ひさしぶりに「郵便振替」を送ってきた。この前はいつだろう。いくら最近でも一昨年(2017年)のいつかだな。2018年になるとすぐに入院してしまったので、それ以後ではありえない。つまり、2018年と2019年の上半期は社会的活動は停止していたわけだ。
社会的な運動が停止しているのは、実は見かけ上のことではなくて、本質的なことであるように思う。「一見」停止しているように見えるだけではなくて、「実際」に停止しているのではないかということだ。いやいや、世の中は激しく動いていると思い込まれているし、実際にその方がありそうに思う。しかし、そうなのかなあ。毎日コンピュータの前で仕事をしていると、実際にはなにも動いていないのではないかと思ってしまう。なにがほんとうに正しいのかは私にはわからないが、「動いている」と思って不安になるよりは「止まっている」と思って不安になる方が、どうも現実に近い気がする。