影の炎(3)

第三部 廃帝

 師の御坊とわたくしは、翌朝の便舟に乗りました。便舟と申しますのは、湖の最北端の塩津の港を出て、主だった港々に寄りながら、大津まで行く乗合船でございます。塩津から大津まで三日かかります。わたくしどもは途中の坂田の港から乗りましたが、それでも船中で一泊しなければなりません。佐々木衆の軍船とは舟足がまるで違います。舟が坂田を出たのは午後の早いころでございました。彦根を経て、沖島へ着くころ、日が暮れました。沖島はこんもりした小島ですが、人が住んでおります。その夜は沖島で停泊して、翌朝早く出帆します。その夜も月が出て、あたりを明るく照らしておりました。

 「阿闍梨さま、陸(おか)へ上がって見ませんか」
 とお誘いいたしますと、
 「そうだな」
 と師の御坊はおっしゃいましたので、船頭に断って上陸いたしました。上陸するのはわたくしどもだけではなくて、何人かの男たちが降りてゆき、やがてどこかの家から女の歌声が聞こえてまいりました。
 「遊び女がいるのだな」
 と師の御坊はおっしゃいました。
 すこし歩いて、湖岸の岩の上にこしかけて、月を見ました。
 「私は遊び女の縁で出家したようなものだ」
 と師の御坊は月を見ながらおっしゃいました。
 「なんでございますか、それは」
 とお尋ねすると、
 「昔話だよ。私は、ちょうどそなたが今そうであるように、文観さまの侍者であった。ある秋の日、四天王寺の境内で、後に師と仰ぐことになるお方と出会った。その夜はそのお方の家に泊めていただいたのだが、文観さまが問答をなさって、そのお方を師と仰いで、荼吉尼法の伝授をいただくことになった。つまり、師の阿闍梨だな。荼吉尼法を伝授してくださることに決まると、師の阿闍梨は私の方を向いて、『これからは秘密の教えじゃ。在家の者が聴聞することは許されておらぬ。なんなら小遣いをあげるから、この近所に遊び女のいる界隈がある。そこで一夜をすごされるのもよい。あるいはここで出家をなさるかだ』とおっしゃった」
 そこで師の御坊はすこし言葉を切られました。
 「私はそれまで遊び女と遊んだことがなかったし、興味はあったけれど怖かったのだ。正直に言って、すこし迷った。しかし、結局、出家をして沙弥になることにした。今考えてみると、法に惹かれたよりは、遊び女が怖かったのかもしれぬ。だから、遊び女のおかげで出家したという見方もできる」
 と、ゆっくりと思い出しながらお話しなさいました。
 「道心が克ったのでございますね」
 と申し上げると、
 「いや、臆病だっただけだろう」
 とおっしゃいました。月明かりに見える師の御坊の横顔は、すこし疲れておられるように見えました。激しい修法をなさいましたし、その後も外国の法師とやりとりをなさったり、堅田の衆とやりとりをなさったり、ここ数日は大変でございましたからね。

