語れることと語れないこと

 今日は暖かい。午後などは、暖かさを通り越して、日向に出ると暑いくらいだった。今年になってはじめてのことじゃないかな。これからどんどん暑くなり、やがて倦怠の夏が来て、それから涼しくなり、凍結の冬が来て、そしてだんだん暖かくなる。このレベルでの地球の動きは変っていないので、しばらくは(百年 or 千年 or 万年)同じようなことが続くのであろう。このことを「頭」ではなく「体」でわかるようになってきた、

 べつに誰と競走しているわけでもないのだけれど、自然の変化を「頭」でわかるか「体」でわかるかは、区別しておくべき現象であるように思う。それを区別することがわれわれの生活に「よい」影響(あるいは「悪い」影響》を与えるだろう。

 こういう「意識」ではっきり区別できないが、「無意識」では区別される変化を、西洋科学はいやがる傾向がある。しかし、ここを明確に区別できるようになることが、アドラー心理学を「まぎれ」なく後輩に伝えてゆく「秘伝」なんだろうと思う。アドラー心理学は、ことばで明確に語れる範囲内に全システムが置かれているのだけれど、それが指し示している対象はことばで語れるものだとは言えない。