担任として思うこと

今回は具体的なエピソードは入れられないのですが、私の日常を少しだけ書きたいと思います。私は高校の教員をしています。今年は入学時から3年間持ち上がった3年生のクラスの担任をしています。2年時からほぼ変わらない40人のクラスです。真面目で頑張り屋、そして何より優しい人が多いので、とても落ち着いた雰囲気の仲の良いクラスです。

もともと私が高校の教員になろうと考えたのは、私自身、日々の何気ない高校生活が楽しかったためで、高校の教員になれば、ずっと青春真っただ中の高校生と一緒に過ごせて楽しそう!と考えたからです。今思えば何とも安易な理由ですが、生徒の成長していく姿を見るたびに幸せを感じられるよい仕事を選んだと思っています。実際、毎日は忙しく、仕事に追われていっぱいいっぱいにもなりますが、生徒の素敵な一面や成長した姿を見ると、苦労は全てリセットされる…という日々を過ごせています。今は大学受験が近いということもあり、それぞれがいろんな思いで頑張っている最中なので、以前にも増して、ちょっとしたタイミングを見つけて、いろんな思いを話してくれます。どんな話をする時も、私なりに今まで学んできたアドラー心理学に基づいて話をするように心がけています。生徒を尊敬し、信頼するというところを大切にしながら、アドラー心理学という軸があるおかげで、私的にはぶれずに話ができて本当にありがたく感じています。野田先生のアドラー心理学版教育勅語の中ほどに、 

どうか日本の子どものみなさん、家族や友人を尊敬し信頼して、いつも助けあい分かちあって暮らしてください。大人になったら、愛しあう夫婦を作り、子どもを大切に育ててください。人々とはお互いの違いを認めあって、競争するのではなく協力しあって暮らしてください。いつも、自分を大切にするのと同じように、他人のことも大切にしてください。そうして、世のため人のため貢献できる人になってください。もし万一、国の非常事態がおこることがあったら、人々を助け国を救うために自分のできることをして手伝ってください。
 そのために、学問を学ぶのです。知識を増やし、技能を身につけ、道徳を磨いてください。そうして大人になって、しっかり仕事をし、法律や約束を守り、人々の役に立つ人になってください。このように決心して暮らすことで、日本のよい国民になり世界のよい一員になれるというだけはなく、私たちの祖先の遺した美しい伝統を受け継ぐことができるのです。

とあります。何のために学ぶのか、だれのために学ぶのか、ということを大切にしながら、生徒を少し勇気づけられたらいいな、と日々考えています。

能力が高いのに進路選択の場面では消極的だったA君とBさんも、第一志望の推薦入試の試験が散々だったことをずっと引きずっていたC君も、夢があるのに諦めかけていたDさんも…何のために学ぶのか、自分の持てる力をこれから誰のために使っていくのか、ということを一緒に話しているうちに、それぞれ自分でいっぱい考えて前に進み始めるのです。さすが高校生!です。そういうところが私の感動ポイントであり教員冥利に尽きる瞬間なのです。

もちろんアドラー心理学の考え方を生徒に押し付けたりはしませんが…。(しれっと教室の後ろの掲示板に、アドラー心理学版教育勅語や野田先生のライブラリの引用を貼ったりはしますが、その程度は担任の趣味と言うことで…。生徒達も私の趣味に暖かくお付き合いしてくれているようです。)

そんな生徒達と関わっていけるのもあと数か月になりました。これからも生徒達を信頼し、尊敬しながら、そして目標に向かって頑張る勇姿を応援しながら、卒業までの日々を大切に過ごしていきたいと思います。みんな頑張れ‼

(AIJエンカレッジ金沢 石川県 M.I)