 「このようなことを尋ねてはいけないのかもしれませんが、阿闍梨さまはこの生涯に女を抱いたことがございませんのか」
 わたくしはすこしどきどきしながら、そのようにお尋ねしました。
 「出家前になかったわけだから、当然ない」
 と師の御坊はおっしゃいました。表情のないお声で、内心はよくわかりませんでした。すこし考えてから、思いきって、
 「わたくしを抱いてくださいませ」
 と申し上げました。
 師の御坊は微笑まれたように思いましたが、月明かりでございましたので、細かい表情まではわかりません。
 「美紗、そんなことをしたら、私はみ仏との約束を違えたことになる。人間の約束でもたがえると大変なことになるのだから、み仏との約束を違えたりすると、それはとんでもないことになるんだよ」
 とおっしゃいました。
 「でも、わたくしは阿闍梨さまが好きでございます」
 とわたくしは申し上げました。
 「私もそなたのことが好きだ。しかし、だからといって、男と女の関係になっていいわけではない」
 「それは、み仏との約束だからでございますか」
 「それもあるが、もっと大きな理由もある」
 「それはなんでございますか」
 「私がそなたを抱くと、私にも喜びがあり、そなたにも喜びがあるであろう。しかし、その喜びは、畜生の雄と雌の喜びと変わらぬものだ。それは低い喜びなのだ」
 「低いといけませんのか」
 「いけなくはない。そのお陰で子どもをさずかるわけだからな。しかし、人間にはそれとは違う、もっと高い喜びがあるはずなのだ。いや、たしかにある」
 「それはどういうものでございますか」
 「釈迦牟尼仏が出家なさったときの話を聞いたことがあるか」
 「いいえ」
 「釈迦牟尼仏の父上は大王であり、釈迦牟尼仏は一人子の太子であった。ご生誕のときに、やがて出家をするという予言があったものだから、父上は太子に、ありとあらゆる俗世の喜びを与えた。だから、太子は、私と違って、女と交わったこともあったのだが、しかし出家をなさった。女と交わる楽しみが『楽』であるとすれば、出家の暮らしは『大楽』であると、釈迦牟尼仏はおっしゃった。経験者の言うこともかくのごとしだ」
 「阿闍梨さまは、わたくしを抱く喜びよりも、出家の暮らしの楽の方が大きいのでございますか」
 「だから、私には比較のしようがない。女を抱いたことがないのだからな。しかし、先人の言うことは信じるべきであると思う」
 「私はどうすればいいのでございますか」
 「私を好きでおればよい。私もそなたを好きでいるのだから。それでいいではないか。畜生の喜びにこだわることもあるまい。もっと高い交わりを結べばよいではないか」
 「もっと高い交わりでございますか。それはどのようなものでございましょう」
 「それは自分で見つけ出すしかない。畜生の喜びを求める心に惑わされず、本当に人と人とが人として交わるというのはどういうことであるのかを、自分の力で探し、自分の力でみつけなければならない。心配せずとも、私はいつもそなたのことが好きだし、この生の果てるまで好きであろう」
 「他の女性(にょしょう)よりもでございますか」
 「だから、こうして連れ歩いているのであろう。まあ、そう言ってしまうと、迷いではあるがな」
 「わたくしが一番好きなのでございますね」
 「そのようなことにこだわっておるのか」
 「知りませぬ」
 「私はそなたが好きだ。それでいいではないか」
 「わかりませぬが、わかりました」
 「それでよろしい。さ、舟に戻って眠ろう」
 師の御坊はそうおっしゃると、立ち上がって、立ち渋っているわたくしを待たれました。待っていただいたことがかぎりなく嬉しく思えました。
 「はい、まいります」
 と申して立ち上がり、師の御坊のすこしだけ後を歩いて舟に戻りました。

 大津で舟を降りて、逢坂山を越え、山科を通って、伏見に出ました。そこの船宿で一泊し、翌朝、難波に向かう舟に乗りました。今回はわたくしは僧形ではなく、男装をしております。笠をかぶっておりましたので、顔は見られることはないと思いますが、立ち居振る舞いが女に見えないように、たえず気をつけておりました。
 舟は淀川を下り、まだ明るい内に難波の港に着きました。そこから南にしばらく歩いて、こんもりと生け垣のある家の前で立ち止まられ、
 「南蛮屋さんはおられますか」
 と内に向かって声をかけられました。内から、小太りでやや大柄の中年の男が出てまいりました。
 「おやまあ、浄念さまではございませんか。お久しぶりでございますな」
 とその男はにこやかに笑って申しました。
 「突然お邪魔して申し訳ない。ご在宅かどうか心配しておったのだが、よかった」
 と師の御坊がおっしゃいますと、
 「今日は市が立ちませんので。ささ、内へ」
 と浄念さまの杖をとりました。
 「お邪魔する。これは侍者の覚阿という者だが、一緒に入ってよろしいかな」
 と師の御坊はおっしゃいました。今日からは覚阿という名前になるようでございます。わたくしは笠をとって深く一礼をして、師の御坊に付き従いました。先ほどの男が盥を持ってきて、みずから師の御坊の足を洗いますので、私はすこし驚いてしまいました。外に井戸があったのを思い出して、
 「わたくしは外で洗ってまいります」
 と言って、外に出ました。

