影の炎(5)

第五部 熊野

 



 実際、そういうことになったのでございます。
 翌々日のことでございました。淡路島が見えなくなりましたので、ずいぶん南に下ったのでございましょう。夕方になると、海はすっかり凪いでしまいました。そうなると、水夫たちは仕事がありません。風が出るか、汐が流れるかまでは、なにもすることがないのです。櫂で漕ぐことはできますが、今夜は月がありませんので、それもできません。そこで、櫂を出して、岸近くに寄せて、碇を下ろしました。

 まだ夕闇が来る前のころ、ある水夫がいきなりわたくしの手を取って、抱き寄せようとしました。そこで、膝で股間を蹴り上げてやりました。これはコツがありまして、やんわりと蹴り上げる方が効くのでございます。その男がうずくまると、男たちが一斉に襲いかかってきました。後ろの方で船長は笑って見ています。もっとも、師の御坊も笑って見ておられました。ただ、光智さまだけは、震え上がって、合掌してお経を唱えておられます。
 千代はというと、奇妙な動きをして、男たちをつぎつぎとなぎ倒しております。低い姿勢になって、体がゆるやかに回り、そのまわりを手足がまるで鞭のように動くのでございます。それが的確に男たちの急所を攻撃します。そんなに激しく殴るというのではなくて、おもに掌で、ときには手の甲で、まるで撫でるように触るのでございますが、男たちが吹っ飛ぶのでございます。
 「千代、それはなんだい」
 と尋ねますと、
 「八卦掌といって、支那の拳法だそうだよ。おじいさまに習ったのさ」
 と言います。珍しい武術があるものでございます。
 わたくしはと申しますと、片っ端から張り倒し蹴り倒しておりましたが、中々の人数で、面倒になりましたので、そのあたりに置いてあった刀を抜きました。師の御坊が笑いながら、
 「殺生するではないぞ」
 とおっしゃいました。
 「心得ております」
 と言って、男たちの褌を片っ端から斬ってやりました。そうして男たちが前を押さえている間に、飛び回って髷のもとどりを斬りました。髪を切らずに、ただもとどりだけを斬って見せました。何人か斬ってから、
 「次はそこにぶらぶらしている醜いものを斬り落とすことにする」
 と言って、左手でぴたっと男たちの股間を指さし、右手で不動明王のように八双に刀を構えますと、男たちが土下座をし合掌して、
 「許してくだされ」
 と頼みます。
 船長が、
 「いや、これは恐れ入った。無礼をどうか許してくれ。こんな剛の者には、これまで出会ったことがない」
 と言い、跪いて許しを請いました。
 「武将に高く売り飛ばすって」
 と言ってやると、
 「いやいや、とんでもない。あれは冗談だ。どうか忘れてくだされ」
 と言いました。
 「いかがいたしましょうか」
 と師の御坊に尋ねますと、
 「痛い目に遭わせたことをお詫びしておきなさい」
 とおっしゃいました。一瞬、それはないんじゃないかとも思いましたが、なるほどそういう考えもあるなと思いなおし、刀をおさめて、
 「痛い目に遭わせてすまなかった」
 とあやまりました。水夫たちは一斉に、
 「いえいえ、とんでもござりませぬ。われわれが悪うござりました」
 と、額を甲板にすりつけてあやまりました。

 しばらくして、船長がやってきて、
 「先ほどは無礼をしてしもうた。しかし、このような強い女子(おなご)は見たことがない。名告ってくれぬか」
 と言いました。
 「清水殿、これは美紗というのだが、影の者だよ」
 と師の御坊がおっしゃいました。
 「なんと、ご出家が影の者を使っているのか。これは珍しい」
 と船長は言いました。師の御坊は笑われて、
 「たしかに珍しい」
 とおっしゃいました。
 船長は水夫たちにむかって、
 「いいか、この方々はおれの客人だ。無礼なことをする者がおれば、海に叩き込んでやる。わかったな」
 と大声で叫びました。水夫たちも大声で、
 「おう」
 と応えました。
 これ以後、師の御坊と船長はすっかり打ち解けて、あれこれ熊野界隈の話をしておられました。

