進展

 白ターラー菩薩の瞑想は2日目に入ったが、そんなに進んだわけではない。まあこんなもので、ダラダラと続いていく。そうしてある日いきなり「進展」が起こる。「進展」の中身はわからない。わかったら「進展」とは言えないものね。とにかくコツコツと続けてゆくことだ。

 こういう上達のしかたが「自然科学的」でない。「自然科学的」というのは、「原因となる因子の展開の上ですべての結果が起こる」という意味だ。世界は確かに自然科学的に動いているのだが、なかにそうでない要素がある。瞑想の中での「進展」なんて、そのたぐいの典型だ。しかし自然科学は「そういう要素は存在しない」と決めつけて話をする。そうして現代社会ができている。

 「進展」がおこると「新段階」に入るかというと、そう単純ではない。翌日にはもう「進展」は起こらないかもしれない。いやそれどころか、おこらないのが普通だ。けれど、一度「進展」が起こったなら、また起こるだろうし、しだいに起こりやすくなるだろう。やがていつか「進展」があるのがあたりまえである日が来る。それまでコツコツと修業を繰り返すことだ。こんなことは、日本の武道を学んだ人なら誰でも体験がある。密教家が目指しているのは、武道の黒帯と同じ境地だ。