 足を洗って中に入りますと、師の御坊が待っておられ、
 「さ、あがりなさい」
 とおっしゃいました。
 部屋に入りますと、先ほどの男が座を勧めてくれましたので、師の御坊がまず座り、そのそばにわたくしも座りました。
 「覚阿や、これは南蛮屋さんといって、私の師の阿闍梨の息子さんだ。師の阿闍梨は、私が帰国したときにはまだお元気であったが、先年入滅された」
 と師の御坊はおっしゃいました。
 「さようでございますか。師の阿闍梨さまについては、師よりいつも伺っております」 と、わたくしは南蛮屋に向かって申しました。
 「浄念さま、覚阿殿は、ひょっとして女性(にょしょう)でござりますか」
 と南蛮屋は尋ねました。
 「男には見えないかね」
 と、師の御坊は笑われました。
 「これだけ美しくては、誰も男とは思いますまい」
 と南蛮屋は申しました。
 「考えるところがあって、覚阿を侍者にした」
 と師の御坊がおっしゃると、
 「無上瑜伽でございますか」
 と南蛮屋は尋ねた。
 「私は出家だ。持戒は清浄だよ」
 と師の御坊はおっしゃいました。それからしばらく、わたくしにはよくわからぬ教理問答がありました。

 「ところで浄念さま、会っていただきたいお方がおられます。この近くの寺に掛塔(けた)なさっている禅宗の雲水さまでございますが、おそらく浄念さまはご存じなのではないかと思います。もし会っていただけるのでございましたら、明日にでもお招きしようと思います」
 「ふむ、どなたかな」
 「それは会われてから」
 そのような話があったころには、もうすっかり暗くなっておりました。
 「薬石をさしあげます」
 と南蛮屋は言って、奥の方に声をかけました。やがて若い女が、茶と白い菓子を持ってまいりました。師の御坊は、
 「美紗、この白い菓子をいただきなさい」
 と、私を本名で呼ばれました。女とわかりましたので、もう覚阿と名告る必要はなくなったということでございます。それはそれとして、菓子をいただいてみましたところ、これまで一度も味わったことがないほど甘いものでございました。
 「むかし、文観さまに連れられてここに通っていたとき、私はそれをいただくのが楽しみでしかたがなかったのだよ」
 と、師の御坊は楽しそうにおっしゃいました。師の御坊にもそういう時代があったのだと思うと、すこしおかしゅうございました。

 翌朝早く、南蛮屋は家を出てゆき、ほどなく一人の僧を連れて帰ってまいりました。その僧に対しても、南蛮屋みずから盥を運び、足を洗いました。部屋に入るとき、浄念さまが立たれましたので、わたくしも立って合掌をいたしました。
 「こちらは光智さま。臨済宗の比丘でございます。こちらは浄念さま。真言律宗の阿闍梨でございます」
 と南蛮屋が紹介をし、改めて合掌を交して、二人は座りましたので、わたくしも座りました。師の御坊は光智さまのお顔をしばらく見つめてから、
 「私はあなたを、おそらく存じております。母上の近くで遊んでおられたころの面影がございます」
 と、静かな声でおっしゃいました。
 「私の名は光智です。それ以外の名はすべて捨てました」
 光智さまも静かにそうおっしゃいました。
 「承知いたしました」
 師の御坊はおっしゃいました。
 「それはそれとして、貴僧のことはよく覚えております。それに、私は文観さまにもずいぶんお世話になりました」
 と光智さまがおっしゃると、
 「ほう、文観さまと会われたのですか」
 と師の御坊はお答えになりました。
 「しばらく師事して、親しく荼吉尼法をさずかりました」
 「おお、そうでございますか。それでは、同門でございますな」
 「そういうことになりますが、貴僧の方がはるかに先輩でございます」
 「まあ、そうではありましょうが、言葉使いはこの程度でお許しを願います」
 「いたしかたありませんな」
 そんなやり取りがありました。

 わたくしはわけがわからないでおりましたら、師の御坊は私の方を向いて、
 「覚阿や、私はこの方の母上のことをそなたに話したことがある。それはそれは美しいお歌を詠まれた姫だ」
 とおっしゃったので、はっと気がつきました。この方の母上は永福門院さまでございましょう。ということは、この方は光厳院さまであるに違いありません。一度は帝になられた方でございます。わたくしは震え上がってしまいました。それはそれとして、わたくしはまた覚阿に戻ってしまいました。
 「そうだ、覚阿よ。その方だ。しかし光智さまは、昔の名はすべて捨てられたそうだ。いまは光智比丘だ。それはきわめて尊いことであると私は思う。そなたもそのように心得てお仕えせよ」
 と師の御坊はおっしゃいました。どのように心得れば良いのか、わたくしにはよくわかりませんでしたが、とにかくうなづいておきました。

