影の炎(4)

第四部 法会

 翌朝のことでございます。朝食の後で、
 「伊勢に行くと言ったが、はて、どうして行ったものか。美紗、そなたの仲間に、街道について情報を集めてもらうわけにはいかないか」
 と師の御坊はおっしゃいました。難波から伊勢に行くには、玉造神社のあたりから東に向かって大和に出て、初瀬の谷を上って宇陀に入り、そこから曽爾、御杖などを経て伊勢に到る伊勢本街道の他に、数本の脇道がございます。その他にも京や近江から入る道や、紀伊から入る道や、はるか熊野を回る道など、全部で十本ほどの道がございます。しかし、今ではいずれも群雄割拠状態になっていて、安全に通れる経路は一本もございません。
 「情報を集めなくても、無理でございます。大軍勢で押し渡るか、あるいはわたくしのような影の者が一人でひそかに歩くかなら、なんとか辿り着けるでしょうが、このたびの面々では、どの道を通っても難しゅうございましょうな」
 とわたくしは申しました。たまたま部屋に入ってきた南蛮屋がそれを聞きつけて、
 「熊野水軍の船が港に入れば頼んでみましょう」
 と言ってくれました。
 「なるほど、海上から行けば安全だな。しかも水軍の船なら、襲われる心配もなかろう」
 と師の御坊は喜ばれました。
 「しかし、いまは熊野の船は来ておりません。次に港に入ったときに頼んでみます。年内に、もう一本は便があるでしょう」
 と南蛮屋は言いました。
 「よろしく頼む」
 と師の御坊はおっしゃって、それまでは難波にいることになったのです。

 そう決まると、南蛮屋は、
 「何もしないで難波にいていただいても、もったいのうございます。出家、在家を集めて説法をしてはいただけないでしょうか」
 と言いました。
 「ほう、説法会をするか。それも悪くないな」
 と、師の御坊は乗り気になられました。
 「それでは、私の方であちこちへ呼びかけますが、どういう経文について説法していただけましょうか」
 と南蛮屋は申しました。師の御坊はすこし考えられて、
 「西蔵で習ったものにしよう。漢訳があるかどうか、四天王寺に行って尋ねてくる」
 とおっしゃいました。

 そういうわけで、その日の午後に四天王寺にまいりました。庫裏へ行って事情を話し、経蔵を見せてもらえないか頼んだところ、経蔵の係の僧が出てきました。
 「領快と申します。貴僧は」
 と問われるので、師の御坊は、真言律宗の僧であること、かつて文観さまの弟子であったこと、永福門院の侍僧の一人であったこと、元に渡って密教を学んだこと、このたび法会を催したいこと、などを説明されました。領快さまは大変感心なさった様子で、
 「ほうほう、文観さまでございますか、永福門院さまでございますか、渡元なさいましたか。して、どのような経典をお探しですか」
 と尋ねられました。
 「八十華厳の入法界品がございましたら」
 と師の御坊がおっしゃると、領快さまがおっしゃるには、
 「普賢菩薩行願賛の部分だけであれば、こちらに木版がございますが、他の部分もお要りようですか」
 ということでした。
 「おお、行願賛の木版がございますか。それで十分でございます。どうも世間に疎いもので、まさか貴寺に木版があるとは思いませんでした」
 と師の御坊は大変お喜びになりました。
 「去る寛喜三(1231)年、栂尾の明恵上人高弁さまが紀州に下られる途次に立ち寄られ、行願賛のご法話をいただいたのです。その際に、木版を作りまして、それ以来、必要があれば使っております」
 「それでは、その版を使わせていただいて、印刷をさせていただきたいと思います。恥ずかしいことですが、主に在家相手に、行願賛の話をさせていただこうと思っておるのでございます」
 「どちらでなさいますか」
 「まだ決めておりませんが」
 「ふむ、すこし法論をさせていただいてよろしゅうございますか」
 「さて、どのような」
 「貴僧の学識が十分であれば、当寺の塔頭を使っていただいてかまいません」
 「ほう、ではなんなりと」
 とまあ、そのようないきさつで、なんだか難しい問答をなさいました。しばらくすると、領快さまは合掌して、
 「いや、畏れいりました。拙僧の浅学を恥じるばかりでございます。しかし、なぜ貴僧のような大善智識が、寺にも住まわれず托鉢行脚に日々を送られますのか」
 とおっしゃいました。
 「いやいや、お恥ずかしいばかりのことでございます。これも過去生の業でございましょう」
 と師の御坊は、本当に恥ずかしそうにおっしゃいました。
 「大講堂をお貸ししたいくらいでございますが、上の方がうるさいことを申します。すこし北にまいったところに、私に縁のある塔頭がございますので、そちらをお使いいただくのではいかがでございましょうか」
 と領快さまはおっしゃいました。さらに、
 「木版はこちらの者に印刷させましょう。人数が決まればお知らせください。拙僧と、何人かの同朋も参加させていただきます」
 ともおっしゃいました。

