紀元節

 今日は紀元節だ。もっとも、いまは「紀元節」とはいわなくて、「建国記念の日」ということになっている。紀元節の方が古いのだけれど、それでもたかだか明治初年までしか遡れないそうだ。建国記念の日という名前は戦後の発明だが、なお色濃く國軆主義を背負っている気がするので、あまり賛成ではない。なにかもうちょっと中立な名前があった方がいいだろう。さしあたって紀元節の方に1票入れておくが、その名前の方がいいと思っているわけではない。いい名前をみんなで考える機会がいつか持てればいいなと思っている。

 それはそれとして、世界の国々には、年に1日、紀元節なり建国記念の日なりという名前の祝日があって、国民がみんなでお祝いするみたいだ。アメリカにだって中国にだって、フィリピンにだってヴェトナムにだってタイにだって、建国記念の日があって、国民みんなでそれをお祝いしている。だから日本もそのように考える方が自然の流れの中にいることになる。そう思って日本の建国を考えるなら、やはり古代の神話に遡って考えるしかないだろう。

 朝起きて、ベッドのそばに日の丸を立てた。むかしはベランダに出していたのだが、今年は天気が悪いし、雪も降っているし、室内にさせていただいた。世間の人々がどう考えるかはともかくとして、私個人は、1)大昔に日本国が建国されたこと、2)神武天皇が建国の主(あるじ)であったこと、3)それ以来、一度も切れ目なく国家が伝承されてきたこと、くらいを世界像の中心に置いている。「世界像の中心」というのは、「私は世界をこのようだと信じているが、しかし別の意見もありうることは認める」という程度の意味あいだ。いかにもアドラー心理学的な言い回しだ。