炎の舞(1)

 2015年7月~8月4日に書いた記事です。古くなっていますが、それなりに魅力はあるでしょう。この続きが「影の炎」で、このシリーズが終了後に掲載できると思います。

第一部 荼吉尼法

1.

 あれは元亨三年(1323年)の春のことでございました。桜が咲き始めておりました。太子市の日ですから如月の二十二日でしょう。文観さまのお供をして四天王寺の法会に出て、帰りがけに、薬種を売っている老人に声をかけられたのでございます。
 「そこのお上人さま」
 老人の声は、年に似合わぬよく通る声で、文観さまも振り返られました。後ろは内門を出た中庭で、さまざまの店が出ております。桜の木がまばらにではありますが植えられておりまして、三分咲きというところでしょうか、もう数日もすると美しいであろうなという日でありました。中食をいただいての帰りでしたから、午の刻(正午)をすこし過ぎたころだったでしょう。
 「拙僧のことですか?」
 と文観さまも、よく通るお声でお答えになりました。文観さまは人並み外れて背が高く、六尺はございませんでしたが、頭ひとつ分だけ人々よりも上におられました。薬種屋も、小太りではございましたが、五尺五寸ほどもある、背の高い方でした。
 「さよう、貴僧のことです。西大寺の律僧とお見受けするがいかがか?」
 老人が、さきほどよりはやや声を低めて言うと、文観さまは、
 「いかにも西大寺の末寺、竹林寺の律僧です。して、何か?」
 と、やや不審げに問い返されました。
 「いや、お布施をさせていただこうと思いましてな。そう良いものではございませんが、南蛮渡来の沈香がございます。良いものではないと言うても、悪いものでもございません。まあ、中級品とでも申しますかな。せっかくならこれを律僧に布施したいものだと、入手したときから思っておったのでございます」
 老人が緑色の布の小袋を差し出すと、
 「沈香か、それは貴重なものをありがたい。さ、三郎、いただいてまいれ」
 と文観さまは私におっしゃいました。老人の側に近づいて、袋を受け取りまして、文観さまにお見せいたしますと、香を聞かれて、
 「燃やしてみないとわかりませんが、これはかなりの上物ですな」
 とおっしゃいました。
 「いやいや、先程申しましたように、中級品でございますよ」
 と薬種屋は、手を振りながら答えました。
 「では、ありがたくいただきます」
 と文観さまはおっしゃって、沈香の袋をふたたび私に渡され、数珠を取り出されて、『文殊経』の一節と、「おんあらはしゃのう」のご真言をお唱えになりました。

 薬種屋は合掌して聞いていましたが、文観さまのお経が終わると、
 「ありがたいお声じゃ。お上人さまは、これから奈良に帰られますか?」
 と問いました。
 「急いで帰れば暗くならぬうちに峠を越えられましょう。峠を越えれば、あとは一息です」
 とおっしゃいました。
 「よろしければ、わたくしの家にお泊まりいただけませんか。律僧であれば、夕食はなさいませんでしょうが、なにしろ薬種屋でございますから、薬石をさしあげたいと存じますし、一晩お泊まりいただいて、明日の朝にでもお帰りいただければと思っております」
 薬種屋がそう言うと、文観さまはすこしお考えになった後で、
 「かまいませんのか?」
 とおっしゃいました。
 「どうぞどうぞ。できればわが家でもお勤めをしていただければ、家内一同のみならず、先祖一同喜びましょう」
 老人はあふれるような笑顔で言ってから、
 「店じまいをする間、すこしお待ちいただけますか。家はここから北に十町ほど、谷町にございます」
 そう言って、屋台を片付け始めました。
 「こんなに早くに店じまいをしていいのですか?」
 と文観さまがおっしゃると、
 「あなたさまのような貴い方をお迎えするのですから。それに、これからの時刻はあまり客はまいりません」
 と老人は言い、さらに、
 「よろしければご法名をお聞かせいただけませんか?」
 と尋ねました。
 「文観房弘真と申します。こちらにいるのは近住の三郎、本名は佐々木兼弘というが、ふだんは三郎と呼んでおりますので、そのように呼んでやってください」
 と文観さまがおっしゃると、
 「それでは文観さま、用意が調いましたのでまいりましょうか」
 と、荷物を天秤棒に通して、老人は歩き始めました。

2.

