過激派退治

 北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射する可能性がゼロではないんだそうだ。「ゼロではない」ということは、「そういうこともありうる」ということだ。仮にそういうことがあったとしら、どうなるんだろうか。

 北朝鮮が日本に向けているミサイルはどうも百発程度らしい。オーケー、百発あることにしよう。百発をどうやって発射するかだが、もっとも簡単なのは「同時に」発射することだ。なにしろ北朝鮮は最終的に「勝つ」見込みはないわけだから、なにはともあれ「メクラ撃ち」するのがいいことになる。

 百発のミサイルを同時に発射したら、日本はそれを迎撃できるか。どう考えても「ノー」だ。自衛隊はすべてのミサイルにたいして対応するわけだが、すべてのミサイルを撃ち落とすことは到底できないだろう。それで何発かのミサイルは日本に着弾する。その後で北朝鮮国家が滅びても、日本国が受けるダメージは計り知れない。とまあ、現実はこんな風だ。どれだけの国民がこれだけのことを認識しているか。

 それに、北朝鮮が目下の脅威だが、他にも脅威はたくさんある。たとえば中国も脅威だし、ロシアも脅威になりうる。いまのところは台湾は脅威ではないが、いつ脅威に変るか保証がない。日本はこういう状況の海上に浮かんでいる。

 考えてみると、「保守」というのはむかしからの伝統の中で生きることを基本にする考え方であり、「革新」というのはいつも新しい暮らし方を考え出す暮らし方のことだ。上の例で見ると、実は北朝鮮が革新であり、日本が保守であることがわかる。わかります? 私は若いときから保守的であったが、最近はいっそう過激化(?)して、古いやり方と新しいやり方があるときには、新しいやり方によほどの長所がないかぎり、古いやり方を採用する方が安心だと思っている。どうしてそうなのかは、話が長くなるのでいまはできないが、ともあれこのような原則で考えて生きていくなら、より「安全」な未来が築けるだろう。

 というわけで、日本にミサイルを発射するかもしれない北朝鮮に対しては、「いつでも撃ってこい。思い切り反撃してやるから」という姿勢でかまえると、結果的にもっとも平和的な解決を得ることができると思う。過激かな?