旧流派(2)

 昨日書いたように、アドラー心理学に関しては私は旧流派に属している。アメリカでは2000年以後の新流派がおそらく多数派だし、日本でもそうじゃないかな。私は旧流派の旗を立てて新流派と戦おうとはしていない。新流派の存在意義はあまり認めていないのだけれど、かと言って滅ぼそうとも思わない。時間が経てば正しい方が残るかなと思っているし、その「正しい方」というのは私が属する旧流派だとも思っているが、それは新流派を排撃する材料にはならない。要するに両流併存でのんびりやっていく。そうしているうちに、決着がつくものであればつくであろうし、つかないものであればつかないままだろう。心理療法の流派なんてそんなものだ。

 治療技法として、シャルマン師やイヴォンヌ・シューラー師やオスカー・クリステンセン師などのような旧流派の先生方の手口が好きだ。きっぱりと「人格」に焦点をあてるところがすばらしいと、私は思っている。要するに、人格の問題がどんなものかを明らかにするのが第1点、明らかにした問題点を「陰性感情なしに」修正するのが第2点かな。ここらあたりは口頭ではなかなか説明できない。

 ま、それはよろしい。私は今後とも古風なライフスタイル・モデルで治療していく。それを学びたい人は学べばよろしい。もっとも学んで身につくとは限らない。なにしろ、日本で新流派に属する人は、全員私のコースを出た人だが、いろんな不注意でもって新流派心理学に目がくらんだのだと、私は勝手に思っている。日月が経てば目覚めるかなとも思っているが、そうでもないのかもしれない。

 それはそれとして、昨日、年金事務所に行ってきた。厚生年金などの受け取り先について届け出をするためだ。なんだかものすごい量の書類を書いた。おかげで来年の春からかな、年金を受け取れることになった。昨年の春に病気をするまではそんな心配はしていなかったのだが、いまや「収入がゼロ」でかつ「いつ死ぬかもしれない」体調になったので、もらっておく方が賢明だと思ったわけだ。