音楽が好きではあるが、もっぱらクラシック音楽で、それ以外のジャンルにはあまり関心がない。しかも、クラシックの中でも、かなり変った作曲家が好きだったりするので、人々と話が合わない。今さら言われても好みは変えられないので、しかたがないとあきらめていただくしかない。
なぜこういう音楽が好きになったかについては、歴史がある。すこし前に話をしたように、はじめはマーラーだのバルトークだのが好きになった。この時点ですでにかなり変っているのだが、まあしょうがない。高校生になるころにはある方向性ができあがっていて、音楽好きの友だちとある種の緊張関係を作っていた。友だちの多くは、モーツァルトだのベートーベンだのの音楽が好きだったが、私はそういう人たちの音楽がそれほど好きになれなかった。まして、ブラームスだのチャイコフスキーだのにいたっては、人々がどんなに評価しても、私の好みの範疇を超えていた。
みんなで学校の音楽室を借りてレコード(当時はCD以前の、LPレコードの時代だった)を聴く集まりがあって、私も誘われて入っていた。高校生のクラシック・ファンが一般的に聴く音楽を中心にしてレパートリーが組まれて、なんとなくそれを聴きに集まった。多数決でブラームスだのチャイコフスキーだのが多かったので、そういう日はなんとなく参加するか、あるいは欠席していた。欠席しても別にとがめられることはなかった。マーラーだのバルトークだのは「間口が狭い」ことは知っていたので、演奏してもらうことはなかったと思う。
自宅でよく聴いた音楽は、高校時代は20世紀の作品が多かった。ストラヴィンスキーだのプロコフィエフだのハチャトゥリアンだのといったロシア系の作曲家たち、コダーイだのヤナーチェクだのスークだのといった東ヨーロッパの作曲家たちが中心だった。そういう音楽に入れ込めば入れ込むほど、友だちとの距離はひろがることは知っていたので、家に友だちが遊びに来ても、めったに聴かせることはなかった。ただ一人例外があるとすれば、それは頼藤和寛で、彼には遠慮なくそういう音楽を聴かせたし、彼も喜んで聴いてくれた。同じ大学の同じ学部に入ってからもそういう関係を続けたので、共通の領域ができてしまった。
大学に入ってからはルネサンスの合唱音楽に関心が移ったのだが、それはそれとして、自宅でのクラシック音楽マニアも続けていて、中心はバロック音楽に移った。バッハやヘンデルも聴いたけれど、それよりも関心は、 ディートリヒ・ブクステフーデ(1637年~1707年)だのヨハン・パッヘルベル(1653年~1706年)だのアルカンジェロ・コレルリ(1653年~1713年)だのに移って、そういう人たちの音楽をラジオで聴いていた。こうなると、高校時代に好きだった後期ロマン派だの現代音楽だのとは違って、同好の士もそう簡単にみつかるわけでもなく、孤独で聴いていることが多かった。
大学を卒業して、合唱という枠をはずれると、後期ロマン派から現代音楽と、中期バロックとが残って、人々と対話する余地がほとんどなくなってしまった。それで別に困った覚えはないので、なんとなくそのあたりの音楽を聴きながら、この年になってしまった。