短歌と瞑想

 短歌の話の続きをする。むかし書いたシリーズをすこし校正したものだ。主題は『玉葉集』と『風雅集』の歌で、実際に書いたのは、この前のシリーズのすこし後の、2016年05月18日からしばらくの間だ。この前と同じように、いまの気分ですこし付け加えたりする。

 さて、『玉葉集』と『風雅集』は、『新古今和歌集』よりも後の、南北朝時代の勅撰和歌集で、他の歌集とは傾向がまったく違っている。それは、京極為兼という人が和歌の改革運動をして、それまでの和歌とは違う、写実的といわれている(後で述べるけれど私はあまり信じていないが)作風を提唱したのだが、彼が撰者となって『玉葉集』と『風雅集』を作ったので、その方向で和歌が選ばれているからだ。彼は、「言葉でもって対象を詠もうとするのと、心のままに言葉が匂いゆくのとでは、違うところがあるものだ。(こと葉にてことをよまむとすると、心のまゝに詞の匂ひゆくとは、かはれる所あるにこそ。)」と書いているが、彼の立場は、「心のままに言葉が匂いゆく」方で、「言葉でもって対象を詠もうとする」という方を排撃している。つまり、自分とは別に対象物があって、それを言葉で詠もうとするのではなくて、対象物を見ている心がそのままに言葉となって「匂いゆく」ことで、おのずから和歌になるのがいいという主張だ。理屈を捏ねる前に、実例をひとつあげる。

  沈みはつる入日のきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峰

 「夕日が沈みきってしまうそのぎりぎりの時間にあらわれてきたのは、遠くに霞んでいる山のまだ奥にある峰だ」という意味だ。この歌の特徴は、中心になる対象がなくて、見えている風景全体を詠んでいることだ。この歌だけでなくて、同じ趣向の歌はたくさんある。

  枝にもる朝日の影のすくなさに涼しさふかき竹のおくかな

 「枝から漏れてくる朝日の影がすくなくて涼しさがいっそう深い竹藪の奥の(わが家)だなあ」というようなところか。これも、どれが中心になる対象かわからなくて、風景全体が同時に詠まれている。

  月のぼる峯の秋風吹きぬらし麓の霧ぞ色くだりゆく

 「月が昇る峰には秋風が吹いているらしい。麓の霧の色が次第に下の方へ降りていく」というような意味か。これもいったいどれが風景の中心かがわからない。こういう例は、彼以前には無い。もっとも、皆無かどうかは国文学者ではないので網羅的に調べたわけではないけれど、きわめて希であることは確かだ。

 なぜ彼はこのような歌を詠む気になったのだろうか。それは真言密教と関係があるのだと言われている。弘法大師空海は次のように書いている。

  究極の法身である寂光の如来は、自分と対象を分ける分別知を超えて心の本質を見ておられますが、衆生を救済する菩薩は、誓願によってあたかも外界の対象物であるかのように姿を顕わされます。究極の存在である法身はひとつであり、同時に多様な菩薩でもありますし、個々の菩薩は多様ですが、同時に究極の法身です。それは、澄んだ水がものを写すようなものですし、黄金の玉が姿を写すようなものです。水や黄金はすなわち影であり、影はすなわち水や黄金です。すなわち対象はそのままに般若の智慧であり、般若の智慧はそのままに対象です。ですから(唯識説では)「対象は無くただ識だけがある」と言います。これが「自分の心を如実に知る」ということの意味であり、これを菩提と名づけるのです。
  寂光如来融境智而知見心性。応化諸尊願行願而分身隨相。寂而能照。照而常寂。似澄水之能鑒。如蛍金之影像。湿金即照影。照影即金水。即知境即般若般若即境。故云無境界。即此如実知自心名為菩提。(空海『秘藏寶鑰』一道無為心)

 ここは『法華経』についての説明なのだが、唯識説を援用して悟りの境地を説明している。密教瞑想をして菩薩をお呼びすると、あたかも実在するかのように菩薩はありありと現前される。しかしそれは幻影である。つまり、心の産物である。そうであるとすると、逆に、日常見ているものも、実は実体性はなくて心の産物であるのではないか。つまり、ただ心だけがあって、それが夢のように世界を創り出しているのではあるまいか。そうであるとすると、自分の心と、その心が見ている対象とは実は同じものであり、心が澄んでおれば対象は澄んで見え、心が濁っておれば対象は濁って見える。この世が地獄であるとすれば、それはおのれの心が濁っているからであり、おのれの心が澄めば、この世はそのままに浄土となるはずだ。実際に、瞑想によって心を澄ませていくと、次第に世界の見え方は変わって、美しいものも醜いものも、好きなものも嫌いなものも、すべてが「寂光如来」のおん光に包まれていく。そうして世界は、世俗の美しさとはランクの違う瞑想的な美しさの中にあることが実感できる。京極為兼が、「心のままに言葉が匂いゆく」と言うのは、瞑想によって心を澄ました状態にして世界を見たときに、自然と歌が言葉となって現れ出る境地のことを言っているのだと、私は思っている。

 『万葉集』の歌、なかんずく読人不知の歌、が仏教以前のゲマインシャフトにおける集団の歌謡であったとするなら、『玉葉集』や『風雅集』の歌は、仏菩薩と信者たちが作るマンダラ世界というゲマインシャフトにおける賛歌なのだということができる。それは、近代文学的な意味での叙景歌ではなくて、瞑想の中から自然に湧きでた祈りの歌であって、主な聴衆はマンダラの仏菩薩なのだ。

 鎌倉時代のその時期のことを考えると、短歌に関してはその前後の時代とはまったく雰囲気が違っている。『玉葉集』と『風雅集』だけが、全勅撰和歌集の中できわだって「印象派風」なのだ。印象派などという言葉を使うのはやや不用意かもしれないが、西洋美術史の文脈で言うなら印象派にいちばん似ている気がする。しばらくそのあたりを見てみる。