 道々歩きながら話したのですが、老人は南蛮屋四郎兵衛という薬種屋で、堺の港で唐や南蛮の薬種を仕入れて売っているのだそうですが、若いころは船に乗って南蛮まで行ったことがあるといいます。
 「さ、ここでございます」
 と老人が立ち止まったのは、そんなに大きな家ではございませんが、生け垣をめぐらした一軒家で、隣にも同じような家々が立ち並んでおりました。玄関を入って、
 「戻ったぞ」
 と言うと、下男と思われる者が出てきて、
 「お帰りなさいませ」
 と、土間の莚に土下座して挨拶いたしました。ずいぶんしつけのいいことだと驚いたものでございます。
 「お坊さまに盥を出しなさい」
 と南蛮屋が言うと、下男は、文観さまの前に足を洗う盥に水を張ってもってきました。文観さまは合掌してから足を洗われ、下男の案内で奥に入られました。
 「さて、三郎殿とわたくしは、井戸で足を洗うのでかまいませんかな?」
 と南蛮屋は言うので、
 「もちろん結構でございます」
 と言って、南蛮屋について井戸まで行きましたが、南蛮屋が、
 「さ、お先に洗ってくだされ」
 と言うので、
 「それは困ります。わたくしのような身分の者が旦那さまよりも先に足を洗うわけにはまいりません」
 と断りました。しかし、南蛮屋は承知せず、
 「三郎殿は有髪ではあるが、もうすこしなさると出家されるでありましょう。そうであるとすれば、われわれ在家よりも先に動かれて、なんの不思議もございません。それに今日は客人でございます。文観さまをお待たせしてはいけませんので、さ、どうぞお先に」 と譲りません。それでしかたなく先に足を洗いましたが、居心地の悪いことでございました。

 部屋に入りますと、文観さまは、壁に掲げた絵を見ておられました。
 「不思議なお姿でございますな」
 と文観さまがおっしゃると、
 「天竺や南蛮で信仰されておりまする荼吉尼でございますよ。梵語ではヴァジュラヨーギニーと申しましてな、金剛瑜伽女という意味です」
 と南蛮屋が答えます。
 「ご主人は梵語を解されるのか?」
 と文観さまが問うと、南蛮屋は、
 「それは、長い話になりますので、お勤めをしていただいた後で、ゆっくりと聞いていただきましょう。その前に、この絵の前ではなんでございしょうから、代わりに文殊菩薩の図像をかけさせていただきます。その前でお勤めを願い、わたくしの無病息災、家内安全、先祖供養をお願いできませんでしょうか」
 と言って、荼吉尼の画像をはずして、代わりに文殊菩薩の画像を架けました。図像はどちらも巻物になっております。
 「この方がやりやすうございましょう」
 と南蛮屋が言ってほほえみました。南蛮屋は、普段はすこし難しい顔をしていることもあるのですが、笑うと、ほんとうに心の底から光があふれ出るような、そのような笑顔でございます。
 南蛮渡来の文殊菩薩の画像も、かなり変ったものでしたが、たしかに右手に剣を持っておられて、文殊菩薩だと思って見れば文殊菩薩に見えます。南蛮屋は奥に声をかけると、女房と思われる女や子どもたち数人が出てまいりました。その者たちは文観さまに丁寧に挨拶をして、南蛮屋の後ろに並びました。その前で、文観さまは、文殊経をお唱えし、「おんあらはしゃのう」の真言をお唱えになりました。

 お勤めが終わると、家族は奥の間に引き上げ、ふたたび、文観さまとわたくしと南蛮屋だけになりました。日は西に傾いて、部屋の中はいくらか暗くなってきておりました。
 「茶をさしあげながら聞いていただきましょう」
 と南蛮屋は言い、下男を呼んで、茶の用意を命じました。やがて、茶と白い菓子のようなものが運ばれてまいりました。
 「茶も薬種でございますし、この白いものも薬種でございますので、午後になって召し上がっても破戒になりません。これを召し上がりながら、ゆっくりとお聴きください」
 その菓子は、それまでに食べたこともないほど甘いものでございました。渋い茶と、それはそれはよく合いました。南蛮屋は話し始めました。