 朔日に法会を始めて五日に満願にするのが宜しかろうということになって、数日後の延文四(1359)年十一月一日に、領快さまに紹介された勝鬘院愛染堂に、聖俗合わせて二十名ばかりの大衆が集まり、師の御坊の法話が始まりました。もちろん、南蛮屋も光智さまもおいでになりましたし、領快さまも、数名の四天王寺の僧を伴って参加してくださいました。わたくしのような者も混じっておりましたためか、師の御坊はごく易しい初歩から説き始められましたが、きわめて微妙な奥義まで説き進められました。西蔵に伝わる註釈書を自在に引用されますので、僧たちもただただ驚いておりました。
 翌日は、人数がうんと増えて、四十人ほどにもなりました。領快さまのお仲間がたくさん来られたのでございます。三日目は、もっと増えて、七十人ほどになりました。堂内がいっぱいになって、もうそれ以上は入らないほどでございましたが、翌日にはもっと入りまして、立ち見が出たのでございます。満願の五日目は、後で述べますような事情で、わたくしは聴聞しておりません。

 三日目くらいから、わたくしはある気配を感じておりました。殺気と申すほどはっきりしたものではありませんが、どこかに敵が潜んでいる感じがいたします。大衆の中を見まわしましたが、そこではありません。気の迷いかもしれぬとも考えました。と申しますのは、月の障りが近づいていたのでございます。そういうときには、わたくしはいら立ってしまうことがございます。そのせいかもしれないとも考えました。
 しかし、四日目もその気配はございます。五日目に、とうとう月の障りになってしまいましたので、境内に入ることを遠慮して、寺の外側で見張りをしてみることにいたしました。やはりかすかな殺気を感じましたが、障りが来てしまえばわたくしの場合は気はもう迷いませんので、これは確実に敵がいるということでございます。空中の気配を嗅いでみますと、屋根の方でございます。おそらく屋根裏に潜んでいるのでございましょう。境内に入ることができませんので、山門の外側に生えている木に登って、枝の間に座って、隠形の術を使って待ってみることにいたしました。
 愛染堂は急な坂の上にあり、下には難波潟が広がっております。夕方は夕日がきわめて美しいのでございますが、たまたまその日は曇っておりました。気配を消して風景を見ておりましたが、時間が長く感じられました。
 法会は申の刻(午後四時ごろ)に終わります。そうして大衆が出てくると、屋根の上に黒い影が姿をあらわして、身軽に地面に降り立ちました。どうするのか見ておりますと、光智さまとその連れの僧を追って行きます。隠形の術を使ったままでその後についてまいりますと、その影は、光智さまが逗留しておられる生玉の藤治寺までずっと後をつけ、光智さまが堂内に入られると、屋根に登って屋根裏に入り込みました。かすかな殺気はございますが、すぐに行動する風ではないので、南蛮屋まで戻りました。師の御坊も帰っておられましたので、見てきたことを報告いたしました。

