にやろうかだの、娘を別れさせないために何をすればいいかだのかもしれない。なにはともあれ、19世紀の貴族階級だと決して悩みの種にしなかったたぐいのトラブルで悩んでいるんじゃないかな。

 アドラーは19世紀から20世紀への過渡期の人だ。しょっちゅう音楽鑑賞に行くほど金持ちではなかったが、かといってクラシック音楽と無縁にすごしたわけでもなく、20世紀後半の私とそれなりに似た環境で暮らしていたのではないかと思える。もっとも、私とは「濃度」が違っていて、彼の場合には音楽抜きの生活は味気ないものであっだろう。アドラー自身を個人的に知っているわけではないが、彼の息子クルト・アドラーから受けた印象だと、アルフレッドはクラシック音楽を生活環境の中にしっかり組み込んでいたようだし、音楽への入れ込みも深かったようだから、より多くの時間を音楽鑑賞ないし演奏(アルフレッドはクラリネットが上手だったそうだ)に費やしていただろう。

 そう思ってアドラーの書いたものを読み返すと、ときどき音楽を反映しているんじゃないかと思われるフレーズがある。「見本を出してよ」と言われるとちょっと困る。むかしだと、記憶もはっきりしていたし、彼の文献もいつも身近にあったので、簡単に引用できたんだけどね。ともあれ、アドラーという人は、医者にならなければ音楽家になったかもしれない人で、そういうたぐいの発言をそう稀でなく言っている。