先日、自助グループ(パセージのフォロー会)に参加しました。参加メンバーがそれぞれ自分の最近のエピソードを話してから、一人のメンバーさんのエピソードをみんなで選んで、みんなで考えました。事例提供者さんに許可をいただきましたので、エピソードのあらすじやグループでの話し合いの内容を紹介させていただきつつ、そこから私が学んだことを書いてみようと思います。
事例は、お正月に中学生の娘さんが珍しく手伝ってお雑煮のお餅を煮てくれたものの、いざ家族みんなで食べ始めたらお餅が硬かった…という子どもが失敗してしまったエピソードでした。事例提供者さんはパセージを何度も受けているし、子どもが失敗したときこそ勇気づけのチャンスとわかっていたのに、思春期の娘さんの反応を変に気遣って、家族が無言になってしまったことで、みんなが居心地悪くなってしまったお話でした。
このエピソードをロールプレイしました。私は配役されませんでしたが、娘さんになったつもりでロールプレイを味わいました。
中学2年の娘さんになって感じ、考えてみると…。自分が失敗したことはわかっているんだけど、みんなが黙ってしまった雰囲気も嫌だし、なにより、自分の失敗が悔しい。お雑煮をおいしく食べたかったのに、おいしくできると思っていたのに。気遣われて、なんだかみじめで、怒って逃げだしたくなりました。
次にブレイクスルークエスチョンズの手順に沿ってみんなで考えました。まず娘さんやお母さんの良いところ、適切なところをたくさん出しました。そして「この場面で娘さんに学んでほしいこと」を考えました。しかし私は、娘さんになりきったままで、この失敗をどうやってリカバリーすればいいんだろうか、リカバリーしなければ救われない…お餅を完璧に仕上げるにはここからどうする?そんな考えが頭の中にぐるぐると巡っていました。すっかりお餅に囚われていたのです(笑)。
しかし、みんなで話し合ううちに「失敗してもあなたは仲間だよ!」と学んでもらうのが良いのではないか、という意見がでて、なるほどそうか、と気がつきました。
私は、私のライフスタイルのいつものパターンで考えていたのです。完璧にできれば100で、失敗したらゼロ、失敗したら100までリカバリーしなければ意味がない、そんな考え方です。でも、それって誰も幸せになりませんよね。
完璧にリカバリーできない失敗なんていっぱいあるし、そのたびに不貞腐れて、逃げていてはダメなんだ。たとえ失敗してもみんなは仲間だし、みんなと相談しながら、そこからどうしたらいいか考えれば、自分ひとりでは思いつかないような良い方法が見つかるかもしれない。失敗から学べることはたくさんある。そもそも、お餅が硬いくらいでそんなに深刻になる必要はないですもんね。そう気がつくと笑えてきます。
ブレイクスルークエスチョンズの最後は「私にできることはなんだろう」です。子どもに「失敗してもあなたは仲間だよ!」と学んでもらうために、事例提供者であるお母さんにできること、をみんなで考えました。代替案は、「あれ、お餅硬いね。どうしよう?」とシンプルに伝える、ということになりました。それもロールプレイで試してみました。
再び、娘さんになったつもりでロールプレイを味わいます。母が「あれ、お餅硬いね。どうしよう?」と陰性感情なく言うと、娘さん役は「もうちょっと煮てくるわ」と陰性感情なく言えるのでした。そこで、母が「手伝おうか?」と言ってくれて、父や弟も自然に応じてくれて、家族は仲間だと感じました。失敗したって大丈夫、人々は私の仲間だし、私は能力がある、そう思えます。ああそうです、R.ドライカースの言う「不完全である勇気」を持てたように思います。
何をもって「不完全である勇気」とするかは、人によって違うのかもしれません。私にとっては、完璧であろうとすることを手放すこと、なのだと思います。私の目指す完璧はお餅を1回でちょうどよく煮る、という程度のことなのです。硬すぎたら、やり直してもうちょっと煮ればよいだけのことでした。
私も、日々たくさんの失敗をしています。これから、「失敗した…」と思ったとき、「100でなきゃ意味がない、と考えている!」と気づいたときに、人々は仲間だということを思い出し、深刻にならずに、まずは相談して、みんなにとって良い解決方法をみんなと一緒に考えてみようと思います。
京都 A.N