 「敵は光智さまを見張っておりますが、あやめる気はないように思います。動きから見て、甲賀の衆ではございません。おそらく伊賀の衆でございましょう」
 と申しますと、師の御坊はしばらく考えておられましたが、
 「北朝が見張るのであれ、南朝が見張るのであれ、どちらもありそうに思う。しかし、伊賀者であるとすれば、最近、伊勢の北畠氏が伊賀を占領したという噂があるから、北畠氏の手の者かもしれない」
 とおっしゃいました。
 「北畠殿でございますか。今は、親房(ちかふさ)卿は亡くなられ、ご長男の顕家(あきいえ)卿も亡くなられ、ご次男の顕信(あきのぶ)卿は奥州におられ、ご三男の顕能(あきよし)卿が伊勢の本家におられるはずでございますな」
 と南蛮屋が言った。
 「詳しいな」
 と師の御坊がおっしゃると、
 「こういうことを知らないでは商いはできません」
 と南蛮屋はにんまりと笑いました。
 「私が心配しているのは、天竺聖が北畠殿と結びつくことだ」
 と師の御坊がおっしゃると、
 「結びつくと、どうなりますのか」
 と南蛮屋は言った。
 「わからん。堅田でのやり口を見ると、天竺聖はまず異国僧に取り入る。そうした上で、その僧が関係している豪族を動かす。ここまではわかるのだが、ここからが不思議な動きをする。坂本の赤松氏を攻めたわけではなく、赤松氏の領民を動かして、大津の土蔵を攻めた。これを伊勢にあてはめると、どうなるのであろうか」
 と師の御坊は言って、すこし考えておられたが、
 「いや、ここで考えてもしょうがないな。美紗、そなたの仲間に伊勢の様子を教えてもらうわけにはいかないか」
 とおっしゃいました。
 「佐治の親方さまに伺いを立てなければなりません」
 とわたくしは申しました。
 「それには、どのようにすればいいのか」
 とおっしゃいますので、
 「数日お待ちくださいますか」
 と申し上げました。

 四天王寺の前に霞屋という神具屋があり、そこがこのあたりでの「つなぎ」になっていると、竹斎さまから聞いておりましたので、夕刻前にそこに行き、店先にいた小者に、ある符牒を言いました。すこし複雑な合い言葉のやりとりがあって、奥から店主と思われる初老の男が出てきました。
 「入れ」
 と言いますので、店の奥に入りました。
 「近江の佐々木殿におられます竹斎どのの下忍で、あちらでは浄阿と呼ばれておりました。いまは浄念阿闍梨という真言律宗の僧について覚阿と名告っておりますが、光智比丘さまとも関係しております」
 と言いますと、
 「ほう、光厳院さまについているか。それは面白い。して、用は」
 と言います。
 「はい、天竺聖についてはお聞き及びでございますか」
 と言いますと、
 「知らんな」
 と言います。これまでの事情を手短に報告しますと、
 「ううむ、それは容易ならぬことだ。親方さまはご存じなのか」
 と言います。
 「竹斎さまから報告が行っているでありましょう」
 と言いますと、
 「それならよい」
 と言います。なんだかぶっきらぼうな言い方をする男で、顔もくしゃくしゃして青白く、あまり感じはよくありません。
 「浄念阿闍梨は、おそらく天竺聖が伊勢の北畠殿と結びつくと考えておられます。それで、伊勢に潜入しようと考えておられるのですが、ここ数日、光智比丘を伊賀者と思われる影の者がつけているのを見つけました。浄念阿闍梨は、北畠殿の手の者ではないかと考えておられます。あるいはそうでないのかもしれません。ついては、伊勢の情勢を教えていただきたいと思うのですが、佐治の親方さまにお取り次ぎは願えませんでしょうか」
 と言いますと、
 「それは面白い。面白すぎる。よし、さっそく親方さまに尋ねてみよう。鳩を使うので、明日にはお返事をいただけるかもしれぬ。こちらから連絡を入れよう。どこにおるか」 と言いますので、南蛮屋にいることを伝えました。別れ際に、
 「お名前をいただきたく」
 と言いますと、
 「本名は知らなくてよい。四天王寺の霞屋のあるじだ」
 と言いました。いやな男です。