 光智さまはどうかというと、すっかりすくんでしまわれて、それ以後は甲板に出て来られず、船倉の奥で念仏を唱えて一日を暮らしておられます。あるとき、
 「光智さま、どうなさったのでございますか」
 と申し上げますと、
 「昔のことを思い出してしまうのだ。北条氏が滅びるときのことだが、私は六波羅探題と一緒に都を落ちて、鎌倉に向かったのだ。近江の国に番場の宿というところがあって、そこまで足利の者たちが追ってきて、結局、そこで北条の者たちは全員自刃したのだ。その数、四百人もおっただろうか。私は、いまもそうだが、そのときもまったく無力だった。ただ震えておったよ。あたりは文字どおり血の海だった」
 「それは、蓮華寺という寺でございましょう」
 「なぜそなたは知っているのか」
 「浄念阿闍梨は、しばらくそこに住まわれて、北条の侍たちの供養をなさったのです」
 「おお、そうであったのか。それは知らなかった。御礼を申し上げなければ」
 「その必要はございませんでしょう。浄念さまは、あなたさまが今なさった話を、あなたさまのことまで含めて、よくよくご存じの上で、あの寺におられたのです」
 そう申すと、光智さまは合掌なさり、また念仏を唱え続けられたのでございます。
 「甲板にあがりませんか。こんなところにおられますと、ますます気が滅入ります」
 と申し上げても、けっして甲板には上がられませんでした。

 千代は、水夫たちとすっかり仲良しになっておりました。
 「千代姫は強いのう。うちの娘にも、あの武術を教えてもらいたいものじゃ」
 などと言って機嫌をとっております。気をよくした千代は、よく歌を唄いました。

  ここは熊野の海なれや
  みずからよしなくも
  及ばぬ恋に浮き舟の
  焦がれ行く
  旅を忍ぶの摺り衣
  旅を忍ぶの摺り衣

 水夫たちはやんやの喝采で、次から次へと歌をねだりました。わたくしも機嫌を良くして、ときどき舞って見せました。そうしてのどかに日々が過ぎてゆきました。

 やがて船は枯木灘に入り、さらに串本の岬を回りました。突然海が荒くなって、たいした風もないのに揺れます。これが黒潮でございましょう。甲板にいると波しぶきがかかるので、船倉にいることが多くなりました。気の毒なのは光智さまで、すっかり船酔いをしてしまわれて、青い顔をしておられます。胃の中に吐くものがなくなってしまっても、なお吐き気があるようです。横になるとかえって苦しいとおっしゃって、うずくまっておられます。食物も咽を通りませんし、水もあまり飲めません。お気の毒でございましたが、どうしてあげようもございませんでした。



 翌々日だかの午後に、船は入り組んだ湾の中に入ってゆきました。波はすっかりおだやかになって、美しい島々が見えます。久しぶりに甲板に出てみましたが、天気もよく晴れており、空は深い碧さで、海はさらに暗い色に碧く、島々の木々の緑が美しく白波に映えておりました。
 「勝浦だ」
 と船長が言いました。
 「おお、着いたのか」
 と師の御坊がおっしゃいました。船倉にいる光智さまに向かって、
 「着きましたよ。出ていらっしゃいませ」
 と言いました。光智さまは、ふらふらと出て来られました。島々の風景を見て、
 「おお」
 とおっしゃいます。
 「なんと美しいことだ。このようなところがあったのだな。陸(おか)に上がって元気になれば、久しぶりに歌を詠んでみようか」
 とおっしゃいました。
 「それはよろしいな」
 と師の御坊はおっしゃいました。
 「勝浦には温泉がある。ゆっくりするとよかろう」
 と、水夫を指図するのに忙しい船長が、わざわざこちらを向いて叫びました。そうして船は勝浦の港に入っていきました。

