沖縄文明とアイヌ文明

 日本各地でさまざまの問題が起こっている。たとえば沖縄では、権限もないのに基地の施設権(だっけ)について投票が行なわれて、住民多数が辺野古への基地移設に反対した。県民の意見表明である「県民投票」が、国の行事である「基地移設」にたいして、発言権があるのかどうかがまず問題だ。ところが、そこは問われないことになっているらしい。その状態で、投票結果が白になろうが黒になろうが、基地移設についてなんらかの発言ができたということにはならないはずだ。投票結果を踏まえて、仲井間沖縄県知事は安倍総理大臣と直接話しあうのだろう。そうなっても、国の制度論を持ち出して首相が知事を論破するという結論は見えている。そうなったら、沖縄県にはもう打つ手がないと思う。

 この事件は、沖縄県内でもさまざまの問題を引き起こした。たとえば宮古島や石垣島や沖縄本島内のいくつかの自治体は、県民投票の無効性を言い立てて投票に参加しなかったそうだ。また、投票当日も、不参加を呼びかける人が多くて、投票率はかなり低かったそうだ。これからどうなるんだろうね。

 また、北海道では、アイヌ人の社会的な地位についてかなりのやりとりがあるようだ。現在の説ではアイヌ人は日本人ではなくて独自の民族であり、彼ら独特の自治権を持っているということらしい。日本政府がそれを弾圧ないし無視をしているという文脈で話が進んでいるようだ。これは歴史を遡ると「とんでもない」説だと容易にわかる。知里真志保博士(1909年ー1961年)あたりがアイヌの民俗資料を集めていた時代には「アイヌ人は日本人でない」などという人はいなかったのだが、その後の社会運動の中で、アイヌ人は日本人とは違う別の民族だという説が主流になり、現在ではすっかり主流になっているんだそうだ。もうちょっと詳細に見ると、知里さんの時代には実際にアイヌ語で対話ができ、アイヌ語の生活習慣をいくらかでも身につけている人がいたが、今ではアイヌ語も忘れられたし、生活習慣もすっかり日本人化してしまっている。だからいま「私はアイヌだ」という人がいたとしたら。その人は「頭」でそう言っているだけであり、「心」はそうは言っていないということだろう。

 私事にわたるが、高校生時代(だから1960年代だな)にアイヌ文化に関心を持ち、すこし勉強したことがある。当時はまさにアイヌ文化の消滅期で、知里真志保先生や、その先生の金田一京助先生がアイヌ文化の最後の名残を集めておられた。アイヌ文化がそのまま滅びてしまえばそれはそれでしかたがなかったのだが、実際には少数の「アイヌ文化研究家」が伝統的な風俗を保存した。この人たちは知里先生など「正統派」の学者とは関係の薄い人たちだ。その結末が現在のアイヌ研究なのだが、中身は、知里先生の学問から見れば俗流のもので、信頼できるものではない。まして、その上に未来のアイヌ文明が築けるようなものでもない。それが実情だ。

 思い出したが、沖縄文明にも一時ちょっと関係したことがある。今日書いてもいいんだけれど、明日の話題に置いておこう。しっかり書くほど重厚な中身があるわけでもないしね。