 翌日の夕方に、鈴の音が聞こえました。つなぎでございます。外に出ますと、小さな冴えない男がおりました。
 「親方さまから文だ」
 それだけ言って、小さな筒になった紙を渡して去っていきました。
 中に入って、師の御坊に、
 「佐治の親方さまから文がまいりました」
 と申しますと、
 「なんと。どのようにして甲賀まで連絡ができたのか」
 とおっしゃいました。
 「影とはそういうものでございます」
 とお答え申し上げました。
 文の中身は単純で、
 「北畠は伊賀を占領。天竺聖の行方はつかめず」
 だけでした。
 「それだけか」
 と師の御坊はおっしゃいました。

 法会は終わりましたが、師の御坊は、毎日どこかの寺に出かけられました。法話を聴いた僧たちが、自分の寺の他の僧たちにも教えをいただきたいと申し込んできて、順番にあちこちの寺に行って法話をし、質疑をしておられました。残念なことに、月の障りで、わたくしは境内に入らず、山門で番をしておりましたので、聴聞はできませんでした。もっとも、障りがなくても、俗人は入れてもらえなかったと思います。光智さまもいつもおいでになりましたが、例の影の者も、いつもついてまいりました。ご苦労なことです。

 南蛮屋は毎日出かけておりましたが、八日の夕方に帰ってまいりまして、
 「熊野衆の船が入りました。便乗を頼んでみたところ、いまの季節は勝浦までしか行かないが、それでもよければかまわない、とのことでした」
 と報告しました。師の御坊は、
 「勝浦というと、那智の滝と青岸渡寺のあるところだな。それで結構です。そこで冬を越すことになるのでしょうな」
 とおっしゃいました。
 「春の風が吹くまで待つのでしょうな」
 と南蛮屋は言いました。
 「船出はいつだろう」
 と師の御坊がおっしゃると、
 「熊野衆は小潮のときに動きますので、二十日過ぎでございましょう」
 と南蛮屋は言いました。

 翌日、わたくしは霞屋へ行って、熊野水軍の船で勝浦に向かうことを伝えました。
 「勝浦にもつなぎはおりますか」
 と尋ねると、霞屋は、
 「与平という漁師がおる」
 と言いました。
 「伊賀者はどうしましょう。何もしないと後をつけてくると思いますが」
 と言うと、
 「つけさせてやればよいではないか」
 と言いました。こういう言い方は、わたくしが自分で考えろという意味だと理解しました。

 後で、師の御坊にも、同じことを尋ねました。
 「伊賀者と思われる影はいかがいたしましょうか。熊野衆の船に乗ったことはわかるわけですから、行き先もわかってしまいます」
 師の御坊はすこし考えられてから、
 「害をなすことは、いまのところはないようだから、こちらから動きを起さない方がいいと思う」
 とおっしゃいました。
 「左様いたします」
 とお答えしました。

 その後も、師の御坊は、毎日法話に出かけられました。わたくしは、月の障りは終わりましたので寺内に入りましたが、堂の外側で影の動きを見張っておりました。影は小さな男でございます。そう若くはございませんで、三十は超えていると思います。特別な格好はしておらず、そのあたりを歩いている小者のなりをしております。杖を持っておりまして、あれは仕込でございましょう。私は隠形の術を使っておりましたので、見張りはまったく楽でございました。

