母の責任と貢献

夜、母からの電話があり、「和ダンスの防虫シート、そろそろ取り替えんなんから買ってきて」と頼まれました。

そういえばそろそろだっけ。

私は自分の着物が入った和ダンスを実家においてあり、ずっと母が管理してくれています。

「そっか。買ってくるね。何枚いるんだっけ?明日(実家に)寄って、数えてから買いに行くわ」と私が言うと、「あんたのと私のとで、15枚いるから」と言う母。「えー、そうなん。数えてくれたん?」「そうや。数えるだけで暇かかったわ」と陽気な声。

母は難病にかかっており、何年も前から体が不自由になっています。年齢も80代なので、耳も遠くなっており、電話で話していても聞こえていたり聞こえていなかったりするけれど、この日は調子がよさそうでした。

後日、買ってきた防虫シートを持って実家に行き、「これ、入れ替えるね」と言うと、「まだや。10月になってからや。もうちょっと」と言う母。防虫シートは1年もつタイプのもので、きっちり1年たたないともったいない、とのこと。「よく覚えてますねー。さすがですねー。そういうの、昔からきちんとやってるよね。私はそういうところぜんぜん(ダメ)なんだけどなー」と言うと、「そうや。1年やから10月やわ、って思っておったんや」とちょっと得意げな表情で言う母。

病気になってから身の回りのことがほとんどできなくなっているけれど、頭の中では自分がしなければならないと思っている事がいくつも浮かぶ様です。衣替えや断捨離もそのひとつで、どうにかやり遂げようとするけれど、それが一緒にいる父から見れば「散らかしてばかりいる!」と父のイライラの原因にもなっています。たしかに一時的には派手に散らかしたようにもみえるけど、数日から一週間くらいかけて結果的にはきれいに整えているのです。自分の物も父の物も。

私は、このごろ『勇気づけるとは責任と貢献を学んでもらうこと』を意識して過ごしています。

これはAIJの年次大会で発表する機会を頂いて、その原稿作成の段階で自分に不足していたこととして気づき、学んだことです。そこで、相手にぜひ責任と貢献を学んでもらうように勇気づけをしていこうと(気合を入れて?)意識していると、なぜか逆に、相手がすでにそうしているところを見つけるようになり、相手の姿に尊敬と信頼のまなざしを向けていくことが増えているのです。

母に対してもそうです。

私は母のことが大好きで、不自由なところを助けていかなくてはと、弱い相手・守る存在というふうに見ていたと思います。けれど、母は母なりに自分にできることを考え、役に立ちたいと思いながら暮らしているのだと気づきました。そこに焦点をあて、見つめることができるようになったことを嬉しく思っています。

私はもっともっと母を尊敬し、信頼していこうと思います。そして協力し合って過ごせる時間を大切にしていきたいと思います。

(石川 AIJエンカレッジ金沢 A.Y)