 勝浦の港に上がると、光智さまもすっかり落ち着かれました。船酔いは陸(おか)にあがったとたんに忘れてしまうものなのです。船長の清水余三郎殿が、その夜は自分の家に泊まれというので、まいりました。夕方でございましたが、薬石ということで、飯と味噌をもらって、光智さまに召し上がっていただきました。四日ぶりか五日ぶりの食事です。海の上では日にちがわからなくなると申しますが、本当でございます。ちなみに、その日は、十二月の三日でございました。
 「船は春の風が吹くまでは出せない。それまで、ここにいてもいいが、どうする」
 と清水殿は尋ねました。
 「ご厄介になってよければ、そうさせていただこう」
 ということで、男部屋一つと女部屋一つをあてがわれました。その夜は、近くにある温泉にまいりました。体中が潮でべとべとしておりましたので、ほんとうに気持ちよく汗を流すことができました。

 翌朝、青岸渡寺に向かいました。青岸渡寺は山の中腹にある寺で、那智の滝がすぐそばに見えます。庫裏へ行くと、役僧が出てきましたので、師の御坊は四天王寺の領快さまからの書状を手渡しました。役僧は、
 「しばらくお待ちくだされ」
 と言って奥に入り、やがて出てきて、
 「どうぞお入りくだされ」
 と、師の御坊と光智さまを招き入れました。私と千代は滝を見に行くことにいたしました。
 滝に向かって歩いておりますと、いきなり木の上から黒いものが降ってきました。
 「千代、手を出すんじゃない」
 と言って、杖に仕込んでいた刀を抜きました。黒いものは男の姿になり、やはり杖に仕込んでいる刀を抜きました。数合打ち合いましたが、勝負がつきません。男はひるがえって逃げようとしましたので、懐に入れていた縄を投げて、足にからませました。男は転倒しましたので、すばやく関節をとって押さえつけました。
 「難波からここまで、ご苦労さまなことだ」
 と言うと、
 「知っておったのか」
 と言います。難波で光智さまをつけていた影の者です。
 「すこし話をした方がよくはないか。殺し合わねばならぬ理由がわからぬ。わかれば殺し合ってもよいがな」
 と言うと、
 「まあ、それもそうだ。手を放してくれ」
 と言います。
 襲いかかられてはたまらぬと、手を放して飛び退きましたが、男はゆっくりと立ち上がって、こちらを向きました。
 「お前たちはどうして光厳院についているのか」
 と尋ねますので、
 「それは違う。光智さまがわれわれについている」
 と答えました。
 「それはどういうことだ」
 「師の御坊が熊野へ行くとおっしゃったら、他に行くあてもないというので、ついてこられた」
 「これからどうする」
 「知らぬ」
 「ふむ」
 「お前はどうする」
 「光厳院を見張る」
 「見張ってどうする」
 「わからぬ。上からの下知は、ただ見張っておれということだ」
 「あるじの名は聞いても無駄だな」
 「あたりまえだ」
 「去れ」
 そう言うと、男は身をひるがえして走り去りました。

 滝の見物は後日にして、青岸渡寺に引き返して、師の御坊が出て来られるのを待ちました。
 「光智さまをつけている男と話をしました」
 「どんなことを申していた」
 「ただ見張れと言われているだけだと言っておりました」
 「あるじの名は、もちろん言わないな」
 「申しません」
 「まあ、つけさせておこう」
 その後も、ときどき男の気配がしました。