 そうしてとうとう船出の知らせがまいりました。十九日の夕方に出るといいます。汐加減がよいのだそうです。昼すぎに乗り込むようにということでございました。場所は、南の方、堺の港でございます。朝から連れ立って出かけまして、昼前に堺に着きました。難波の港と違って、たくさんの大船が入っておりますし、異国の船と思われるものも混じっております。南蛮屋が、
 「あれでございます」
 と、一隻の船を指さしました。そう大きな船ではありませんが、丈の長い軍船でございます。たくさんの櫂の穴が開いております。八咫烏の旗印が立っておりますので、一目で熊野水軍とわかります。南蛮屋は近づいていって、一人の背の高い男と話をしました。そして、手招きをします。
 「こちらが船長(ふなおさ)の清水余五郎さまです」
 と言ってから、われわれを紹介してくれました。
 「坊主が二人と女が二人か。一人坊主と一人女は船魂さまが嫌われるので乗せないのだが、二人ずついるならいいだろう。熊野の海は荒いぞ。覚悟しておけ。さあ、乗り込むんだ」
 と言いました。南蛮屋があわてて、
 「船に乗ると履き物を脱いでください。船の上は座敷と心得なければなりません」
 と言いました。わたくしどもは履き物を手に持って、船に乗り込みました。荷物は南蛮屋が運び込んでくれました。
 「中へ入って下さい」
 と、南蛮屋は船倉の中を指さします。こんな中に入って旅をするのかと思うと、ちょっとぞっとします。
 「船出するまでは甲板にいると水夫(かこ)たちの邪魔になります。沖に出れば、甲板におられてもかまいません」
 と南蛮屋が説明してくれました。わたくしどもの他は、水夫たちだけです。みんな裸に近い姿をした荒くれ男たちです。なんだか大声で叫んでいますが、訛りがきつくてよくわかりません。わたくしどもは、荷物がいっぱい詰まった船倉に入り、荷物のすき間に居場所を作りました。なんだか異様な臭いがいたしました。汐の臭いや魚の臭いやなにやかやが混じった臭いです。
 日が暮れるすこし前に船出しました。甲板に出て南蛮屋に挨拶をしたかったのですが、それはかないませんでした。実際、水夫たちが忙しく立ち働いて、とても甲板におれるような状態ではなかったのです。
 最初は櫂で漕ぎ出しましたが、やがて帆を上げる音がしました。その後で、
 「南蛮屋の坊さんと女たち、出たければ出てもいいぞ」
 と、船長の声がしました。階段を登って、おっかなびっくり首を出してみますと、陸はまだすぐそこにありました。師の御坊や光智さまも甲板に出られました。最後に千代が出てきて、私と同じことを思って、
 「なんだ、まだこんなところにいるんだ」
 と言いました。師の御坊が、
 「港の近くは浅瀬もあり、汐の流れも複雑なので、とにかく帆で動けるところまで船を出す。それから、南に向かう汐を待つんだ」
 とおっしゃいました。舵のところにいた船長が、
 「ほう、よく知っているな」
 と言いました。
 「はい、元に渡ったことがございまして、何度か大船に乗りましたので、そのときに聞き覚えました」
 と、師の御坊はおっしゃいました。
 「おお、元に行ったのかい。ご苦労なことだ。実は、わしらもときどき行く。女をさらいにな」
 と船長は言って、大声で笑いました。さすがに海賊でございます。元まで出かけることもあるようでございます。さらに、
 「その女たちを売らないかい。とくに年上の方は上玉だ。どこかの武将に売りつければ、ずいぶん高く買ってくれるだろう。ただでもらっちゃ悪いから、坊さんたちにも何割か布施するからさ」
 と言います。しょうがない男です。
 そのうち、汐が南に向かって流れ始めました。船長は、わたくしどもをからかっている暇はなくなって、水夫たちにあれこれ指図を始めました。
 「ねえ、お姉ちゃん」
 と千代が言いました。いつの間にか、千代は私のことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになっていたのでございます。そのように人から呼ばれたことはございませんが、まあいいかと思っております。
 「なんだ」
 と答えますと、
 「あの男たち、下品だね」
 と言います。
 「海賊だからな」
 と言いますと、
 「襲ってくるかな」
 と、むしろ楽しそうな顔をして言います。
 「かもな」
 と言うと、さも面白そうに、
 「怖いねえ」
 と言います。まったく怖そうではありません。