伴奏音楽

 昨日は誕生日だったので、ケーキ屋さんで買ってきたケーキを「演奏」してもらった。ほんとうに音が出るわけじゃないよ、ただ気分だけの問題だ。それでも重厚な音楽がしばらく流れている気がした。曲目はマーラーの「交響曲2番」の2楽章かな。これは「空耳」であって、実際に音が鳴っていたわけではないよ。しかし、たとえ空耳であっても、「実物」のクラシック音楽が手元で鳴るのはうれしい。

 西洋の音楽はだんだん巨大化して、19世紀末とか20世紀初には限界的な大きさになった。なんでも、何百人ものオーケストラを使わないと演奏できない曲も書かれたとかいうことだ。それから第一次世界大戦があって、オーケストラのスケールは急速に小さくなる。私の関心は第一次世界大戦までで、そこから後の音楽は「お愛想」のような気がしてあまり気が進まない。

 アドラーは1918年以前に音楽の趣味を完成したので、彼のイメージにあるオーケストラのスケールが大きいように思う。ときどき例に出す曲を見ていても、ドヴォルザークだとかブルックナーだとか、大柄な音楽が多い。彼の講演では、きっと、ドヴォルザークなどが背後で鳴っている気がしていたんだろう。

 ともあれ、アドラーの時代の学者や文学者は、自分の作品を音楽と関係づけていることが多かったようだ。それが第一次世界大戦でダメになったのかな。私がしている時代の学者や文学者は、音楽を背景にしないで話をしていて平気みたいだ。