ドヴォルザーク愛?

 インターネットの YouTube あたりで、有名作曲家名あるいは有名曲名などで検索をかけると、名曲の名演奏がどっさりみつかる。毎日それを聴いて暮らしているのだが、インターネット開発以前だと一曲あたり一千円程度はかかったので、日に5~6曲も聴くと、結構な支出になっていたはずだ。いまはいくら聴いてもタダだ。

 最近の傾向としては、ドヴォルザークの作品を中心に聴いている。もっともドヴォルザーク専用ということではなくて、マーラーだってブルックナーだって聴くし、ラヴェルだってドビュッシーだって聴くし、レスピーギだってエルガーだって聴く。とは言え、最近の傾向ということに限っていうなら、ドヴォルザークが濃度が濃い。若いころにも彼の作品は聴いたが、そんなにムキになることはなかった。ここ半年くらいの割合で考えるなら、「ドヴォルザーク愛」はかなり濃くなっている気がする。

 音楽を聴くとき、みんなはどうしているのか知らない。しかし、私には私の聴き方がある。なにはともあれ「心を空にして」音楽と向かい合おうとする。するとそのうちイメージが出てくる。それは曲の主題(そんなものがあるのかね)と関係があるときもあるし、ないときもある。関係がありそうでも、その次の回に同じ音楽を聴いたら、また別のイメージが浮かぶ。

 いまはたまたまドヴォルザークの「チェロ協奏曲」を聴いているが、今回はなんとなく風船旅行(気球で旅行すること)のイメージが出ていて、これはこれで楽しい。じゃあ、この次聴いたときに同じイメージが出るかというと、かならずしもそうではない。海の上のイメージだったり、山々のイメージだったりするかもしれない。しかし、都会の人ごみなどのイメージは出ない。別の曲(たとえばマーラーの第5番目の交響曲)だと、風船旅行のイメージも海の上のイメージも出ないで、山々のイメージが出るかもしれない。私の中で、ドヴォルザークは風船旅行と、マーラーは山々のイメージとつながっているのかもしれない。あるいは別の要素があるのかもしれない。まあ、それはどちらでもいいので、風船に乗りたかったらドヴォルザーク、山々で遊びたかったらマーラーを聴けばいいわけだ。せいたくな暮らしだ。