上靴から「自立」を考える

みなさんのお宅では上靴は誰が洗っていますか??^ ^

もやもやを自助グループの仲間に相談したメンバーさんのお話です。
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2ヶ月ぶりに小学1年生の息子が上靴を洗っている。

毎週持って帰ってくるのだが洗わずにまた学校へ持って行く。

(上靴は自分で洗って学校へ持っていく事になっている。洗い方も、いつ洗うものかも知っている)


私:今日洗うの?(普通に聞いてみた)

息子:いつも洗おうって思うけど忘れちゃう。今日は覚えてた。

私:そうなんだー。今日は洗えてよかったね。

息子:最強にめんどう…。なんでこんなことしなきゃいけないんだろう。

私:きれいに洗えてるよー。

息子:(ゴシゴシ)…できたわ!

息子の課題と口を出さず何も言わなかった2ヶ月。

忘れていただけだったのか…。

忘れないように私が声かけたらよかったのかなぁ?

親としてほったらかしだったのかなぁーと、もやもやして自助会のメンバーにLINEで報告!

そして、この事例をもとに例会で事例検討しました。


パセージのテキストには『自分の課題を自分で解決できることを自立という』と書いてある。

上靴を洗うのは子どもの課題。

上靴を洗うのを忘れないようにしてほしいと思うのは親の課題。

【子どものために】と思って私がしようとしていること(息子が上靴を洗うのを忘れないように声をかけること)って、本当の意味で子どもの自立になってるのかなぁ、と考えた。

パセージのテキストには子どもの課題に口を出す弊害というページがある。

そこには依存的になる、失敗を人のせいにするようになるということが書かれている。

たしかに、もし私が「忘れてるよ」といつも声をかけていたら、忘れずにやるようになるかもしれない。

でも、言われないとやれない子になるかもしれない。

また私が声をかけ忘れていたら、自分で洗うことを忘れているのに私が声をかけなかったせいにすることがあるかもしれない。

それは自立するという子育ての目標から遠ざかってしまう。


そうだ!この子は自分で気がついて上靴を洗うことができた。毎週忘れずに学校に持っていくこともできている。

そう思ったら、この子は自立している!

洗った方がいいということもわかっている。

いつも洗おうって思うけど忘れちゃうのは失敗だっただけなのかも。

この件に関しては、子どもを信じて、口を出さずに今後どうなるものか観察したいと思いました。

(みえアドラーグループ「結」三重 H.F)