宮内庁楽部(2)

 今日も宮内庁楽部の雅楽を聴いていた。西洋音楽と根本のところで違っているので、評価が難しい。まず拍子が違う。西洋音楽のように「1・2・3・4」というような「均等」の長さの拍でできているのではなく、人間の呼吸にもとづいた不均等な長さの拍でできている。それが絡まり合って、全体のリズムを作りだす。調性についても、ハ調とかト調とかいうような単純な調性ではなくて、なんだか複雑にからまりあう音が複雑な色合いを作りだす。そういう音を15分なり20分なり、ゆったりした舞を見ながら聴いていると、身心がすっかり古代化して、現代の音楽を受けつけなくなる。まあ、こんな音楽が第一線に復帰することはないだろうけれど、今後も長く伝えられていくのがいいと思う。

 西洋では 1950 年ごろから「古楽」の復帰がはじまって、中世の音楽が現代の楽器を使わないで演奏されるようになった。おかげでいまでは1400年くらいまで遡って聴けるようになった。音の印象はずいぶん違っているのだが、細かく分析すると、現代の西洋音楽と共通の地盤のうえに書かれていることがわかる。すなわち、拍子の取り方だとか、調性だとか、そういうものが現代の音楽と同じものを使っている。歴史的に確かめても、そういう音楽の「根本」になる部分で、中世以来大きな変化はなかったようだ。

 古代ギリシアや古代ローマの音楽はわからないのだが、その時代には違う原理にもとづく音楽が盛んだったのかもしれない。あるいはいまと同じ原理の音楽だったのかもしれない。仮に原理が違ったとして、それが今風に変るのは、歴史的に見れば、ゲルマン侵入時だろう。どうなんだろうね。もうひとつヒントになるのがイスラムの音楽だが、それについては私はよく知らない。その東側、インドの音楽は、日本音楽と似た「古代的」な拍子の構造を持っていそうに思う。

 それはともかく、インターネットで日本の雅楽を見つけて聴けば、いつでも古代の拍子や調性にさかのぼれる。これは、現代の音楽に息が詰まりそうになったときに、古代に帰って音楽の出発点から考えなおすという点でも、いい習慣かもしれない。