初めて大切な話をした日のこと


週末の買い出し終わり、スーパーの駐車場で夫と私が自分たちの車のトランクに荷物を積んでいた時のこと。
隣に立っていた 4 歳の娘が小走りで左隣に停めてあったよその車の方へ行き、その車の後部ドアのボタンをポチっと押してしまう。
私が「あ!だめ!!」という間に後部座席のドアが開き、ドア後部が隣接する消火栓とこすれ、2 ㎜程の傷がついた。


運良くと言って良いのか、相手方は「このくらいなら大丈夫なので。」と去って行かれたのだが…
私はこの出来事へのショックと、「目を離した自分」や「その隙に勝手な行動をした娘」への怒りを抱えたまま、どうにか後始末をしなければ、と考える。
車内で、娘に「何をしようと思ったの?」と聞くと、娘は涙ぐみ「なんにも考えてなかった。」と答え、しばらくすると眠ってしまった。


帰宅後は車の一件には触れずに過ごしていたが、寝る前に娘と布団でごろごろしていた時に、今、娘と話すべきか、このまま寝るべきか…という迷いが頭をもたげる。
隣に寝転がる娘の顔を見ながらしばらく迷った結果、ええい!とりあえず話してみよう!と心を決める。


私「お話しても良い?」
娘「いいよ。」
私「車のことなんだけど、〇〇から何かある?」
娘「ううん、なんにもない。」
私「あの時、ドアがこすれてお隣の車を傷つけちゃったんだよ。それでパパもママも謝ったんだよ。〇〇も一緒に謝ったでしょ?」
娘「ううん、声は出さなかった。」
私「次にどうするかを一緒に考えたいんだけど。」
娘「ううん、なんにも考えない。」
私「わかった。話してくれてありがとう。」
娘「ううん。それはお話じゃないからありがとうって言わないで。」


陰性感情のまま見切り発車し、大失敗。そして娘の賢さにも驚く。
それでもやっぱり車の一件については話し合いたい。でも、どうして話し合いたいのか、どんな風に話したら良いのか、余計わからなくなったぞ…。


悶々と数日過ごし、アドラーよこはまの事務作業中に相談する。
そこで、「娘さんに何を学んでほしかったのか?」「どんなことを話したいと思っているのか?」と質問をしてもらい、抽象的だった“モヤモヤの感情”が、“危険を繰り返さないた
めに娘と話し合いたい”目的だったことに気づく。
代替案を考えるところでまた言葉に詰まる。言葉を紡ごうとすると、どうしても「目を離した自分」や「勝手な行動をした娘」をどうするか、というところに行き着いてしまう。
リーダーの、「悪者は必要?よその車は触れません、を伝える話で良いんじゃないかな。」「今までは言わずとも守ってきたことを、一つずつ勉強していく時期になったっていう、娘ち
ゃんの成長の話として考えたらどうだろう?」という言葉に、はっとする。


私は陰性感情に勢いをつけて、「失敗した娘を勇気づけなきゃ」「後始末や今後の対策をしなきゃ」と目先の対応に陥っていた。
そのためにプラスの方向に戻れなくなっていただけなのだと気づいた。
その日の保育園からの帰り道、娘とおしゃべりしながら家路につき、一息ついたところでもう一度話すことにした。


私「〇〇。大切なお話があるんだけど、聞いてもらえますか?」
娘「うん、いいよ。」
私「この前の車のことなんだけど、よその車は触れません。」
娘「うん。もし、触りたくなったら?」
私「もし触りたくなったら、ママに声をかけてもらえますか?」
娘「うん、うん!」
私「〇〇から、何かお話したいことはありますか?」
娘「ううん、大丈夫。」
緊張しながら話す私に、娘は手をつないで目を見ながら答えてくれた。


実践してみて、難しさを痛感する。
「娘が社会のルールを学ぶための援助をすること」が本来の目標であるはずが、どこかで
「話が成立するか否か」が目標になっている自分がいることに気づいた。
けれど、今回のエピソードから、娘も一つずつ、社会と調和するやり方を学んでいって良いこと、そして私自身も一つずつ、親として人として社会と調和するやり方を学んでいっ
て良いのだということを学んだ。
今度は例え話もつけて話せるように、来るべき時に向け腕を磨いていこう、と思った。
陰性感情に気づいたとき、向かうべきは相手ではなく自分自身。今は抽象的であることが多い陰性感情を、自分の言葉で説明できるようになると、もっと立ち止まりやすくなるのかな。これからも一つずつ、細く長く切磋琢磨していきたいと実感した出来事だった。


アドラーよこはま 神奈川県 M