 師の御坊は、何度か青岸渡寺で法話をなさったり、熊野本宮で法話をなさったりしました。光智さまは、いつも師の御坊にくっついて行動しておられました。わたくしと千代は別に用事がなく、滝を見に行ったり、温泉に入ったり、舟を借りて湾内を見物に出たりして、のんびりとすごしました。千代は毎朝八卦掌の型をしておりましたが、これはそう簡単に身につくものではなさそうなので、習いませんでした。代わりに、歌を教えてもらいました。千代はたくさんの歌を知っておりました。これは、いつか役に立つかもしれません。
 そのうち、正月になりました。師の御坊は青岸渡寺の修正会で詰めきりになりましたので、わたくしと千代はますます暇になりました。清水の館には、毎日毎日、水夫やその家族がやってきて、酒盛りをしていました。清水の妻女が、
 「正月くらいは、女の衣装にしてはどうか」
 と言うので、女の衣装を借りて着ておりました。そうすると、人々が、
 「千代姫よ、唄ってくれんか。美紗姫よ、舞ってくれんか」
 と言うので、千代が歌を唄って、わたくしが舞いました。
 「なんと美しいことじゃ、天人のようじゃ」
 と、人々は大喜びでございました。楽しい日々でございました。

 正月の四日に、「つなぎ」の与平のところに行きました。見かけはまったく普通の漁師です。合い言葉を合わせた上で、
 「伊勢の様子を知りたいのですが、なにか情報はありますか」
 と尋ねますと、
 「北畠の屋敷に鬼のような形相の者がいると、山伏が言うておった」
 と言います。これは容易ならぬことを聞いたと思いましたが、師の御坊は法会からお帰りになりません。もしお帰りになってお伝えしても、三月までは身動きがとれません。
 そうこうしておりますうちに、十六日にようやく師の御坊が帰ってみえましたので、お伝えしました。
 「天竺聖に違いないな。十一月に難波を出るときにはそういう話はなかった。それから正月までの間に伊勢に入ったのだろうな。やはり予感は当たっておったな。しかし、ここにいては身動きがとれんな」
 と、わたくしが思った通りのことをおっしゃいました。

 「美紗よ、それはそれとして、まだ女の姿をしているのか」
 とおっしゃいました。
 「ここにおります限り、危険はございませんから」
 と申し上げました。実のところは、女の姿で暮らすのが気に入っていたのでございます。化粧もすこししておりました。たまたま他に誰もおりませんでしたので、

  はるばる来ぬる唐衣
  はるばる来ぬる唐衣
  着つつや舞をかなずらん
  わかれこし
  あとの恨みの唐衣
  袖を都にかえさばや

 と唄いながら舞いますと、
 「出家に見せるものではないな」
 とおっしゃいました。珍しくご機嫌が悪そうな顔をなさいました。
 「それはどういうことでございますか」
 と申し上げますと、ひとつ息をつかれてから、
 「釈迦牟尼仏成道のとき、魔王魔羅は、三人の美女を送って、仏を誘惑したのだそうだ。しかし仏は動じられなかった」
 とおっしゃいました。
 「阿闍梨さまは動じられますか」
 「釈迦牟尼仏ほどは修行が足りていないようだな」
 「動じさせてはいけませぬか」
 「そなたが動じさせたのではない、私が動じたのだ」
 「修行の妨げをいたしました」
 「いや、そなたが妨げをしたのではない、私が妨げられただけだ」
 「女の衣装はやめたほうがようございましょうか」
 「そなたがそれを好むなら、それでよい」
 「では、歌と舞はお見せせぬようにします」
 「いや、かまわぬ。そなたがそうしたいなら、そうしてもかまわない」
 「では、ときどきそうさせていただくかもしれません」
 「わかった」
 「わたくしは、阿闍梨さまのご修行を妨げようと思っているのではございません。ただ着飾って、歌を唄い、舞を舞い、見ていただきたかったのでございます。お許しくださいませ」
 「わかっている。私の修行がまだ未熟なのだ。そなたが悪いわけではない。そなたは、そなたのしたいようにしておればよい。花が美しくて心が騒ぐとしても、花を責めることはできない。花は美しくあるのが花なのだ」
 「ありがとうございます」
 わたくしは、すこしわかったような気がいたしました。師の御坊は、とても深いところで、わたくしを受け入れようとなさっているのだと思います。そしてそれは、師の御坊にとっても難しい道なのでございます。