 そのあたりで朝食が出てきて、みんなでいただきました。師の御坊と一緒に食事をいただくのにはすこし慣れましたが、まさか天子さまと一緒にいただくことになるなんて、想像したこともございまでんでしたので、大変に緊張いたしました。それでもおいしい朝食でございましたので、しっかりといただきましたが。
 食事が終わった後で、師の御坊が光智さまにおっしゃいました。
 「これからどちらに向かわれますか」
 光智さまは、
 「決めておりません。都に上ろうかとも思うのですが、それでどうするとも決めておりません」
 とおっしゃいます。
 「私は伊勢にまいろうと思っております。もしよろしければ、ご一緒されませぬか」
 と師の御坊はおっしゃいました。私はすこし驚いてしまいました。伊勢に行くなどとおっしゃったことはないからです。それでつい、
 「伊勢でございますか」
 と言ってしまいました。大変に不躾であったとただちに反省をいたしましたが、師の御坊は静かに、
 「昨夜考えたのだ。あの者がどちらに立ち回るかをな。それで、伊勢だと思いついた」
 とおっしゃいました。南蛮屋は鋭く聞きつけて、
 「『あの者』とは、誰でございますか」
 と尋ねました。師の御坊は、天竺聖のことや、坂本の一揆のことや、堅田衆のことを手短に語られました。
 「恐ろしい妖術を使う奴です。そのような者が、なぜわざわざ日本に来たのかを考えました。そして思いついたのは、元が遣わしたのではないかということです。あの者の背後に、元の朝廷、あるいは元の高官の意向があるのではないか。そうであるとすると、どこを攻めるか。都か、いや、伊勢だ。伊勢神宮を取りつぶしてしまえば、この国は滅びる。恐ろしい考えだが、そうであるに違いないと私は思ったのです」
 師の御坊が語られると、しばらく沈黙が続きました。
 最初に沈黙を破ったのは、光智さまでした。
 「まいりましょう。私は行かなければならない。私でないとできない仕事がありそうに思います」
 師の御坊は深々と一礼をしてから、
 「ありがとうございます。身辺はかならずお守り申し上げます」
 とおっしゃいました。

 続いて南蛮屋が言いました。
 「私の娘を連れて行っていただけませんでしょうか。やんちゃな子でございますが、光智さまの身の回りのお世話くらいはできるでありましょう」
 そうして、奥の方に向かって、
 「千代はいるか。いるなら連れてきなさい」
 と言いました。やがて、奥方と思われる女性が、女の子を連れて部屋に入ってまいりました。
 「千代、お坊さま方にご挨拶をなさい」
 と南蛮屋が言うと、千代と呼ばれた子どもは座って、
 「千代でございます」
 と挨拶をしました。子どもと言いましたが、見かけはまったくそのように見えました。師の御坊もすこし心配になったのか、千代に向かって、
 「いくつになったのか」
 とお尋ねになりました。
 「十四でございます」
 と千代は言いました。見かけはもっと若く見えますが、十四歳なら子どもとは申せません。嫁に行って子どもを産む人もおりますからね。
 「この子は三番目の子でございまして、上に兄と姉がおり、下に弟がおります。きわめて活発でございますので、家ではすっかり退屈しております。千代や、お坊さま方はお伊勢参りをなさる。お供をしてついていかないか」
 南蛮屋はそのように申しました。奥方と思われる女性が、
 「伊勢でございますか」
 と申しました。南蛮屋は、
 「どうかな」
 と言いますと、女性はすこし考えて、
 「それもよろしゅうございましょう。この子は、おとなしく嫁に行くような子ではございませんし」
 と言いました。
 「千代や、どうかな」
 と南蛮屋が言うと、千代は元気よく、
 「行きます」
 と言いました。
 「では、もう一度ご挨拶をなさい」
 と南蛮屋が言い、
 「よろしくお願いいたします」
 と千代は言いました。